原発を考える《甲状腺がんの加害責任をただす》文 井上脩身

東京電力を相手に提訴した原告団 

~患者たちが東電相手取り提訴~
 福島第1原発事故後、甲状腺がんになった6人が1月27日、がん発症は事故が原因として東京電力対して6億1600万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。チェルノブイリ原発事故後、子どもの甲状腺がんが急増したことから、福島事故の被曝によるがん発症の可能性が強く指摘されたが、国や福島県、東電は因果関係を否定してきた。今回の提訴は、原発事故とがんとの因果関係の有無を公判廷の場で明らかにするにとどまらず、将来を担う子どもの健康を守るという、最も基本的なことに目を背けてきた東電の非人道的姿勢を浮き彫りにするという意味でも極めて意義深い裁判になる。

「声を上げて状況を変える」

原告は、2011年3月の事故当時福島県内に住み、6~12歳だった男女。いずれも2012~18年に甲状腺がんと診断され、2人が甲状腺の片側を切除、4人は全摘していて、生涯ホルモン薬の服用が必要な状態。このうち1人は肺に移転した。6人は「声を上げられない他の患者のためにも、因果関係を明らかにしたい」と提訴に踏み切った。原発事故時未成年で甲状腺がんと診断された人たちの集団訴訟は初めてである。
提訴後、弁護団や原告は東京地裁で記者会見した。弁護団長の井戸謙一弁護士は「政府は事故による健康被害がないと決めつけている。被曝が原因とみられる甲状腺がんで苦しむ人たちの希望となる裁判にしたい」と述べ、副団長の海渡雄一弁護士は「結婚や就職など普通の人生の望みが奪われ、生涯苦しい治療をしなければならない人もいる」と、提訴の理由を語った。また、事故から10年以上が経過して訴訟を起こした理由については、副団長の河合弘之弁護士が「原発事故が原因で甲状腺がんになったと声を上げると、社会からバッシングを受ける雰囲気があり、6人は沈黙を余儀なくされてきた」と説明した。
報道によると、原告の女性(26)は次のように訴えている。福島県の中通り地方に住み、当時中学3年生だった女性は近くの畑の野菜や水は口にせず、原発から50キロ離れた学校ではマスクをつけた。卒業後、東京都内の大学進学。2年生なるころ、唾をのみ込むとき喉に違和感をおぼえた。福島県が事故当時18歳以下だった人を対象に実施した甲状腺検査を受診したところ、気管の近くに腫瘍が見つかり、甲状腺がんとわかった。
翌年、女性は甲状腺の片側を手術で取ったが、毎月のように風邪をひくようになり、甲状腺から出るホルモンの量が減ることで免疫が低下した可能性が疑われた。大学卒業後広告代理店に就職したが、ぜんそくなどを患い休職。2021年からホルモン剤の服用を始め、風邪の症状は出づらくなったが、残った甲状腺にがんが再発するのではないかとの不安は消えない。
女性は被害救済に取り組む弁護団に相談し、原告になることを決めた。提訴後、記者会見した女性は「差別を受けるのではないかと恐怖を感じ、甲状腺がんであることを誰にも言えずに過ごしてきた。声を上げてこの状況を変えていきたい」と裁判で闘う心境を語った。(1月28日付毎日新聞)
別の原告の男性の母親は、男性が就職活動中、甲状腺がんであることを伝えると、数社から就職を断られたという(朝日新聞電子版)。原告にとって、この提訴は「本来の人生に戻せ」との悲痛な叫びなのである。

福島の罹患者 普通より十数倍

前項の原告の女性が受けた福島県の甲状腺検査は、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故で約7000人の子どもに甲状腺がんが見つかったことから始められた。ベラルーシに近いウクライナ北部にある同原発の事故は1986年4月に発生しているが、国連科学委員会(UNSCEAR)の2000年の報告によると、1989年ころからベラルーシとロシアで小児の甲状腺がんが増える傾向がみえはじめ、90年には10万人当たり1・5人、92年はロシア2・2人、ベラルーシ4・1人と急増、96年にはベラルーシ6人、ロシア11・5人にのぼった。97年はベラルーシ6人と変わらず、ロシアは8人に減少。事故10年後の96年がピークだったことがうかがえた。ウクライナでは96年でも0・2人と低い値で推移しているのは、風向きが関係していると思われる。
環境庁はホームページでこのデータを紹介し、「事故により放射性物質が大量に飛び広がった。その中で健康被害をもたらしたのは主に放射性ヨウ素だった」としたうえで、「地上に降り注いだ放射性ヨウ素を吸入したり、食物連鎖によって汚染した野菜や牛乳、肉を食べた子どもたちの中で小児甲状腺がんが発症した」と分析。「ベラルーシやウクライナでは、事故後4~5年ごろから小児甲状腺がんが発生し始め、15歳未満の甲状腺がん罹患率は、1986~1990年の5年間に比べ、1991年~1994年は5~10倍に増加した」と報告している。
国がチェルノブイリ事故による甲状腺がんの発生を以上のように指摘している以上、福島県が甲状腺検査をするのは当然のことであろう。検査は2011年から2021年にかけて6回行われた。1回目は先行検査、2~5回目は本格検査、6回目は25歳時の節目の検査としている。いずれも一次検査でがんの疑いがある者について二次検査が行われた。
結果は次の通りである。
【1回目=2011年~2013年】
受診者300472人(受診率81・7%)。悪性ないし悪性疑い116人。
【2回目=2014年~2015年】
受診者270552人(受診率71%)。悪性ないし悪性疑い71人。
【3回目=2016年~2017年】
受診者217922人(受診率64・7%)。悪性ないし悪性疑い31人。
【4回目=2018年~2019年】
受診者183298人(受診率62・3%)。悪性ないし悪性疑い33人。
【5回目=2020年~2022年】
受診者23412人(受診率9・3%)。悪性ないし悪性疑いゼロ。
【6回目=2021年】
受診者7621人(受診率8・7%)。悪性ないし悪性疑い9人。
以上の結果から260人に悪性ないし悪性の疑いがあることが判明した。受診していない人もいることから、おおむね300人近くが甲状腺がんにかかったとみられる。
福島県の県民健康調査検討委員会は調査開始5年目の区切りとなった2016年3月、中間とりまとめを行い、「わが国の甲状腺がんの罹患統計に比べ数十倍のオーダーで多い甲状腺がんが発見されている」と分析。ところが「チェルノブイリ事故と比べて被ばく線量が総じて小さいこと、被ばくからがん発見までの期間がおおむね1年から4年と短いこと、事故当時5歳以下からの発見はないこと、地域別の発見率に大きな差がないこと」を理由に、「総合的に判断して、放射線の影響は考えにくい」と結論づけた。

理不尽な因果関係なし論

『原発・放射能 子どもが危ない』(文芸新書)

前項に述べた福島県の中間とりまとめに記されている判断にはあ然とするしかない。「小児甲状腺がんについて、チェルノブイリ事故と福島事故は異なる」と言い得ても、通常のがん罹患率の十数倍のオーダーがある以上、かりに東電の顔色をうかがったとしても、「原発事故の影響は否定できない」と結論づけるしかないであろう。
こうした疑問に対し、中川恵一・東大附属病院放射線治療部門長はネット上に「がん専門医が語る福島の真実」の題で見解を表明。「福島では甲状腺がんと診断される子どもが増えている」としたうえで、「もともと子どもたちがもっていた無害な甲状腺がんを、精密な検査によって発見しているに過ぎない。がんが増加しているのではなく、発見がふえている」のだと、中間とりまとめの「因果関係なし論」を強く支持している。
エライ先生にこのように言われると、現に甲状腺がんを患っている人は沈黙するしかないであろう。ここに私は、「科学的エビデンス」を振りかざす専門家の「素人は黙れ」とばかりの傲慢さをみる。福島の人たちは、何の責任もなく放射能にさらされたのだ。子どもが放射性ヨウ素の直撃を受けた、と聞けば甲状腺がんにかからないかと不安にさいなまれるのは当然のことだ。幸い子どもにそのような症状がでなかった親は、エライ先生の言葉に安心できる。しかし、不幸にしてがんになった子どもは、悲しみをぶつけるところがなく、ただただ自分を責めるしかないではないか。エライ先生のひと言は悲しみをも増幅させているのである。
小出裕章・元京大原子炉実験所助教は『原発・放射能 子どもが危ない』(文芸新書)のなかで、「低線量被曝とがんの因果関係を証明するのは大変難しい。疫学的調査をしようとすると、どれくらい被爆した人がどれくらいがんになっていくかなどを大規模かつ正確に調べなくてはならない」としたうえで「何十年という期間にわたって調べ続けねばわからない」という。逆に言えば、何十年もかけて調べなければ因果関係がわからないわけで、小出氏は「原発を推進する人たちは、因果関係が科学的に証明されていないのだから害は認められないと言い張っている」と批判する。
同書は2011年9月に刊行された。福島県の甲状腺検査が始まる1カ月前である。小出氏はまるで県民健康調査検討委員会の判断を予測していたかのように、推進派の態度を看破していた。
私は放射線による健康被害については門外漢である。福島原発の事故と甲状腺がんの因果関係の有無を論証する能力はない。だが、通常の十数倍もの甲状腺がんが見つかっている以上、因果関係がないと断定することにはムリがあることは歴然としている。因果関係は今のところグレーゾーンにあるというのが正しいのではないだろうか。
繰り返すが、福島の人々は原発事故の犠牲者である。大人のなかには、原発立地によって経済的利益を受けた人がいるかもしれないが、子どもには何の責任もない。なのに、がんの不安におののかねばならないとは、理不尽というほかない。
原発事故によって放射性ヨウ素が放出されたことは明らかだ。そして、事故から数年がたって、甲状腺がんになった人が少なくないことも事実である。不運な人のために最大限の援助をするのが政治の役目であろう。
裁判では、原発事故と甲状腺がんの因果関係の有無が焦点になるであろう。しかしこの問題の本質は、政治が住民に寄り添っているかどうかなのである。寄り添っていれば裁判を起こす必要などなかったはずだ。政治は強引に「因果関係なし」と結論づけて甲状腺がんになった人たちを突き放し、揚げ句、裁判で争うしかないという苦難を強いている。