千夜一夜の夏《幽霊と妖怪》片山通夫

酒呑童子は妖怪か否かは定かではない。一説には山賊だという話もあるようだ。当時は鬼に分類されていた。ところで平安時代の葬式というか死者の遺体はどのように処理されていたか調べてみた。平安初期の律令の細則である『延喜式』には「死」を穢れとする意識が強く見られ、その穢れへの対処法なども示されている。 死者が出た場合は、関係のない者は遺体に触れない、また触れた場合は、一定期間は他人に接することを避け、清めを行うという慣習があったようだ。

貧しい庶民は、ただ、街外れや野山、川や海の近くに遺体を放置(風葬)していた。化野(あだしの)や蓮台野(れんだいの)、鳥辺山(とりべやま)がその場所だったといわれている。平安京では、市街地であってもそうした貧しい人々の遺体が放置されていた。なお、後にそうした死者のために共同墓地が作られたが、それは寺院墓地のルーツの一つであるともいわれる。