連載コラム・日本の島できごと事典 その78《ウシウマ》渡辺幸重

ウシウマ(1934年撮影)

 「昔は種子島(鹿児島県)に牛と馬の合いの子がいた」という話を子どもの頃、耳にしたことがありました。名前をウシウマと聞いたもののどういう形をしているか想像できませんでした。調べてみると、「頭は馬、首は牛」といわれる小型の馬で、たてがみと尾に長い毛がない珍獣であることがわかりました。第二次世界大戦後の1946(昭和21)年6月頃、種子島で飼育されていた最後の1頭が死に、ウシウマは絶滅したといいます。

 ウシウマの原産地はモンゴルや中国の奥地が有力ですが、中央アジアから西ヨーロッパを起源とする説などもあるようです。種子島のウシウマの起源は不明ですが、1598(慶長3)年の秀吉の朝鮮出兵(慶長の役)のとき、薩摩藩の島津義弘が明軍が使役していたウシウマ10数頭を持ち帰ったのが始まりともされます。1683(天和3)年に島津光久が種子島久時に5頭を与え、気候温暖な種子島の牧場で飼育したところ、幕末には5080頭にまで増えました。ところが、明治に入って藩の牧場が廃止され、ウシウマは民間に払い下げされましたが、繁殖の難しいウシウマの数は急激に減少。これを憂えた地元の士族で実業家の田上七之助がウシウマの飼育と繁殖に尽力した結果、20数頭にまで増えました。上野動物園に寄贈したり兵庫県の鳴尾競馬場で単走競馬を催したりして人々の関心を喚起することも行ったようです。1931(昭和6)年には国の天然記念物に指定されました。

 しかし、その後に起きた第二次世界大戦はウシウマに不幸をもたらしました。ウシウマ保護への関心が薄まり、食糧難のために食用にされることもあったのです。とうとう戦後の1946(昭和21)年には絶滅という結末になりました。天然記念物指定も1956(昭和31)年に解除されています。

 ウシウマの体高は120cm程度で、被毛の状態により「禿型」と「縮れ毛型」の2種に大別されます。日本在来種との交配も進んでいたというので、多少その特徴も変化していたかもしれません。ウシウマは現在では朝鮮半島にも生存しませんが、鹿児島県立博物館と種子島開発総合センターには骨格標本が保管されています。