百鬼夜行とは「さまざまな妖怪が、夜、列をなして徘徊すること」を言う。
平安の昔、京都は現在のように明るい町ではなかった。夜ともなると漆黒の闇と化す大路も多々あった。羅生門なども本来は都大路の正面の門で華麗に色付けされた門だったが、
芥川龍之介の小説が先行し百鬼夜行の住処のような所と化した。
それはともかく平安人たちの中でも貴族たちは百鬼夜行の辻として恐れ、通ることさえ避けた場所がある。大内裏の裏鬼門にあたるこの辻は、「あわわの辻」と呼ばれた。この「あわわの辻」とは百鬼夜行に遭遇して仰天し、「あわわ」と悲鳴をあげて一目散に逃げた様子からと言われているが定かではない。この辻だけではないだろうが、平安人は百鬼を恐れ、運悪く出会うと大病を患うか、死に至る危険があるので油断できないし恐れた。
また捨てる神あれば拾う神ありで、我らが安倍晴明がまだ幼かった頃の話。師匠の賀茂忠行の供をして歩いていて百鬼夜行に遭い、いち早く気づいて忠行に知らせたおかげで難を逃れたというエピソードが伝わる。安倍晴明はこのように有能だったらしい。
また「今昔物語集」や「大鏡」には、この辻で貴族が百鬼夜行に遭い、尊勝陀羅尼(そんしょうだらに)の護符を衣に縫いつけていたため難を逃れたという話が載る。尊勝陀羅尼の護符は、百鬼夜行に威力を発揮した話があって、その時は護符が火を噴いたので、妖怪たちは慌てふためいて逃げ去ったそうだ。
また妖怪たちもむやみに出るわけでもなさそうで、「忌夜行日」という日があってその日には出来るだけ出かけないようにしなければならないと言われていた。
いずれにしても「あわわの辻」とは、なんとも愛嬌のある名でもある。
※お断り:「忌憚」という文字を意味が違いますので本来の「奇譚」と書き換えます。