とりとめのない話《高見颪》中川眞須良

私はいつの頃からか「風」が大好きになった。勿論危険が伴う強風 暴風は対象外だ。一口に 風 と言っても「感情」を持った一人の人間との関係は無限に広い。まず風に対してはその吹く時期 場所(地方) 風向 風力などによって多種呼び名を変え広く日常に溶け込んできた。その一つに「颪」がある。

私は日頃自転車で 自分が描いたイメージに合致した風に出会いたいため、行き先を定めずペダルを漕ぎ続ける機会が多い。湿気を含んでいても良い、ホコリの匂いがしても良い、生活の匂いがしても構わない、雨がぱらついても気にしない、ただイメージと合致すればそれで満足なのである。しかし「颪(おろし)」は簡単には出会えない 時 場所 条件を選ぶ特殊な風である。

今、全国で語り継がれている「颪」と言えば 蔵王颪 赤城颪 伊吹颪 比叡颪 六甲颪等があるが ある限られた地方だけで呼ばれているものを含めばとても数え切れないだろう。そして人はそれらは「季節ごとに高い山を越え麓の町 村に吹き下ろす強い風」と するが一部に 「季節ごと」を「冬季」(限定)と説明する場合も度々だ。私はさらに一語を付け加え「冬季 高い山を越え麓の町 村に吹き下ろす強い憎まれ風」と解釈している。たとえ憎まれ風であっても出会ってみたい、吹かれてみたい という気持ちには何ら変わりはない。

髙見山とその周辺

奈良、三重両県境に(1248m)が聳えている。すぐ南側の高見峠(899m)超えの伊勢街道(R166)、小石 轍が多い地道のうえ急勾配 急カーブが続き雨の日などは立ち往生する車が珍しくなくドライバー泣かせの峠越えで有名であったが今は峠のすぐ南側を立派なトンネルが貫通し(1983年)昔ばなしになってしまった。

今回のテーマ「颪」に関し「高見颪」と言う言葉を初めて耳にしたのはこのトンネル開通前、奈良県側伊勢街道沿いの商店主W氏である。

その時の会話の概要

「このバイク和泉ナンバーやねえ、何処から?、、、峠越えしても先は何もないよ、、」
私、知ってます、、、、、。
「峠から山頂迄片道徒歩40分程やけど今からではちょっと遅いし、、、、」
私「登る意思ありません、、、、。」
W氏「峠の駐車場(駐車可能なスペース)満車になるのは正月過ぎの5~6日間ぐらいやし、、冬は寒いだけや、、、、。」
(W氏 すっかりガイド気分だ ちょっと気になり)
私「何故峠に車が?、、、。」
W氏「樹氷をみにくる人の駐車場。」
W氏「多い日には10台以上か、地元の者は見に行かん、、、。
一部で平野風、貧乏風とも言われ嫌われている風、県内の人は「高見颪」と呼んでいるらしい、、、、。

短い会話内の このひとつの風の三種の呼び名、地元住民によって幾世代 数百年に渡って語り継がれてきたことは間違いないだろうし、初めて耳にする呼び名ばかりである。当然この風に現地で会ってみたい、吹かれてみたいと思う私の「風の虫」が目を覚ましたことは言うまでもない。

呼び名の一つ「平野」は地域名 いわゆる字名であるが「貧乏」とは、、、?
人が全く途絶えてしまう結果からの呼び名で、井戸水を除きすべての水(土間のバケツの水までも)が凍り、虎落笛(もがりぶえ)が絶え間なく鳴る日が続くとW氏。

私はこれらの話を聞いてから、特に冬の地方風、地域風に吹かれてみたいと現地を訪れる時は先にその地の人々と風土との関係を地域文化として少しでも把握しておくことにしている。

ちなみに今回の高見山西麓の平野地区 初夏に訪れてみたが、一部に数軒のコテージが建ち並ぶのどかな村である。が、極寒の高見颪が吹き降ろす時期、未だ訪れていない。なぜなら興味だけで?颪に吹かれてみたいのでこの地に来ました、、、の気分だけでは何故か少し敷居が高い。誰かに「背中を強く押してください」の気分になりがちだ。

歳のせいなのだろうか、不思議だ!

註:【虎落笛】もがりぶえ
冬の激しい風が柵(さく)などに吹きつけて笛のような音で鳴ること。