原発を考える《大手を振り始めた原発プロパガンダ》文・井上脩身

『原発プロパガンダ』の表紙

 岸田文雄首相は8月24日、次世代原発について開発・検討する方針を打ち出した。それまで政府は原発の新増設・建て替えについて「想定していない」としており、前触れのない唐突な方針変更であった。だがこの日、読売新聞が原発に運転再開について初めて賛成が反対を上回ったとの世論調査結果をオンライン上で明らかにしており、岸田首相はマスコミの動向を注視したたうえで方針を示した可能性をうかがわせた。福島第一原発の事故後、原発推進を後押しする論調は影を潜めていたが、ウクライナ戦争によってエネルギー問題が深刻化するなか、原発推進派マスコミが大手を振りはじめた。

原発推進会議のお墨付き

 岸田首相が原発新増設にかじを切る方針を示したのは、首相官邸で開かれた、脱炭素社会の実現に向けた「グリーントランスフォーメーション(GX)実行会議」の席上である。首相は「新たな安全メカニズムを組み込んだ次世代革新炉の開発・建設など政治判断を必要とする項目について、年内に具体的に結論を出せるよう検討してほしい」と指示した。これは新たな原発を建設する方向を明らかにしたものとみられ、首相は原発政策を大転換したことになる。また最長60年としてきた原発の運転期間の延長を検討するほか、原子力規制委員会の安全審査に合格している東電柏崎刈羽原発などの7基について、来年夏以降の再稼働を目指すことも示した。

 この政策転換について、ロシアのウクライナ戦争を契機に、火力発電の燃料となる液化天然ガス(LNG)の調達リスクが顕在化する一方、2050年度の温室効果ガス排出「実質ゼロ」の目標実現に向け、エネルギーの脱炭素化が急務になっていることが背景にあるとされている。実際、岸田首相は同会議で「原子力はGXを進める上で不可欠なエネルギー」と強調した。

 原発政策の重大な変更方針を示した「グリーントランスフォーメーション(GX)実行会議」という耳慣れない会議の主体は、総合資源エネルギー調査会(経産相諮問機関)の中の原子力小委員会の、そのまた下にある革新炉ワーキンググループ(WG)だ。原子力専攻の学者、日本原子力研究開発機構職員、経団連職員、みずほ銀行産業調査部員ら11委員と、電気事業連合会(電力10社で構成)の原子力部長ら3専門委員から構成されている。脱原発側委員は、民間シンクタンク「原子力資料情報室」の事務局長ただ一人。司会は経産相の原子力政策課長だ(8月29日付毎日新聞コラム「風知草)。形は政府の会議だが、実態は原発推進会議にほかならない。

 同コラムの筆者、山田孝男・毎日新聞特別編集委員が首相側近に電話取材したところ、「ウクライナで一変した。原発リスクより経済安保リスクが大きい」と述べたという。ウクライナ戦争以前は、政府は原発についてはリスクを念頭に置いていたというのだ。原発にリスクがあることは福島事故によって誰もがわかっていることだ。そのリスクを念頭におくのは、原発に対する厳しい世論があるからにほかならない。

 資源エネルギー庁が公表している2018年の原子力政策についての資料「対話・広報の取組」によると、2017年に「原子力」という言葉のイメージについて1200人にアンケート調査(複数回答)したところ、「危険」が約70%にのぼった。「信頼できない」が30%で、「信頼できる」は1%に過ぎなかった。同資料では新聞各社の世論調査結果も図表で示しており、「各社の世論調査も原発再稼働については反対が賛成を上回っている」としている。さらに情報の入手先をきいたところ、「テレビニュース」が82%、「新聞」48%、「テレビ(情報番組)42%と、テレビと新聞が他を圧倒していた。

原発推進を掲げるマスメディア

 世論が原発推進に反対していたにもかかわらず、岸田首相が原発政策を大転換する方針を公に示したのはなぜだろう。その理由を探ると、マスコミの論調の変化が見えてくる。

 2021年2月26日、読売新聞(電子版)は「エネルギー計画 脱炭素に原発の役割は大きい」の見出しを掲げて、「経団連は、原発が電力の安定供給と環境への配慮を両立できる電源だとし、着実な再稼働や新増設を訴えた。日本商工会議所は、政府が前面に立つことを求めた」と経済界の原発期待姿勢を紹介したうえで、「温室効果ガスの排出を減らす脱炭素を実現するうえで、電力の安定供給は前提。政府は、二酸化炭素を出さない原子力発電所の有効活用を目指さねばならない」と訴えた。

今年2月からのウクライナ戦争を受けて読売新聞は今年6月3日の記事(電子版)で「原発推進」の論陣をさらに積極化させ、「原発再稼働 電源確保を着実に進めたい」という見出しの記事を掲載。そこでは「ロシアのウクライナ侵略で、国のエネルギー政策が問われている」と問題を投げかけ、中国電力島根原発2号機について、島根県の丸山達也知事が再稼働に同意する考えを表明したことを「地域の意見を踏まえた妥当な判断」と評価。一方、北海道電力泊原発の再稼働をめぐって札幌地裁が運転差し止めを命じる判決を言い渡したことについて、「地震や津波の評価は専門的で、規制委より先に司法が結論を出すことは疑問。差し止めを命じた過去の地裁の判断は全て上級審で覆っている」と批判した。さらに「太陽光や風力などの再生可能エネルギーは天候に左右されやすい。火力発電所も老朽化が目立っている」と指摘したうえで、「安定的な電源確保に向け、原子力発電所の再稼働を着実に進めるべきだ」と主張した。

 こうした原発推進論調が世論にどの程度影響を及ぼしたかは定かではないが、冒頭に触れたように、読売新聞と早稲田大学先端社会科学研究所が行った調査では、原発の運転再開について「賛成」が58%、「反対」39%と、同じ質問を始めた2017年以降初めて賛否が逆転した。

2015年6月14日の読売新聞に掲載された「原子力必要」を訴える全面広告(『原発プロパガンダ』より)

 読売新聞(電子版)は8月27日、「原発の再稼働 電力危機の克服に不可欠だ」に見出しのもと、「ウクライナ危機で燃料価格は高騰しており、純国産エネルギーと呼ばれる原発の活用が焦点になるのは必然だと言える」として、「(原発の)新増設を推進し、産業の衰退に歯止めをかける必要がある」と指摘。このうえで「電力の需要逼迫が続く中、安定して供給できる原子力発電所の重要性が増している。国は原発の活用に及び腰な姿勢から脱して、再稼働や新増設に正面から取り組むべきだ」と、岸田首相の方針転換を後押しした。

 読売新聞は9月4日、原発の新増設や建て替えの検討についての世論調査結果を掲載した(電子版)。「評価する」は49%、「評価しない」は44%で、「電力不足の懸念から原発利用への理解が広まりつつあり、若い世代ほど原発の運転再開や新増設に肯定的な傾向がみられた」という。

 原子力ムラの広報官

 前項でみたように読売新聞はウクライナ戦争を機に、原発再稼働にとどまらず新増設にも踏み込んで、推進の論陣を張り、それに呼応するように政府は原発政策を大転換した。

 読売新聞社の社主であった正力松太郎氏が衆議院委員時代の1956年1月、初代の原子力委員会委員長に就任すると、「原子力発電所を5年後に建設する」との構想を発表。以来、同紙は原発推進に積極的な社論を展開してきた。

 ジャーナリズムとして、原発の在り方について論評をするのは当然である。その主張が政府の政策として反映されるならば、ジャーナリストとして、「もってめいすべし」であろう。しかし、原発積極論は一歩誤れば「原子力ムラ」を持ち上げることになる危険性がつきまとう。その一例とされるのが以下に述べる「原子力PA方策委員会」である。

 1986年のチェルノブイリ原発事故により、原子力の安全性に疑問の声が上がりだしたことから、1991年、科学技術庁(当時)が原子力文化振興財団(現・原子力文化財団)に「原子力PA方策の考え方」という指針作りを委託した。PA(パブリック・アクセプタンス)は日本語でいえば「社会的受容のための施策」。原子力発電を社会に受容してもらうための方策について検討・解説しようというものだ。要するに原発プロパガンダの基本方針づくりである(本間龍『原発プロパガンダ』岩波新書)。

 この方針づくりのために上記の委員会が設置された。委員会は学習院大教授、電気事業連合会広報部部長、三菱重工広報宣伝部長ら5人で構成、その委員長は読売新聞論説委員である。形の上では民間人による検討委員会だが、オブザーバーとして科学技術庁原子力調査室と同庁原子力利用推進企画室の職員が参加しており、事務局は日本原子力文化振興財団事務局長があずかっていた。『原発プロパガンダ』は「委員長の読売新聞論説委員と委員の学習院大教授(同書にはいずれも実名で記載されている)は、当時の原子力ムラの中でも特に有名な二人だった。90年代から3・11事故の直前まで、論説委員は非常に多くのメディアに登場し、まさに原子力ムラ広報官のような存在であった」と書いている。

 同委員会は検討結果を「原子力PA方策の考え方」と題する十数ページの報告書にまとめた。注目されるのは「国民の大部分が原子力を危険だと思っているのが現状であるから、広報は″危険″を前提に置いて、徐々に安全性を説いていく方法がよい」と、柔軟な姿勢の効用を強調したことであろう。具体的には「核分裂という現象は危険だ、その危険をどう安心に変えるか、という手法を探る」とし、「一般人が信頼感を持っている人(医者、学者、教師など)からのメッセージを多くする」などと提言。さらにマスメディア対策として「原子力に好意的な文化人を常に抱え、何かの時にコメンテーターとしてマスコミに推薦できるようしておく」と指南した。

問われるジャーナリズム

 福島原発事故により、「原子力PA方策の考え方」の記されたとおり、「原子力の危険性」が明白になり、「徐々に安全性を説く」ことが以下に国民を裏切るものであったかが如実に示された。「原子力PA方策の考え方」は葬り去られ、過去の遺物と化したようにみえた。

 しかし、縷々述べてきたとおり、ジャーナリズム界の中から再び原発推進論が積極的に展開されるようになり、政財界ともに原発大国への回帰の動きを活発化させている。ウクライナ戦争によりエネルギー問題が再燃し、その解決策として原発再稼働させるのが最も手っ取り早い方策であることは確かであろう。しかもこれによって脱炭素という目標とも一致するので、原発推進派は「そこどけ、そこどけ原発反対派」とばかりに声を大にしている。

 しかし福島事故後、政府が再生可能エネルギー普及のために十分な力を注いできたとは言い難い。何よりも使用済み核燃料の処分について何の見通しも立っておらず、このツケを将来世代に押し付けたままだ。安易な原発回帰論は、福島事故後の政府の怠慢に目をつぶるに等しいのである。

 ジャーナリズムは政府のお先棒を担ぐ広報機関であってはならない。ウクライナ戦争が長引けば長引くほど、人々は目の前のことだけにとらわれがちだ。だが地球の将来への視点を欠くと、地球環境の破壊という最悪の結果になりかねない。ウクライナ戦争さなかの今、ジャーナリズムの真価が問われている。