連載コラム・日本の島できごと事典 その79《犬田布騒動》渡辺幸重

島人の決起を描いた画(「犬田布騒動150周年シンポ」資料)

 1604(慶長14)年の薩摩藩による琉球侵攻以降、奄美群島(鹿児島県)は薩摩藩の直轄支配を受け、黒砂糖の専売制度(砂糖総買入制)が敷かれて過酷な搾取を受けました。藩はサトウキビの作付を強制して黒糖の保有や売買を禁じ、私的売買(密売)は死罪という思い罪を科しました。そのなかで1864(元治元)年、徳之島の犬田布(いんたぶ)村で農民一揆が起きました。これを犬田布騒動または犬田布義戦(ぎせん)と呼びます。

 騒動のきっかけは、干魃のため上納する黒糖が不足した犬田布村の70歳の農民・福重に代官所が密売したという嫌疑をかけたことでした。高齢の福重の身代わりに福重の姪の夫にあたる新山為盛が仮屋(役所)に出頭したところ、為盛は正座した足の上に重い石臼を載せられるなどのひどい拷問を受けました。これに憤った犬田布の村民150人あまりが決起し、為盛を仮屋から救出するという一揆に発展しました。村人は森に砦を築き、棒や鉄砲などの武器を持って立て籠もりましたが、代官所がある亀津村に逃れた役人たちは態勢を整えて反撃し、1週間ほどで一揆は鎮圧されてしまいました。一揆の指導者たちは3人が奄美大島に、2人が沖永良部島に、1人が与論島に遠島となり、他の者は3年の農道労役を命じられました。しかし、犬田布騒動はその後の圧政緩和につながった事件として語り継がれています。

 犬田布騒動は「徳之島節(犬田布節)」となって語り継がれ、1947(昭和22)年には劇団「熱風座」が伊集田実の戯曲『犬田布騒動記』を公演しました。犬田布中学校では文化祭で犬田布騒動を題材とした演劇を上演することが恒例となっています。1964(昭和39)年には犬田布騒動百年祭が催され、騒動の指導者9人の子孫・親戚の手によって「犬田布騒動記念碑」が建てられました。2014(平成26)年には犬田布騒動記念碑前で慰霊祭が開かれ、「犬田布騒動150周年記念シンポジウム」の第1部として犬田布中学校生徒会による<民衆の力は時代を超えて 劇「犬田布騒動」>が上演されました。2021(令和3)年にも犬田布中学校の生徒が郷土史研究家による犬田布騒動を伝える講話を聴くなど、島の先人の生き様を学び,後世に伝える活動が続けられています。