編集長が行く《北海道・礼文島 02》Lapiz編集長井上脩身(文・写真共)

浸食がつくる穂高の島

『花の島に暮らす——北海道礼文島12カ月』(北海道新聞社)

 旅を終えて帰ってから知ったことだが、植物写真家でエッセイストの杣田美野里さんが1992年、36歳のとき東京から一家で礼文島に移住、2006年に『花の島に暮らす——北海道礼文島12カ月』(北海道新聞社)を著していたことを知った。

 同書によると、自然写真家の夫、生まれて3カ月の娘とともに礼文島にわたった。同書は、写真を中心に、エッセーを交えて四季折々の島の情景を表したもので、礼文島の風物詩が抒情的にえがき出されている。タイトルの通り、花々の写真を中心に構成されているが、私が注目したのは猫岩が写っている2点の写真だ。一つは海辺から捉え、もう一点は高台から写している。

海辺に建つユースホステル「桃岩荘」

 礼文島の西海岸は荒波に侵食されて、起伏にとんだ複雑な地形になっている。すでに触れた北部の澄海岬はその典型だが、南部にも地蔵像に見える地蔵岩など、いつまでも見飽きない光景がそこここに見られる。そうした一つに猫岩と桃岩がある。猫岩は海から突き出しており、形がネコに見えることから名づけられた。桃岩は猫岩から約1キロ北東にあり、こちらは海岸から少し内陸にはいった丘陵ににょきりと立っている。たしかに果物のモモに似たユーモラスな形の岩だ。

 私は、二つの岩を望める展望台に立った。私は実はネコが好きでない。だが、猫岩あたりの海岸は垂直の岩場になっていて、ネコが岩稜をにらんでいるように見える。しかし、そのそばに浜辺が広がっていて、杣田さんの写真には、海あそびをする二人の女の子がうつっている。その向こうの猫岩は女の子を優しく見守っているようにも見えるのだ。おそらく杣田さんは猫岩付近の海岸が見せる表情の変化に魅せられたのであろう。

 私は杣田さんとは逆に、桃岩につづく岩稜に目を奪われた。ノコギリ状に鋭くとがった岩の凹凸。ふと奥穂高岳を前にしている気分になった。澄海岬では西穂高岳をおもった。ここでは奥穂高岳である。西穂高岳と北穂高岳はつづいていて穂高連峰をなしている。澄海岬と猫岩・桃岩は12キロ離れているが、あるいは一体のものなのかもしれない。

 展望台から赤い屋根が見える。ユースホステル「桃岩荘」だ。建坪240平方メートル、平屋建て。明治20年代に建てられた。『礼文島、北深く』によると、礼文島のニシン漁を仕切っていた柳谷家のニシン番屋で、中央の板の間には大きな囲炉裏が切られ、中二階の屋根裏が漁師の寝場所。ニシン漁の最盛期には、この建物を囲んで塩蔵、味噌蔵、網蔵、舟蔵など大小16の蔵があり、石垣がめぐらされていた。ニシン漁が幕を閉じ、ユースホステルに衣替えしたのだ。

このユースホステルがユニークなのは、夜、大声でうたう歌い声が絶えないことだ。杣田さんは『花の島に暮らす』のなかでこう書いている。

 夕日が落ちる時、みんなで歌う吉田拓郎の『洛陽』。1時間半におよぶ夜のミーティングでは、独特の島案内や振り付きの歌のメドレー。声をからすほど歌い、床をふみならします。(中略)異空間に携帯電話はいかにも不似合いなので、今でも屋内での使用は禁止です。「桃岩荘」は礼文島西海岸に灯る一つの「旅の文化」だと思います。

 ニシン漁が終わって衰退した礼文島の文化。桃岩荘は新たな文化のほう芽なのであろうか。

宇宙がふる星の島

杣田美野里さん(ウィキペディアより)

『花の島に暮らす』を著した杣田さんの移住は決して一時のおもいではなかった。杣田さんはその後30年間礼文島で暮らし、礼文島の自然をテーマにした写真集やエッセー集など10冊以上の本をだした。ところが2016年、肺がんを患い闘病生活をつづけることになった。そんななか、2021年8月、『キャンサーギフト 礼文の花降る丘へ』を上梓。これを機に、NHKの「ラジオ深夜便」に電話で出演。アナウンサーに「(礼文島に行ったのは)何に導かれたのか」ときかれ「自分が導いたわけじゃなくて、降ってきたものがあって、それを自分が捕まえることができたんじゃないかな、と思います」と答えた。

 彼女に降ってきたものは何だろう。その番組で紹介された杣田さんの短歌にヒントがあるような気がした。

 「宇宙は優しいよ」と石一つ

    多感な心に置きし人あり

 礼文島をつつむ宇宙に彼女は導かれたのであろうか。そういえば、夜、ホテルの窓からながめた空を思い出す。満天が無数の星に覆われていた。その間を横ぎる天の川。その脇から星々がざくざくと降ってくるような心地がして、思わず背筋がのびた。礼文島は何万年も前から、果てしのない宇宙に抱かれているのだ。

 杣田さんは2021年10月5日、66年の人生を閉じた。おもえば杣田さんのほぼ1周忌のときに私は礼文島を旅したのだ。本稿のなかでナデシコに似た薄紫の花のことを書いた。タカネナデシコとは色が違うようだし、何よりもタカネナデシコは7月の花だ。だが、『花の島に暮らす』を読んで、季節外れに咲くのを「返り咲き」というと知った。ニシン漁真っ盛りのなか、金環日食でわきにわいた礼文島。そのにぎわいは今はみるかげもない。だが、離島がゆえに太古のままの自然が残ったのだ。その自然に応えるように、島は花におおわれるのである。

 木内氏のが『礼文島、北深く』で示した礼文島の衰亡。産業のないこの島では経済的発展は望めないであろう。だが、結果としてメルヘンのような世界が翼を広げているのである。経済効率だけがモノサシとなり、さまざまなことから心理的な圧迫を受ける現代人。この最北の島を訪ねれば返り咲きできるのではないだろうか。少なくとも私は、心にほんわかとゆとりができたような気がする。私にとって、返り咲きの島なのである。(完)