22年夏号Vol.42 編集長が行く《性犯罪とウクライナ戦争の本質》Lapiz編集長 井上脩身

フラワーデモの準備をする人たち(この後、撮影禁止のプラカードを掲示し、輪になって性被害問題を語り合った)

 ウクライナ戦争反対集会があるとネットで知り、4月11日、会場である大阪市北区中之島の中央公会堂前広場にでむいた。開始時刻になると11人(女性10人、男性1人)が姿をみせ、街灯のそばで輪になった。リーダーと思われる人が性被害に遭った女性の手記を読み上げた。傍らには「同意なき性行為は犯罪です」などと書かれた数点のプラカードが立て掛けられ、うち1枚には「撮影禁止」と大きく書かれている。頭の中で描いていた反戦集会のイメージとは全く異なる雰囲気なので、私はしばらくして立ち去った。帰りの電車の中で気づいた。ウクライナに攻め込むロシア軍の行っていることは、性犯罪と同根なのではないか、と。性被害の観点からウクライナ戦争をみれば、プーチン大統領の本質に迫ることができるかもしれないと思った。

反戦を訴えるフラワーデモ

フラワーデモのシンボルである花をあしらったプラカード(ウィキペディアより)

 帰宅後、もう一度ネットで確かめると、女性たちの集まりは「フラワーデモ」と呼ばれる性暴力に抗議する運動であった。

福岡市の会社役員の男性が飲み会で、酒に酔っていた22歳の女性に性的暴行をした事件で、2019年3月、福岡地裁久留米支部が「男性に故意が認められない」として会社役員を無罪としたのをはじめ、娘が中学2年生のときから姓的虐待をしていた父親が「娘が抵抗しようと思えばできた」との理由で無罪になるなど、性犯罪に対する地裁の無罪判決が相次いだことから、著述家・北原みのりさんらが呼びかけて同年4月11日、東京で抗議運動がはじまった。被害者に寄り添うための象徴として花を持ち寄ったことから「フラワーデモ」と名づけられ、5月11日、東京、大阪、福岡でデモが同時に開催。その後、名古屋、仙台、札幌にも広がり、毎月11日に花を持ち寄ってのデモが全国で行われるようになった。

フラワーデモで掲げられた反戦のプラカード(ウィキペディアより)

2020年3月11日の国際女性デーではコロナ禍のなか、東京駅前の行幸通りに北原さんらが集まり、改めてフラワーデモの意義をアピール。北原さんは「このような判決はおかしい。性犯罪は自宅で学校で会社で日常的に行われている。性被害者はこれまで語ることができないと思われてきたが、勇気を出せば語ることが出来るとわかってきた。性的な安全と自由はおかされることのない権利のはず。生活の場で声をあげよう」と訴えた。

「同意なき性行為は犯罪」というフラワーデモの訴えへの共感が広がるなか、福岡市の会社役員の事件は高裁で逆転有罪となった。娘を性的虐待していた父親の事件については名古屋高裁で求刑通り懲役10年が言い渡された。この判決は、被害者が性交を拒否したとき、あざができるほどの暴行をうけたことを挙げ、「女性は抵抗することは困難な状態だった」とした。判決後、被害に遭った女性は「あの時の自分と、今なお苦しんでいる子どもに、『勇気をもって一歩踏み出してほしい』と伝えたい」と語った。

 ロシアが今年2月24日、ウクライナに侵攻すると、3月4日、ウクライナのドミトロ・クレバ外相は「ロシア軍の兵士が女性に性的暴行をはたらいている」と非難。5日、JR浦和駅前で行われたフラワーデモでは、ウクライナ語で「戦争反対」「誰も殺させない」などと書かれたプラカードを手に、反戦を訴えた。3月11日、JR高山駅前で行われたフラワーデモでは、「ウクライナ侵攻反対の声を上げよう」との呼びかけに応じた約20人が参加。福島原発事故で福島県浪江町から高山市に避難してきた女性(38)はロシア軍の核施設への攻撃に心を痛め「ロシアは責任のとりようのないことをしている」と怒りの声を上げていたという。

 4月11日に大阪・中之島で開かれたフラワーデモもこうした流れを受けて開かれたに相違ない。ネットを開くと参加者全員の集合写真がアップされている。胸にかかげているプラカードには「性犯罪がない社会に」「不同意性交を性犯罪に」「私たちは性暴力を許しません」などと書かれていて、私もこの声が社会全体のものとなることを願う。ウクライナ戦争についてのプラカードがなかったのは残念だが、浦和駅前や高山駅前同様、ロシアが行う戦争に強く反対していると思いたい。

明かされる残忍な戦争犯罪

ロシア軍の空爆に遭った演劇場(ウィキペディアより)

 すでに述べたように、ロシアは2月24日にウクライナに侵攻。3月16日、東南部の都市マリウポリの市民1300人が避難している演劇場を空爆して破壊。演劇場前の広場にはロシア語で「子どもたち」と書いて、中に子どもがいることが分かるようにしてあった。クレバ外相は「ここが市民の避難場だったことを知らなかったはずがない」と憤怒のツイートをした。死者は後に300人以上にのぼったことが判明した。

 ロシアはこの空爆を手始めに民間人を狙い撃ち、あるいは巻き込むのを承知の上での攻撃を行う。

 新聞報道をもとに時系列で列挙すると次の通りである。

 3月17日。北東部ハリコフ郊外のメリファで学校などを砲撃、21人が死亡。18日、首都キーウの住宅に砲撃。

 ウクライナのゼレンスキー大統領は23日、日本の国会でオンラインで演説し「空爆で数十の町が破壊され、数千人が殺された。そのうち121人は子ども」と、市民の被害実態を明かした。24日、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は「子ども60人を含む1035人が死亡した」と発表。同日、キーウ市長は市内の高層住宅87棟、学校12カ所、幼稚園6カ所が損傷をうけたと報告。同日、マリウポリ市議会は「市民約1万5000人をロシアに連行した」と非難声明。25日、ハリコフの診療所が砲撃され4人が死亡。

 ロシア軍は3月31日、キーウ市を含む北部から撤収。これによって被害の実態が鮮明に。ブチャのフェドルク市長は「住民約280人をロシア軍が埋めた」と主張。ウクライナ国防相はキーウから20キロの道路に4、5人の女性の遺体が放置されているとツイート。地元紙はキーウ近郊の村の女性村長と夫が拉致され、遺体で見つかったと報道。4月3日、ウクライナ検察はキーウ周辺で民間人ら410人の遺体が見つかったと発表。4日、ゼレンスキー大統領はブチャを視察し、「戦争犯罪であり、ジェノサイド(大量虐殺)だ」と怒りをあらわにした。4日、南部ミコライフの住宅街でクラスター弾と見られる砲撃があり、10人が死亡した。

 こうした民間人被害のなかでとくに悲惨な実態が浮き上がったのがキーウ近郊のブチャ。ロシア軍撤収後、現地に入った記者のレポートによって、次々に明るみにでた。

破壊された集合住宅の前で茫然とする市民(ウィキペディアより)

 5日付毎日新聞によると、3月4日、ロシア軍によって住民約40人が「地域防衛隊」のメンバー捜しとして強制的に広場に集められた。5人を引っ張りだし、1人を銃で処刑。司令官は「こいつは泥だ。お前らを泥から救ってやるために来た」と言った。地下室では後ろ手に縛られた男性が折り重なるように死んでおり、頭部を撃たれていた人もいた。ブチャではレイプが繰り返され、集団処刑、略奪などがたび重ねて行われたとされ、国際NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」(HRW)は具体的な証言をレポート。そのなかで、「ロシア軍による戦争犯罪が浮かび上がった」と結論づけた。同日、ウクライナ検察は「ロシア軍が拷問の痕跡を隠すために遺体を燃やそうとした形跡がある」と発表。ゼレンスキー大統領は「ブチャでは300人以上が殺害・拷問された」と訴えた。

 4月7日、ブチャのフェドルク市長は、少なくとも320人の死者が判明しているとしたうえで、「9割近くの遺体には砲撃によってではなく銃で撃たれた傷があった」と述べた。

8日、東部ドネツク州北部のクラマトルスクで鉄道駅がミサイル攻撃を受け、子ども5人を含む少なくとも52人が死亡。当時、駅には他の都市に避難を目指す市民ら4000人がいた。ウクライナのベネディクトウ検事総長は10日、キーウ州で少なくとも1222人が死亡したと発表。さらに戦争犯罪容疑で5600件を捜査しており、約500人の戦争犯罪容疑者を確認したことを明らかにした。

 ドネツク州のキリレンコ知事は4月12日、マリウポリの民間人死者数を2万人~2万2000人と推計していることを明らかにした。

プーチン氏のジェノサイド責任

ウクライナ戦争を命じたロシアのプーチン大統領(ウィキペディアより)

 前項に書いたように、ロシア軍による民間人攻撃や殺害行為は枚挙にいとまがなく、いくら書いても書ききれない。全欧安保協力機構(ODSCD)はロシア軍の人権侵害を調査、4月12日、明確な国際法違反を確認したとする暫定報告書をまとめた。そのなかで、3月9日に発生したマリウポリの産科小児科病院への攻撃などを挙げて戦争犯罪に当たると指摘。人命尊重や拷問の禁止など最も基本的な人権に対する侵害行為の証拠が見つかったとし、その多くがロシア軍の支配地域で起きていたことを明らかにした。

 こうしたロシア軍の行為について国連総会は4月7日、緊急特別会合を開き、国連人権理事会(47カ国)でのロシアの理事国資格を停止する決議案を日米欧など93カ国の賛成多数で採択。反対はロシア、中国など24カ国、棄権はインド、ブラジルなど58カ国。ロシアは人権理事会を即時脱退した。

 国際刑事裁判所(ICC)はすでに3月22日から戦争犯罪の疑いで捜査を開始。ブチャなどでの虐殺疑惑を中心に、戦争犯罪(一般市民殺害、捕虜虐待、病院・学校など民間施設攻撃)、人道に対する罪(広範囲または組織的な住民殺害、強制移住、拷問・性的暴行など)、ジェノサイドの罪(特定の集団破壊の意図に基づく殺害)、侵略犯罪(国や軍の指導者らによる侵略行為の実行など)について解明を急いでいる。

 これらの犯罪について、世界中の目がプーチン大統領に訴追が及ぶかに注がれていることはうまでもない。ロシア上層部が国際法違反行為を命令した証拠が見つかればプーチン大統領に逮捕状が出る可能性があるが、ロシアはICCに加盟しておらず、拘束するのは難しいという。ただ、この場合でも逮捕状が出るということになれば、プーチン大統領が「戦争犯罪をした世界のトップリーダー」として歴史に悪名を刻み込まれることはまぎれもない。

 捜査の内側にいない私たちには、プーチン大統領が具体的にどのような指示を軍部にしたかはわからず、彼の公の発言でしか戦争、人道、ジェノサイド、侵略についての責任の有無を判断できない。そこで重視したいのが侵略開始当日の2月24日に国営放送で行ったプーチン氏の演説である。プーチン大統領は22日に突如独立を承認したドネツク人民共和国とルガンスク共和国について言及、「ドンバスの人民共和国がロシアに助けを求めてきた」としたうえで、「特別な軍事作戦を実施する決定を下した」と言明。その目的を「8年間ウクライナ政府によって虐げられ、ジェノサイドにさらされてきた人を保護すること」とし、「そのためにウクライナの非軍事化と非ナチ化を目指し、ロシア国民を含む民間人に対し、数多くの血生臭い犯罪を犯してきた者たちを裁判にかけるつもりだ」と述べた。

この演説で想起されるのは3月4日、「地域防衛隊」のメンバー捜しをし、1人を銃で処刑したロシア軍の司令官が「こいつは泥だ。お前ら(住民)を泥から救ってやるために来た」と言ったことだ。司令官は地域防衛隊をジェノサイドをした泥と認識し、住民から保護するために処刑したと正当化したと判断できる。それは明確にプーチン大統領の演説にそって行われた行為であり、プーチン大統領に責任があることを明白に根拠づけている。

「全てが許される」と正当化

ロシア文学者の亀山郁夫さん(ウィキペディアより)

ウクライナ軍がロシアに攻め込んだ事実はなく、誰がどう見てもロシア軍がウクライナに攻め込む正当な理由は存在しない。したがって侵略戦争であることは否定できない。プーチン大統領は世界の非難の的になることが分かり切っているこのような戦争をなぜ起こしたのだろうか。私はどうにも理解できなかったが、この不可解さを解くカギとなり得る記事があった。毎日新聞4月5日夕刊のロシア文学者で元東京外国語大学学長、亀山郁夫さんに対するインタビュー記事である。

亀山さんはドストエフスキーの『罪と罰』、『カラマーゾフの兄弟』などを新訳。2014年、ゴルバチョフ・元ソ連大統領と会談したこともあるロシア通である。

亀山さんはプーチン大統領の思考について、『カラマーゾフの兄弟』に出てくる「神がなければすべてが許される」という言葉だ、と言い表した。「すべては許される」というアナーキーな精神は、ロシア人の精神の闇に深く通じている、と亀山さん。「ドストエフスキーがシベリアに流刑されていたときに目撃したのは民衆一人一人のたくましい精神であると同時に、その魂の奥に潜む闇。いったんその闇に落ち込みはじめると、堕落はとどまることを知らない」という。「その自覚があるため、彼らは強い神、強い支持者をなかばマゾヒスティックに待ち望んでいる」と分析する。

要するに、堕落に落ち込むとすべてが許される、という気持ちになるということなのであろう。実際、亀山さんはブチャでおきた虐殺について「神がなければというドストエフスキーの懸念と恐怖の深さがうかがい知れる。戦場こそがまさにすべてが許される世界」とみる。そのような戦争をしている国のトップであるプーチン大統領の支持率が80%を超えるのも「うそで固められた国に生きる屈辱と恐怖の大きさの証し。そこにしかすがるべきものがない」。プーチン大統領は「すべてが許される」という概念を国民と共有しているということであろうか。亀山さんは「(プーチン大統領は)熱狂する市民を道連れに歴史の外に出ようとしている。歴史の外に出れば、裁きの恐怖から逃れる」とみる。私は「歴史の外に出ようとしている」という亀山さんの発言が強く印象に残った。このことは後述したい。

プーチン大統領は正教徒である。「神がなければ」とは矛盾するように思えるが、亀山さんは「正教徒としての使命感が演技なのか、侵略のための口実なのか、境界線が見えない」といい、「プーチンのそうした観念的なものへの過度な思いやりが一番厄介。ドストエフスキーはそうした気質を『ベッソフシチ(悪魔つき)』と呼んでいる」と解説。具体例として『罪と罰』の主人公ラスコーリニコフを挙げ、「彼は2人の女性を殺しながら、ほとんど罪の意識にかられることがない。正当な権利があれば、天才は凡人の権利を踏みにじることができると豪語している」という。

偶然だが、最近私は『罪と罰』を高校1年生のとき以来60余年ぶりに読んだ。今度は亀山さんの訳による文庫本である。プーチン大統領はあるいはラスコーリニコフになった気分なのだろうか。「正当な理由というのがくせ者。そこには善悪の観念、倫理的観念の喪失がうかがえる」という亀山さんの見方は、私にはフラワーデモに参加した人たちが指弾する性暴力者と重なった。

「神がなければすべてが許される」という観念はキリスト教徒でない私には理解しにくい。そもそも無神論者である私の心の中には神がいないのだ。しかし、善悪の観念の喪失という主張はその通りだと思う。でなければウクライナ国民をこれほど残虐に殺すことに平気でいられるはずがない。

人権否定の戦争と性暴力

 何度も書いてきたことだが、私は「チェンジ」を合言葉にしたオバマ氏が2008年11月4日、アメリカの大統領に当選したときから21世紀が始まったと考えている。20世紀まで、黒人がアメリカのトップになることはあり得ないことだからだ。21世紀は20世紀とは全く別の時代なのである。

ところで、地球文明の軸は大雑把にいえば、地中海からイベリア半島、イギリス、大西洋を渡ってアメリカへと西回りしてきた。オバマ氏の大統領就任により、さらにその軸は西進、太平洋を渡り、21世紀はアジアとくに東アジアになるだろうと予想した。事実、中国の経済力が飛躍的に向上、今やアメリカと対抗し得る経済大国である。インドもまた経済的に躍進、ベトナムなどインドシナ各国も経済力を着実につけている。地球軸がアメリカから東アジアに移行するとの見方は誤りではなかったと私は確信している。

 このことは実は世界史的大事件である。なぜなら、2000年間にわたってキリスト教を良くも悪しくも精神的支柱とする欧米が支配してきた世界史を塗り替えることになるからである。では、東アジアが軸となった場合、その精神的支柱な何であろうか。キリスト教のような統一した宗教はなく、国家形態も民主主義国、独裁国、軍国主義国、専制主義的共産主義国などまちまちだ。こうした状態のなか、21世紀がどうなるのかは私には全く見通せなかった。

 ロシアのウクライナ侵略がその答えを与えてくれた。といっても、最悪の答えである。

東アジアに地球の軸足が移ったことで、欧米が長い間かかかって築きあげた民主主義の基盤が粉々に壊れんとしている、ということである。民主主義が破壊されると、人権尊重という地球市民としての基本理念が捨て去られることがこの戦争で明らかになったといえるだろう。

 実際、中国の習近平政権は香港の民主活動を徹底的に弾圧。さらに香港政府トップの行政長官に、デモ参加者1万人以上を拘束した習氏肝煎りの李家超氏を就任させた。民主派の息の根を止めるのが狙いであることは言うまでもない。ミャンマーの軍事政権は民主化運動の象徴ともいえるアウンサンスーチン氏を自宅軟禁においたままだ。こうした反民主主義・人権否定の流れがウクライナ戦争によって今後一層加速される恐れがある。

 こうした反民主主義化の責任のいったんは日本にもある。戦後、日本は20世紀の理想、言い換えるなら21世紀の先取りともいうべき憲法を制定した。平和主義と人権尊重がその根幹である。ところが自民党政権は憲法を変えることに執念をもやし、守ろうとはしなかった。こうした反憲法政治は人権をおろそかにすることにつながり、おおっぴらに民族差別発言をするヘイトスピーチが横行するなど、さまざまな問題をひき起こした。性暴力による不幸な被害者が後を絶たないのも、憲法の基本理念を国民に根ざそうとはしなかった政治の結果といっても過言ではない。

 地球の軸は東アジアに移ったと何度も述べた。日本もその位置の国である。しかも、欧米民主主義国の一員でもある。20世紀と21世紀の橋渡し役ができるのは日本しかない。もし日本の憲法を21世紀の規範として世界に、少なくとも近隣諸国に広める努力を続けてきたならば、状況は大きく変わったであろう。東アジアに民主主義が定着していれば、プーチン大統領も後ろ盾がなく、ウクライナに戦争をしかける暴挙はできなかったに違いない。

亀山さんがプーチン大統領について「歴史の外に出ようとしている」と述べたことはすでにふれた。「歴史の外」とは民主主義や人権尊重を築き上げてきた歴史からはみ出そうということであろう。ウクライナ戦争と性暴力問題は人権否定という点で全く同質なのである。歴史の内側に戻すことは可能なのか。もしプーチン大統領がこの戦争で勝利することになれば、21世紀は想像を絶する暗黒世紀になるかもしれない。