連載コラム・日本の島できごと事典 その98《直接民主制》渡辺幸重

旧宇津木村(八丈小島)

日本の政治体制は間接民主制を基本とし、一部直接民主制を取り入れています。その直接民主制とは、憲法改正に際して必要とされる国民投票制、地方公共団体における住民投票制や首長などの解職請求権(リコール)などですが、根幹は国会議員や地方議会議員を代議員として選挙で選ぶ議会政治です。ところが近年、人口減少や議員のなり手不足などで地方議会の成立が危ぶまれる事態が見られ、2017年には高知県大川村の村長が村議会を設置しないですむ「町村総会」の設置検討を表明しました。町村総会とは選挙権を持つすべての住民が参加し、議会に代わって同等の権限を行使するもので、直接民主制の組織となります。あわてた国は総務省に「町村議会のあり方研究会」を設置し、2018年に「町村総会の実効的な開催は困難」とし、代わりに少数の専業議員と有権者が参加する「集中専門型議会」と多数の非専業議員が夜間・休日を中心に運営する「多数参画型議会」の2つのタイプを選択肢として追加しました。現在、大川村は議員の兼業や公共事業の委託制限などを緩和して通常の議会を維持しています。
実は、1947(昭和22)年10月の地方自治法制定以降、一度だけ町村議会が設置された事例があります。東京・伊豆諸島の八丈島の西約4kmに今では無人となった八丈小島が浮かんでいますが、かつては有人島で、東南部 に宇津木村、北西部に鳥打村の2村(現在はいずれも八丈町)がありました。明治期に入っても八丈小島には島嶼町村制・普通町村制とも適用されず、地方自治法施行まで江戸時代からの名主制による島政が続きました。このうち宇津木村は人口50人規模の極小村だったため1951年に村条例によって宇津木村議会を廃止し、満20歳以上の住民で構成する町村総会(名称は村民総会)を設置して直接民主制を実施したのです。これは八丈村などと合併して八丈町となった1955年まで続きました。
榎澤幸広・名古屋学院大学准教授の研究(「地方自治下の村民総会の具体的運営と問題点」)によると、宇津木村の人口は1935年10月114人、1947年10月72人、1950年10月66人となっています。榎澤准教授は村民総会の構成や運営、歴史などに関して詳細な調査を行っていますが、宇津木村で地方自治法が施行されて名主制が終わり、村議会ができてからも封建的な名主制の名残から暴力や強権による支配が続いたことから若者層が変革を求めて村民総会を実現させたという証言を記録しています。旧来の支配層に抗して戦後の民主主義を求める若者の変革の意識を感じます。
ちなみに旧憲法下において町村総会を設置した事例が1件あります。神奈川県足柄下郡芦之湯村(現箱根町)で旧町村制の下で選挙権を有する公民による町村総会(名称は公民総会)が少なくとも1891年から1945年まで設置されたという記録が残っています。