夏の思い出《レンズが欲しいアカンタレ》片山通夫

ズミクロン f2 50ミリ

 

コロナが怖くて中々外出出来なかった。自宅で籠りっぱなし。コロナに罹患したという知人も身の回りにだんだんふえてきた。生来おとなしく出来ない性格なのでうずうずしていた。ここまでは皆さんと同じだと想像する。昨日久々に外出した。それまで家でパソコン越しに中古カメラやレンズのネットショップをさんざん見ていて我慢出来なかったからだ。目当てのレンズが一本ある。そんなに特殊なレンズではないのに結構な価格だ。それも中古なのに。レンズはズミクロン50ミリf2。ちょっとインターネットで見てみると30万円前後する。これは新しいタイプで売ってる店のコメントは以下の通りでさすが「そそる」コメントだ。」

1994年発売。
”ライカのレンズと言えばズミクロン50mmF2”と云わしめるほどのTHE ライカレンズ。しっとりしたライカらしいコントラストに絹を思わせるような美しいボケが特徴のレンズです。
まずライカデビューをするならこのレンズから初めてみてください!
楽しいライカライフが待っているはずです。

しかしコロナの当世こんな高価なレンズ買ってどうするん?という声も頭の片隅から聞こえてくる気がしてならない。貧乏性。甲斐性なし!はわかっているけど・・・。

レオタックス

思えばレンジファインダー形のカメラは昔々の学生時代から興味があった。当時は勿論Leicaなどは夢のまた夢。世は一眼レフ全盛時代だった。ニコンからFが、ミノルタからSR、ペンタックスはSP、キャノンはF1が出ていた時代。写真仲間はこぞって一眼レフを使っていた。
ボクは街の中古カメラ屋を探し回った。よく考えてみたらいまだに同じことの繰り返しだ。Leicaは欲しい、けどあまりにも高い。そういえば木村伊兵衛と言う稀代の「Leica使い」がいた。彼の時代は家一軒買えそうな値段だったとか…。ボクはニッカにしようと思ったことがあった。ニッカはウイスキーではない。コピーLeicaだ。しかしレオタックスと言うカメラも隣に並んでいた。これも所謂コピー。
レオタックスはフーテンの寅さんの故郷、葛飾区新宿(現柴又一丁目)に存在したカメラメーカーが作っていた。ボクはこの2機種をケースから出してもらって手にした。なぜかレオタックスのほうが手になじんだ。たまたまファインダーも明るかったように思えた。と言うのは後からつけた屁理屈。3000円ほど安かった。100フィート巻きのネオパンSSがその差で買えたからだった。

話が逸れた。
ボクは久々に記憶の端っこにある中古カメラ店を回った。無論今やデジタルカメラ全盛時代。それも「ミラーレス」とか言って。「馬鹿にすんな!」ボクは心の中でこう叫んでみた。こっちはレオタックスの時代からミラーレスだ。

また話が逸れそう。
目当てのレンズを探す。「ズミクロン、ズミクロン・・・」あることはあった。あの白い梨地のレンズが3本。いや、3本も要らないんだけど。ボクは表示されている価格を見て店の人に「出してください」とは言えなかった。

だってその日は「Leicaを持ってなかった」からと言う理由で。
アカンタレ!