京都奇譚《陰陽師 不思議をつかさどる》山梨良平

怨霊と化した菅原道真

陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)は、古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを職掌とする方技(技術系の官人。技官)として配置された者を指す。中・近世においては民間で私的祈祷や占術を行う者を称し、中には神職の一種のように見られる者も存在する。 https://onl.sc/DA46RtT

前に書いた怨念が渦巻いている平安京では、当然ながらその怨念を少しでもやわらげようとする力も存在する。たとえば北野天満宮に祀られている菅原道真。彼はご存じのように平安時代の貴族で忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで上り詰めた。しかし謀反を計画したとして、藤原時平の策略で大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。彼がなくなると都では疫病が流行り、藤原氏一族には病気や事故などで不審な死を遂げだした。道真の怨霊が都を脅かせると恐れられ、霊を慰めるため天満宮に祀られた。

このような平安時代、霊力を持っている人物に陰陽師がいる。有名な陰陽師に安倍晴明(あべの せいめい)(写真左)という方がいた。 今の大阪市阿倍野の里に住んでいた安倍保名は父の代に没落した家の再興を願い、信太森(しのだのもり)の葛葉稲荷に日参していた。ある日のこと、稲荷の境内で、保名は数人の狩人に追われた一匹の白狐を助けた。保名は手傷を負ってその場に倒れてしまった。白狐は「葛の葉」という美しい女性に化け、保名を介抱して家まで送りとどけ、その後も保名を何度も見舞った。やがて互いの心が通じ合い、夫婦になり童子丸という子供をもうけた。しかし、その子が五歳のとき、ふとしたことから、葛の葉(母親)の正体が狐であることが露見して、狐は泣く泣くその子を置いて信太の森へ帰ったという。別れ際に、葛の葉が夫と子に、口に筆を咥えて障子に書き残したといわれるのがこの一首。

恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉

恋しくば・・・

その時、残された子(童子丸)が、後の陰陽師、安倍晴明(あべのせいめい)だと伝わる。狐の化身なのかどうかはともかく、晴明の陰陽師としての能力は卓越したものだったようで、朝廷では大きく認められていた。その子孫も代々陰陽頭を務め、陰陽道、天文道、暦道をもって仕えた。道真の霊が治められたのかは定かではない。今は学問の神様として道真は人々の尊敬を集めている。

狐の化身かともいわれた安倍晴明は陰陽師としては卓越した能力をもって、朝廷の信も厚かったようであり、その時代も不可思議の世界・陰陽道が幅を利かせていた時代だった。
※お断り:「忌憚」という文字を意味が違いますので本来の「奇譚」と書き換えます。