3・11特集 原発を考える《脱原発への5アンペア暮らし#1》文 井上脩身

斎藤健一郎氏(ウィキペデアより)

 福島県で原発事故に遭遇したのを機に、わずか5アンペアでの暮らしをはじめた新聞記者がいる、と聞いた。調べてみると、朝日新聞の斎藤健一郎記者。『5アンペア生活をやってみた』(岩波ジュニア新書)を著しており、さっそく読んだ。震災の半年後、東京に異動。街はこうこうと明かりがともり、無用な電力が消費されている。「原発に頼らない暮らしをするためには、徹底した節電しかない」と、電力会社との最低電力契約である5アンペアに切り替えたという。岸田文雄首相が原発の新増設を進めようとしているなか、「原発反対」を口にするだけでは政府の原発路線を食い止めることはでない。斎藤さんの取り組みは、反原発運動の在り方に一石を投じる実験といえるだろう。

合格発表場に放射能入りの雪
東日本大震災が発生した2011年3月11日、朝日新聞の郡山支局員だった斎藤さんは同市内の自宅にいた。2階建ての木造住宅の窓枠が大きくたわみ、地震体験装置に放り込まれたような揺れを感じた。住宅は半壊と認定された。JR郡山駅前に向かったあと、白河市内で起きた大規模地滑り現場へ走った。10棟が泥の下になり、幼児を含む13人が犠牲になった。通信状況が悪い中、何とか送稿できたが、記事は掲載されなかった。原発事故という、わが国未曾有の事態に立ち至ったからだ。

 地震発生から5日後、斉藤さんは白河市内の高校で合格発表を待つ受験生を取材。そのとき、雪が横殴りに吹き付けてきた。男子受験生が「これ、死の雪じゃねえ? 放射能入りだろ?」とおどけた。その場にいた受験生たちの緊張がとけ、笑い声がおきた。斎藤さんも悪い冗談だとおもいながら、いっしょになって笑った。

 だが、笑いごとではなかった。事故を起こした福島第一原発から漏れだして風に乗った放射性物質が、西南に80キロ離れた白河市には15日から、合格発表があった16日にかけてふったのだ。普段は毎時0・05マイクロシーベルトしかない放射線量が、7マイクロシーベルトと140倍も跳ね上がっていた。「放射能入りの雪」は真実であった。「マスコミは何もしらせなかった」と批判されたが、斎藤さん自身、何も知らされず、受験生らとともに放射能を浴びたのだった。

 斎藤さんは白河から取材拠点を福島県の災害対策本部に移した。県庁横の県自治会館に急ごしらえで設けられた同本部では、東京電力をはじめ県や国の職員が24時間体制で事故情報の収集や県民の避難指示に当たっており、報道各社も24時間体制で張り付いていた。

3月18日、東電の常務が謝罪にきた。常務が「収束に向けて一丸となって作業を進めている」と述べてその場を立ち去ろうとしたとき、地元記者が「福島に希望があるのでしょうか?」と問いかけた。すると常務は表情を崩し、声をあげて泣きはじめた。斎藤さんは、ここにいるだれもが、東電幹部でさえ、事故をどう収束させたらいいのかわからないのだ、と思った。

 4月になって学校が始まると、子どもの被ばくをどう防ぐかが課題になった。校庭で剥がした汚染土の処理について郡山市が住民説明会を開くと、「校庭を汚したのは東電だろ」と、はげしい怒りの声があがった。健康被害が起きるのか、起きるとすれば何年後なのか。専門家の意見もまちまちで、福島県民のほとんどが大混乱に陥った。斎藤さんもそうした一人だった。

一番少ないアンペア契約

こうこうと明かりがともる東京の夜景(ウィキペデアより)

 震災から半年がたった2011年9月、斎藤さんは東京に転勤した。本社から5・9キロ先の渋谷区の低層鉄筋マンションに引っ越し、自転車で通勤した。震災直後は照明を落としていた東京の街は元の明るい都市にもどっていた。「ビルの上では広告塔が明滅し、窓という窓からは明かりが漏れ、世界はギラギラと昼間のように光っている」。斎藤さんはその明るさを著書のなかでこう表現した。

この首都はもう福島のことなんか忘れてしまったんだな、と思った斎藤さん。放射性物質を大量にまき散らした電力会社が売る電気のために、住む場所や財産を奪われた福島の犠牲を思い起こすと、これまでのように無邪気に電気を使う気になれなくなった。2012年6月、野田佳彦首相(当時)が「原発を再起動する」と発表。国会周辺には多くの人が集まり、再稼働反対を訴えた。しかし、そうした人たちのすぐ隣で、ネオンやビルは暗闇を恐れるかのように照り続けている。斎藤さんは東電との契約を解除し、電気を全く使わない暮らしをしてみたいと思った。

会社の同僚に相談すると、「記者なのにパソコンはどうする」などと鼻で笑われたが、女性記者が「5アンペア契約にしては」とアドバイスしてくれた。

調べてみると、東電をはじめ、北海道、東北、中部、北陸、九州の6電力会社は「契約アンペア制」を採用。契約アンペア数に応じて基本料金を設定するもので、契約アンペア数を下げる(アンペアダウン)と電気の使用量に関係なく基本料金が安くなる。

2012年時点の東電の一般的な契約の場合、60アンペアなら電気を一切使わなくとも毎月の基本料金は約1680円。40アンペアなら約1120円、10アンペアまで下げると280円になる。10アンペアだと、一度に使える電気は1000ワットまで。電子レンジを使うときの電気使用量とほぼ同じなので、電子レンジとエアコンを同時に使うと、ブレーカーは落ちる。その半分の5アンペアで暮らすのは容易なことではない。

『5アンペア生活をやってみた』の表紙

 斎藤さんが東電に電話し、「一番少ないアンペア契約をしたい」と告げたところ、「10アンペアになります」との答えが返ってきた。「5アンペアがあると聞いた」とたずねると、しばらく待たされた後、「5アンペア契約はたしかにある」と認めてくれた。ことほどさように、5アンペア契約は極めて珍しいケースであった。

 電話から9日後、東電の工事の男性が斎藤さんの住居にやってきて、全ての家電をチェックした。電子レンジを指さして「使えません」。エアコンやトースターも「だめ」。20代の若い係員が「どうしてここまで電気を減らそうと考えたのか」と尋ねたのに対し、「原発事故のとき福島にいた。だからもうあまり電気を使いたくないんです」と答えると、係員は「そうでしたか」と伏し目がちに新しいブレーカーに付け替えた。(この稿続く)