連載コラム・日本の島できごと事典 その97《タイの楽園》渡辺幸重

海面から見える鯛の浦のタイ(ウィキペディアより)

千葉県の外房、太平洋に面して水族館「鴨川シーワールド」で知られる鴨川市があります。その鴨川シーワールドの東約7km周辺に位置する内浦湾から入道が崎にかけての一部海域が世界有数のタイ群生地になっており、約200ヘクタールの海域と陸地が「鯛の浦タイ生息地」として国の「特別天然記念物」に指定され、海域内では釣りなどの遊漁が禁止されています。1922(大正11)年に国の天然記念物となり、1967(昭和42)年に現在の特別天然記念物に昇格しました。船べりを叩くと天然のマダイなどが寄り集まってきて餌を食べる習性があることで知られており、本来は水深20~200mほどの砂礫底や岩礁帯などに棲み、同じ場所に長く居着くことが少ないマダイがなぜ浅い海に群れ集まっているのか、科学的な解明がされておらず、謎に包まれたままになっています。

鯛の浦の海域には伊貝島(いがいじま)や大弁天島(おおべんてんじま)・小弁天島などの小島・岩礁が浮かんでいます。1498(明応7)年の明応地震で地盤沈下が起きるまではこの周辺は陸地が多く、1222(貞応元)年に蓮華ヶ淵(蓮華潭)と呼ばれていた大弁天島・小弁天島の入り江付近で日蓮宗(にちれんしゅう)の開祖・日蓮が誕生しました。日蓮生誕の際には「三奇瑞(さんきずい)」と呼ばれる三つの不思議な出来事が起きたという伝説が残っています。
その一つは庭の片隅から泉が湧き出したこと、二つ目は庭先の海上に蓮華の花が咲き誇ったこと、三つ目はタイの群れが海面に現れ誕生を祝ったことです。蓮華ヶ淵の名前の由来はこの二つ目の出来事にあります。このとき、タイの群れは日蓮が「南無妙法蓮華経」と海面に書くとその文字を飲み込んだそうです。それからタイは日蓮の化身となり、この海域を禁漁としてタイに餌を与えるようになりました。地元では周辺のタイを食べることをせず、網にかかっても生きていれば放流し、死んでいれば誕生寺(たんじょうじ)境内のタイ塚に埋葬しました。昭和時代には「鯛のお葬式」まで行われたそうです。

誕生寺は1276(建治2)年に日蓮の生家跡に建立された日蓮宗の大本山で、明応地震で海中に没したため妙ノ浦に移り、さらに1703(元禄16)年の元禄地震による津波の被害を受けたあと現在の小湊に移転しました。
内浦湾一帯は南房総国定公園に含まれ、小湊漁港から小湊妙の浦遊覧船協業組合による鯛の浦遊覧船が運航されています。また、小弁天島の対岸には「波の間に 姿を見せつつ 鯛のむれ ふなべにあつまり あまたよりくる」という香淳(こうじゅん)皇后(昭和天皇の妻)の歌碑が建っています。

写真: 海面から見える鯛の浦のタイ(ウィキペディアより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AF%9B%E3%81%AE%E6%B5%A6