写真ルポ《奈良元與寺地蔵盆》片山通夫

元與寺

古代のわが国の首都に平城京がある。710年、それまでの藤原京から遷都されて唐の都長安を模して造営された。平城京が京都に遷都された794年までの間、宮城・平城宮(大内裏)を置き、東西8坊 (約 4.3 km) の面積をもち、中央を南北に走る朱雀大路によって左京・右京に二分され、さらに南北・東西を大路・小路によって碁盤の目のように整然と区画され、全域が72坊に区画設定されていた。のちに奈良は「南都(なんと)」とよばれるようになり、東大寺・興福寺の門前には、寺の仕事に従事するさまざまな人々が集まり、やがて「まち」ができます。このような「まち」を「郷(ごう)」とよび、奈良の町は寺社の門前郷(もんぜんごう)として発達してゆく。平安時代末期、平氏が勢力を強めると南都寺院と対立するようになり、1180年、平重衡(たいらのしげひら)が南都を攻め、その兵火により東大寺・興福寺とともに奈良の町も大半が大きな被害をうけた。その後、奈良町は周辺の地域を含めて徳川幕府の直轄地として栄えるという歴史を持っている。また元與寺は飛鳥時代に蘇我馬子が飛鳥に建立した日本最古の本格的仏教寺院である法興寺(飛鳥寺)が、平城京遷都に伴って平城京内(現奈良町)に移転した寺院。飛鳥時代の屋根瓦が一部残っている。毎年8月23日・24日は地蔵盆が盛ん。

撮影 2016年8月24日