連載コラム・日本の島できごと事典 その53《オホーツク文化》渡辺幸重

北海道の古代史は本州島とは異なり、稲作を特徴とする弥生文化がみられず縄文文化・続縄文文化、擦文(さつもん)文化、アイヌ文化と続きます。擦文文化は7世紀ごろから13世紀にかけて栄え、縄文式に代わって「木のへらで擦ったあと」がある土器が特徴です。この流れに並行して、北海道のオホーツク海沿岸には5世紀から9世紀までと推定される遺跡が分布し、続縄文文化や擦文文化とは異質な内容のためオホーツク文化と呼ばれます。オホーツク文化は、3世紀から13世紀までサハリン南部から北海道・南千島のオホーツク海沿岸部にに栄えた海洋漁猟民族の文化と思われますが、この文化を担った“オホーツク人”の正体ははっきりしません。五角形・六角形をした大きな竪穴式住居を建て、クマを中心とする動物儀礼を行っていたようです。9世紀になって擦文文化に属する人々が道北に進出すると、オホーツク文化は擦文文化の影響を強く受けるようになり、トビニタイ文化と呼ばれる文化様式に変わり、やがて擦文文化に同化して13世紀初め頃には姿を消しました。アイヌ文化は擦文文化を基盤として成立しますが、骨塚儀礼や動物信仰などはオホーツク文化から受け継いでおり、オホーツク文化はアイヌ文化の精神面の源流といわれています。
オホーツク文化の代表的な遺跡は網走川河口の砂丘台地にあるモヨロ貝塚で、屈葬された多数の人骨、竪穴式の大型住居に丁寧に並べられた海獣・ヒグマなどの骨、クジラ・イルカ・クマの彫刻が見られる土器や骨角器、本州で制作されたとみられる鉄の刀などが出土しました。造形に優れた牙製女性像も含まれ、これらの出土品は網走市立郷土博物館分館「モヨロ貝塚館」に収蔵されています。また、利尻島の遺跡からは5~10世紀頃のオホーツク文化系の土器などが発掘され、知床半島北岸のチャシコツ岬上遺跡からは8~9世紀の「オホーツク人」の集落跡が発見されています。北海道北東部・音標(おとしべ)岬の南東約1.2km、オホーツク海に面する無人島・ゴメ島にもオホーツク文化の跡が残されており、音標(おとしべ)ゴメ島遺跡から2007年(平成19年)に続縄文期(紀元前3~紀元後7世紀頃)からオホーツク文化期(紀元後5~9世紀頃)にかけての遺構や土器・石器などが出土しました。オホーツク文化期の竪穴式住居跡の壁の可能性がある落ち込みなどに加え、黒曜石の原石や石錘(せきすい)も収集されたことからオホーツク人の狩猟・漁労拠点だったと思われ、道東へと進出するオホーツク人の重要拠点だった可能性が指摘されています。