Lapiz2023春号《巻頭言》Lapiz編集長・井上脩身

 詩人の金時鐘(キム・シジョン)さんと評論家、佐高信さんの対談集『「在日」を生きる ――ある詩人の闘争史』(集英社新書)を読んでいて、「エッ!」と、思わず声を発した記述がありました。日本語の「いいえ」という言葉について、金さんは「全否定ではない」というのです。私たち日本人にとって「いいえ」は英語の「No」です。しかし金さんからみれば、「No」のような「No」でないようなどっちつかずの言葉なのです。「いいえ」という言い方に、議論を避けたがる日本人の曖昧体質が表れているのでしょうか。私は考えこみました。

金時鐘(キム・シジョン)さん

対談のテーマは多岐にわたっていて、「サムライは日本人の根深い郷愁」などと、日本人に関する金さんの興味深い発言が髄所に出ています。中でも私が引き込まれたのが「いいえ」についてでした。佐高さんが「時鐘さんは″いいえ″という言葉を特殊、日本的なものだとおっしゃってますね」と問いかけたのに対し、金さんは「柔らかくいなしてしまうとこがあるんじゃないでしょうか」と受け、次のように語ります。
朝鮮語は英語と同じで、「である」か、「でない」しかない。ところが、日本語の「いいえ」は中間的な打ち消し。「いいえ」は「そうではない」という言い切りでなく、全否定しないという感じ。そこに日本人の、行き渡った生活の知恵みたいなものを感じる。
佐高さんが「日本人はイエスかノーかはっきりしないから、そこを改めよとよくいわれます。私の大雑把な感覚からすると、″いいえ″も否定のように見えるんですが」と、多くの日本人が持つ感想を述べます。すると金さんは「″いいえ″は相手の言い分を根柢から否定する感じがなくて、打ち消しが柔らかいんです。朝鮮語なら、″違う″という」と、朝鮮語とのちがいを強調しました。
金さんは1929年、日本の植民地だった朝鮮の釜山に生まれました。当時の釜山の国民学校は皇国史観で貫かれており、金さんは熱烈な皇国少年として育ちました。対談のなかで国民学校での一つのエピソードを次のように紹介しています。
朝礼前、運動場に出ていた校長が、落ちていた縄跳びの荒縄の切れ端を指さし、「お前が落としたんだろう」と言った。金少年が「いいえ」と言えず、「違います」と答えると、激しいビンタをくらった。そのとき、金少年は「いいえ」という言葉が骨身にしみた。
続けて語った金さんの言葉を羅列します。
「(いいえは)日本語にしかない言葉です。何でも真正面に受け答えしない。話の本筋をまぎらわすことはあっても、強く否定することはない」
「相手を煙に巻くこともできる言葉。″いいえ″と言えばどちらにも転べる。相手を傷つけず、相手の対面を損なうことがない状態で、相手を否定できる」「″いいえ″は実にいいクッション。間合いを取って備えることもできるし、相手の機嫌を損ねないでいられる」
佐高さんは、日本の反政府運動に話を展開させ、「安保法制のときSEALDsが目だって反対運動をして注目されたけれど、反動化のすさまじさに見合うような抗議の声は聞かない。やはり″いいえ″という中途半端な否定が精神風土となっている社会で、怒りを自制してしまうということではありませんか」と質問の矢を向けました。金さんは「おっしゃる通り」と答え、「庶民意識として、日本人は本音を言わないということがあるでしょう」とつづけました。

安保法制は2015年9月、安倍内閣が閣議決定で憲法の解釈を変更し、集団的自衛権行使を容認するなど、我が国の防衛の在り方を大きく転換したものです。日弁連など多方面から反対の声は出ましたが、1960年の安保闘争のような国民的反対運動のうねりは起こりませんでした。
金さんは1948年、朝鮮南部の済州島で島民2万5000~3万人が虐殺された済州島四・三事件の後、日本で暮らすようになりました。日本での生活が長くなった金さんですが、日本語を知れば知るほど「いいえ」が不可解な言葉に思えてきたのでしょう。金さんの発言を受けて佐高さんが語った「中途半端な否定という精神風土」という言葉が、この問題を端的に総括しています。「いいえ」だけれど、大っぴらな反対運動まではやらない日本人。「いいえ的精神風土」がこの国に根づいているのです。
そういえば、岸田首相が防衛費を増税して増やすことについて、世論調査では68%が反対しています(1月23日付毎日新聞)。しかし、国会の前での強い反対運動はこれまでのところ起こっていません。「増税はいいえ」だけど「体を張ってまでのNoではない」ということでしょうか。
グローバル化が叫ばれて何十年にもなります。「はっきり自分の意見を言うべきだ」と外国留学経験のある人は主張します。しかし「いいえ的精神風土」を拭い去ることは容易なことではないようです。

ところで、金さんと佐高さんの対談では、朝鮮戦争中の1952年6月に起きた吹田事件で、金さんが最前線で闘ったことが話題にのぼりました。事件は朝鮮に物資を運ぶ軍需列車を止めようとした戦争反対運動でした。本号では「編集長が行く」シリーズのなかで吹田事件を取り上げました。