連載コラム・日本の島できごと事典その61《北海道二級町村制》渡辺幸重

1888年建設の北海道庁旧本庁舎(赤れんが庁舎)=2014年9月撮影

 明治の近代化が進み、全国的には1888年(明治21年)に(普通)市制・(普通)町村制が定められ、翌年に施行されましたが、北海道・樺太と沖縄県の全域および伊豆諸島・小笠原諸島、隠岐、対馬、奄美群島・トカラ列島には適用されませんでした。北海道の場合、井上馨内務大臣が自治財政を負担できる町村とできない町村に分けるべきと主張、1897年(明治30年)に勅令によって北海道区制・北海道一級町村制・北海道二級町村制が制定され、1899年(同32年)101日に施行されました。すなわち、この年に札幌・函館・小樽に北海道区制が、翌年には106村に北海道一級町村制が、1902年(同35年)には62町村に北海道二級町村制が実施されたのです。1922年(大正11年)には札幌・函館・小樽・旭川・室蘭・釧路の6区で区制から市制に変わり、1943年(昭和18)年には北海道一級町村・二級町村制が廃止されました。しかし、二級町村はほとんど内容が同じ内務大臣の「指定町村」に変わっただけで、それが第二次世界大戦後の1946年(同21年)まで続きました。人口や資力、将来発展の予測などが町村制の基準になっており、当初は二級町村にも至らないということで旧制度の戸長役場のままのところもあったようです。

 北海道一級町村制・北海道二級町村制は普通町村制に準ずるとされ、一級町村制の指定を受けた町村では町村長・助役を町村会を選挙で選ぶ(北海道庁長官が認可)ことができますが、二級町村制の町村は、町村長は北海道庁長官の任命制で、住民は選ぶことができず、国政選挙に参加する公民権も与えられませんでした。議会も一級町村は条例制定ができますが二級町村の議会はできませんでした。

 ちなみに奥尻島の経過をみると、1869年(明治2年)8月15日に奥尻島全体が「後志国奥尻郡」となり、1879年(明治12年)7月15日に戸長役場が置かれ、1906年(明治39年)4月1日に北海道二級町村制が施行されて戸長役場を奥尻村役場と改称、1943年(昭和18年)に指定町村になったあと、1966年(昭和41年)に現在の「奥尻町」になっています。

 第二次世界大戦前の日本の自治体制度をみると、全国でばらばらに進んでいますが、なぜでしょうか。歴史にはすべて原因があり、経過があります。私たちは歴史を「結果」の羅列として受けとめがちですが、原因まで考えることが現在にも繋がる問題を解決することにつながります。北海道二級町村制にしても、政府は徴兵と納税を目的として制度を整備したのでしょうが、住民の側からみると選挙制度や自治制度などに差別と格差が生じています。いまだに差別や格差が残っていないか歴史から学ぶ気持ちを持ちたいと思います。