冬の風景《京都・琵琶湖疎水001》片山通夫

都が東京に移った後、京都の地盤沈下を恐れて造られた。構想は琵琶湖から水を引くという大事業。琵琶湖の湖水を西隣の京都市へ流すため、明治時代に作られた水路(疏水)である。国の史跡。水道用水12.96m3/s、それ以外に水力発電、灌漑[、下水の掃流、工業用水などに使われる。また、疏水を利用した水運も行われた。水力発電は通水の翌年に運転が開始され、営業用として日本初のものである。その電力は日本初の電車(京都電気鉄道、のち買収されて京都市電)を走らせるために利用され、さらに工業用動力としても使われて京都の近代化に貢献した。疏水を利用した水運は、琵琶湖と京都、さらに京都と伏見、宇治川を結んだ。落差の大きい蹴上と伏見にはケーブルカーと同じ原理のインクラインが設置され、船は線路上の台車に載せて移動された。(ウイキペディア)