近刊解説《片山通夫写真集 ONCE UPON A TIME》井上脩身

「片山作品に見る冷戦下のフォトジャーナリズム」 002

陽気さの奥の翳を捉えるカメラアイ

キューバの近現代の歴史を概観しておこう。
スペインの支配下にあったキューバが1902年に独立した後、製糖産業などにアメリカ資本が多数進出。1952年、バティスタがクーデターで政権を奪取すると、アメリカのキューバ支配がいっそう進んだ。バティスタ独裁政治に反旗を掲げたカストロは、メキシコに亡命中にゲバラに出会って後の1956年にキューバに上陸、2年余りのゲリラ闘争のすえ、1959年1月、バティスタを国外に追放、革命政権を樹立した。
首相に就任したカストロは製糖業を国有化するなど社会主義体制に転換。アメリカとは対立関係になった。
すでに述べたようにソ連のミコヤン副首相がキューバを訪れ、ソ連・キューバ貿易援助協定に調印する。米ソ冷戦のなか、キューバはカストロの革命によって、アメリカ側からソ連側に乗り換えたのである。
米ソの冷戦は1945年2月の、第2次世界大戦後の国際的枠組みを取り決めたヤルタ会談に始まったといわれる。1948年のベルリン封鎖、1949年北大西洋条約機構(NATO)結成、1950年の朝鮮戦争の勃発、1955年のワルシャワ条約機構結成などを経て、東西対立は決定的になる。その一方でスターリンの死後、後継者争いに勝ったフルシチョフは1956年のソ連共産党大会でスターリン批判を行い、1959年にはアメリカを訪問、「雪どけ」ムードが漂いはじめた。
こうした中でのキューバにおける革命政権樹立とソ連との貿易援助協定である。ソ連がキューバから1960年は42万5000トン、その後4年間は毎年100万トンの砂糖を国際価格で購入することに加えて、技術援助とともに期間12年で1億ドルの借款をキューバに与えるというものだ。ミコヤン副首相は武器の供給にも同意したという(加茂雄三「キューバと米ソ関係――国際関係の位相転換の実験」=『ラテンアメリカの国際関係3』新評論=所収)。
アメリカにとってカリブ海という裏庭で社会主義国家が建設され、ソ連と強く結びつくことを黙視できるはずはなく、キューバとの国交断絶に踏み切った。
1962年10月、アメリカの偵察機U2がキューバでミサイル基地が建設中であることを発見した。ケネディー大統領は海上封鎖を敢行、キューバに入るソ連船を足止めし、米ソ関係は一触即発の危機となった。第3次世界大戦がはじまり、核戦争になるのでは、との恐怖が世界中に広がった。幸いなことにアメリカがキューバを攻撃しないという条件でソ連がミサイル撤去に同意、戦争は回避された。
カストロ首相はソ連が頭ごなしにアメリカと取り引きしたことに反発し、「主体的」に革命状況を作り出そうとした(小池康弘「キューバ社会主義の現在」=『ラテンアメリカの国際関係1』新評論=所収)。片山さんがキューバの通信社の一員としてフォトジャーナリスト活動を開始したのは、キューバ独自の社会主義路線を歩み出すときでもあった。国内経済はどうなる? 国民の暮らしはどうなる? 国としての葛藤は国民ひとり一人の葛藤でもある。片山さんのカメラアイは、カリブの民の陽気な表情の裏にひそむ翳を見落とさなかった。
未来を見つめるような男子青年のきらりと光るまなざし、ファショナブルな都会の女性の明るい笑顔。その一方で、虚空を見上げる少年の目の不安なかげ、何かを指さす中年男性の困惑まじりの視線、トウモロコシ畑で働く男たちのかわいた表情……。片山さんの写真は、明るさと暗さが微妙にいりまじる庶民の生きざまをくっきりと映し出していた。