連載コラム・日本の島できごと事典 その54《美女とネズミと神々の島》渡辺幸重

 トカラ列島は屋久島と奄美大島の間、約180kmにわたって点在する島々です。悪石島(あくせきじま)は列島のほぼ中間に位置する島で「美女とネズミと神々の島」とも呼ばれ、島内に「美女とネズミと神々の島」記念碑があります。これは朝日新聞社の秋吉茂記者の著書『美女とネズミと神々の島-かくれていた日本』(1964年)からきたもので、1960年に秋吉が悪石島に1ヶ月間滞在し、朝日新聞に10回連載した現地ルポ「底辺に生きる」がもとになっています。現在でも村営船で鹿児島から約10時間、奄美大島・名瀬港から約5時間かかりますが、当時は接岸できず艀(はしけ)で渡ったため時化のときには欠航せざるをえませんでした。ほとんど知られていなかった島の習俗や信仰、人の生き様などを伝えた内容が反響を呼び、1965年には第13回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しています。

 私はまだ本を読んでいないので、2009年にKTS鹿児島テレビの山元強社長が書いたブログ<悪 石 島 の「美 女」を 想 う>(https://www.city.kagoshima.med.or.jp/ihou/551/551-23.htm)から内容の一端を紹介させていただくことをお許しください。それによると、「美女」とは、島の掟を破って10年前に奄美大島からきた男と同棲した278歳の女性のことで、秋吉の助けもあって隣りの諏訪乃瀬島に脱出し、新たな人生のスタートを切ったということです。ただ山元は、秋吉が「美女」としたのは島全体の女性のことも指しているようだといい、「島の娘のかわいさにくらべて、これ(大人の女性は)はなんというはげしい変貌であろう。長い間の粗食と、過労と、ハダシの生活が“花の命”をけずりとった残骸である」という文章を紹介しています。「ネズミ」とは、1935年に竹が結実して野ネズミが大量に発生し、農作物が甚大な被害を被って飢餓に陥ったことを反映しています。ネズミは海を泳いで渡ってくるともいわれます。「神々」とは、島の至るところに祀ってある「やおよろずの神々」のことで、悪石島では祭祀が多く催されます。旧盆には10日の間、「長崎船」「花踊り」「こだし踊り」「俵踊り」など7つの盆踊りがテラ・墓・釈迦堂・集落の入り口や各家の庭先などで踊られます。最終日には異形の仮面を着けた来訪神「ボゼ」が出現しますが、2017年には「悪石島のボゼ」として国の重要無形民俗文化財に指定され、翌年には「来訪神:仮面・仮装の神々」のひとつとしてユネスコ無形文化遺産に登録されました。

 目次には「米んめし」「きよらウナグの島」「ネズミさま」「神さまへの挑戦 」「ハダシの美女たち」などの言葉が見えます。ぜひ探しあてて読んでみたい書籍のひとつです。