ちょっとエッセー《夏の時間》山梨良平

イメージ「水撒き」

暑い!お盆だ。テレビは相変わらず。清涼は白球を追う高校球児。見るともなくテレビを見ながらぼんやりと過ごす時間がここち良い。夕刻になると、いささかの風が吹き猫の額ほどの庭に水を撒く。打ち水と言うほどの風情もない。しかし夕方の太陽に向かって水を撒くと時には虹を見る。虹が木の葉と絡みしずくとなってしたたる様にいささかだが涼を覚える。

今日の新聞を読んでいなかったことを思い出して手に取るが、眼は「猫の額」と名付けた庭のヒイラギのとげから、先ほど撒いた水がまだとどまっているのを見つけて一人喜んで新聞には眼を移さない。そういえばヒイラギは木へんに冬と書く。椿は春の木、夏は榎(えのき)、そして秋は・・・。えっ?木へんに秋? 楸は「ひさぎ」と読むらしい。猫の額も時には役に立つ。それにつけても暑い日が続くものだ。

日が落ちて夜のしじまが我が家にも迫ってくる頃、一匹の蛾が網戸の向こうにへばりついているのに気が付いた。虫の名前にはとんと疎いので全くわからないが、ずいぶん大きな蛾だ。蛾の一生なんぞ全く興味を覚えないが、この蛾の行く末をふと思ってみた。それで調べることにした。今は昆虫図鑑などと言う面倒なものはいらない時代だ。パソコンで「蛾」と入力すれば望むものが画面に出てくる。
節足動物門・昆虫綱・チョウ目(鱗翅目、ガ目とも)に分類される昆虫のうち、チョウ(具体的にはアゲハチョウ上科、セセリチョウ上科、シャクガモドキ上科)を除いた分類群の総称。「ちんぷんかんぷん」とはこのことを言うのだろう。この意味わからないヨ。迷惑な蛾だ。

暑いと言いながら過ごす夜もまた楽しなどとやせ我慢しているうちにふと思うことがあった。「夏」の定義である。夏には夏の意味があるはず。蛾にも分類があるように。日本における「夏(なつ)」の定義は、中国暦の「夏(xia)」の定義の強い影響を受けた上、近代においてグレゴリオ暦に付随する欧米の文化的影響も受けて複雑な様相を呈している。 なんのこっちゃ?
海洋性気候であり、肝心の夏至の時期には梅雨により日射が遮られる日本では、前述の昼間の長さと気温のズレは中国より著しく大きくなる。日本列島においては、気温のピークは立秋の時期にずれこむため、気温がピークになる頃には、夏が終わって秋が始まってしまっているという現象が生じることになる。このギャップが、現在でも「暦の上では…夏(秋)ですが…(気温の実感は全く違います)」というフレーズが天気予報などで頻繁に用いられる原因となっている。(ウイキペディアから借用)

北半球に属する日本では夏は6月から8月までの間を指す。気象庁も大変だ。気象衛星だの、気圧が刻々と変化し、雲の動きも同様で、おまけに時には台風で・・・。情報過多で目まぐるしい。昔は気象情報は国家機密だった時代があった。戦争の時に雲に覆われているかどうかは重要な情報だ。おまけに台風が来るか否かも。現代ではモスクワやキーウ現在の気象情報も手にとるようにわかる。無論南半球の状況も。もう何も隠せない世の中だ。。

季節が徐々に移ると秋の気配がおおってくる。蝉のなき声も最後にはつくつく法師がなくのは晩夏から初秋にかけてだから。では「ジージー、ジリジリジリジリ♪」はアブラゼミの鳴き声。なんだか油で食べ物を揚げている様が名前の由来だとか?せみも忙しい。そういえば蝉の一生は一週間だとか…。
だから空蝉?知らんけど…。