神宿る。《京阪電鉄萱島駅の楠》片山通夫

1972(昭和47)年、京阪電鉄は高架複々線工事に着手、萱島神社のあった場所にホームが移動することになった。クスノキは伐採される予定だったが、住民運動が起きて保存されることになった。この際も、「ご神木を切れば災いが起きるかもしれない」などとの噂が立った。

京阪電鉄は、近隣住民の意を汲んでかホームをぶち抜いた形で件の楠を残した。樹齢700年と推察される楠は写真のようにガラスにおおわれてホームを貫いている。「御霊信仰(ごりょうしんこう)」という信仰がある。御霊信仰とは、人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする日本の土着の信仰のことである。
この楠に対しての信仰がそうなのかはわからないが、少なくとも萱島駅周辺の人々は「切ると祟りがある(かも知れない)」と残すよう動いた。

ホームの下には萱島神社がある。一帯は過去には開拓新田だったが、その鎮守として1787年に萱島開拓の祖神を祀ることとなり、宗源の宣旨により豊受大神・菅原道真が勧請・合祀された。明治時代には村社に列格し、「神名社」という社名であったことが1879年)¥(明治12年)の記録にあるが、1907年(明治40年)に一旦廃社となった。京阪電鉄の複々線化で伐採されることになったが、保存の声が高まり、京阪電鉄が神殿を造営・寄進し、1980年7月、「萱島神社」として再興された。

*菅原道真;忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで上り詰めた。しかし謀反を計画したとして(昌泰の変)、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後怨霊と化したと考えられ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神、受験の神として親しまれる。太宰府天満宮の御墓所の上に本殿が造営されている。(ウイキペディアより)