勘太のおにいさんの淳吉が「日本の秘境」という本をひらいた。
おかあさんに買ってもらったばかり。めずらしい風景の写真がもりだくさんだ。
淳吉の目はイカダの写真にクギづけ。題は「瀞(とろ)峡の筏(いかだ)下り」。瀞の岩と岩のあいだをイカダがぬっていく。
瀞峡は近畿南部の山奥の深い谷だ。イカダ師はあら波をものともしない、とかいてある。
淳吉は勘太をよんだ。
「保津川下りのせんどうより勇気がいるんや」
きょねんの夏、保津峡でカヤをはってキャンプをしたことを頭にうかべた勘太。(イカダをつくって、のってみよう)とおもった。でもイカダになる材木は家にはない。
「雨戸しめなさい」
おかあさんの声がきこえた。
(そや、雨戸や)
あれは一年生の寒い日だった。「トロッコにのれる」というテッちゃんについて、山あいのさぎょう場にいくとちゅう、池の岸に雨戸のようなものがすてられているのをチラッと目にした。
「雨戸をイカダのかわりにしたらええと思う」
トロッコ場の池のことをはなすと、淳吉は「よし、雨戸のイカダや」と、とびついた。
にちようび、トロッコの池にむかった。「大池」とよばれていて、五十メートルプールくらいの大きさ。岸に雨戸より少し大きな板がなん枚かおいてある。
淳吉は何かの工事で見たようにおもった。
「コンクリートを流しこむときのわく板や」
二人で一枚のわく板を池におろす。うかんだ。淳吉がのってみる。すこし沈むだけ。勘太ものった。大丈夫だ。
池のまん中に石のとうろうがある。
「とうろうまで行こ」
淳吉はそばにころがっていた竹ざおをつかって、わく板を前にすすめようとした。・
思うようにうごかない。
「勘太もさおをつかえ」
池の底をさおでぐっとおす。わく板は右に左にふらふらしながら、とうろうのそばに近づいた。
勘太がとうろうにさわろうとした。そのひょうしにぐらっとゆれる。
「アッ」
勘太のさおが手からはなれた。手をのばしてもとどかない。
淳吉は自分がにぎっているさおをたよりに、岸にもどろうとした。勘太も手でこぐ。
とうろうの台座がじゃまになり、わく板はざしょうした船みたいに、がんとしてうごかない。
淳吉は助けをもとめることにした。池にとびこみ、岸までおよいだ。家までつっぱしる。
おかあさんは北島八百屋にかけこんだ。
「エイちゃん、助けて」
エイちゃんは倉庫からロープをもちだした。自転車におかあさんをのせて大池へ。
淳吉が、大池にとってかえすとちゅう、テッちゃんにであった。テッちゃんはユキちゃんに声をかける。テッちゃんのおとうさんはイッ子せんせいをともない、ラビットスクーターでかけつける。
わく板はとうろうのかげでじっとしたままだ。
エイちゃんはロープの一方のはしを淳吉にもたせて、池にはいった。抜き手でわく板までおよぐ。
「勘太くん、もう大丈夫や」
エイちゃんがわく板にのり、勘太を抱きかかえると、勘太の手にロープをもたせた。そして、ふたたび池にはいり、わく板をおしながらバタ足で水をける。
岸から淳吉が、つなひきのときみたいに足でふんばってロープをたぐりよせる。
岸でおかあさんはお祈りをしている。おろおろしているのはイッ子せんせい。ユキちゃんも心配顔。
やがてわく板は岸についた。
「イカダなんかきらいや」
勘太はガタガタふるえている。
おかあさんのカミナリがおちた。
「みんなにめいわくかけて、どういうつもりや」