冬の夜更けは・・・山城の国物語《木津川界隈》片山通夫

継体天皇像

初めに。
筆者が何年も前からこよなく愛している地域の一つに南京都地区がある。その地域にはけっこうな歴史があることに気が付いたのである。何しろその条件がそろっている。南に明日香、平城、北には平安の都、そして水運と開墾に十分な水量を誇り難波の海に最後は注ぐ木津川。真に条件が整いすぎていると思う。
かの継体天皇が明日香の都をうかがった地域でもある。継体天皇に関しては、井上満朗氏(歴史学者、京都産業大学名誉教授)の「継体天皇と河内馬飼首荒籠」という論文に詳しい。
この地域は古来「山城国」と呼ばれた。「やましろ」は、古くは「山背」「山代」と記され、7世紀に「山背国」という表記で国が建てられた。 この名称は、平城京から見て「奈良山のうしろ」にあたる地域であることから来ていると云われている。山城の国物語《木津川》

南山城村を流れる木津川

三重県青山高原に源流を発し三重県伊賀市東部を北流。鈴鹿山脈の油日岳(標高694メートル)からの柘植川と、布引山地の笠取山(標高845メートル)からの服部川を伊賀市北部で合わせ、西流に転じる。
京都府に入る辺りから河谷を成し、相楽郡南山城村で高見山地の三峰山(標高1,235メートル)が水源の名張川を加える。木津川市に至り、再び北へ向かう。京田辺市東部から徐々に北西へと流れを変え、八幡市西端、京都府・大阪府境付近で北東からの宇治川(淀川水系本流)、北からの桂川と合流し、淀川となる。合流点の5キロメートルほど上流には、増水すると踏み板が橋脚から外れる「流れ橋」として有名な上津屋橋が架かっている。さらに上流に行くと、日本百名橋に選ばれた泉大橋がある。
伊賀市から木津川市にかけて、JR関西本線と国道163号(笠置街道)が並行する。木津川市以北の中・下流域では、東岸をJR奈良線と国道24号(奈良街道)が、西岸をJR学研都市線と近鉄京都線とが沿う。

さてこの川の名前だが「木津」とは奈良時代に平城京などの都城建設の木材の陸揚げ港とのことであり、河川を利用して平城京の町づくりや大仏殿建設に使われた木材を運んだ川がその歴史と名称だという。大仏建立は聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげくようえ、魂入れの儀式)が行われたというから1300年ほど以前の話になる。
そのころから山城国は栄えていたと思われる。