連載コラム・日本の島できごと事典 その81《九十九島》渡辺幸重

九十九島の島数の数え方(「九十九島パールシーリゾート」サイトより)

 瀬戸内海や松島湾などは多島海と呼ばれ、多くの島々が美しい光景を作っています。九州島・北松浦半島西岸のリアス海岸沿いにも多島海が広がり、北の江迎湾から南の佐世保湾口まで約25kmにわたって大小の島嶼群が美しい姿を競って浮かんでいます。この多島美は約4,000万年前~約1,500万年前の第三紀層の丘陵地が沈水してできたものといわれ、「九十九島(くじゅうくしま)」と呼ばれて観光地となっています。かつては九十九島湾内の南九十九島のみを指し、「つくもじま」と呼んだようですが、名称は島の数が99だったからというわけではないようです。第二次世界大戦後になって北部の北九十九島を含めて九十九島と総称するようになりました。では、島の数は何島になったのでしょうか。

 海上保安庁は「最高潮位面における海岸線が0.1km以上」の海に囲まれた陸地を地図上で数えて日本には北海道島・本州島・四国島・九州島・沖縄島を含めて6,852(北方4島を除く)の島があるとしていますが、これは一つの基準で、島の定義ではありません。佐世保市は「九十九島は208の島で構成される」としていますが、これは島の基準を<「満潮時に陸地が海面から出ている」かつ「陸の植物が生えている」>として「九十九島の数調査研究会」が現地調査を行い、2001(平成13)年に発表した数になります。しかし、その4年後に「九十九島シーカヤッククラブ」が調査したところ島は212あったといいます。さらに、2015年にカヤック歴20年以上の澤恵二さん(佐世保市在住)が調べたところ、新たに12の島を発見し、植物が枯れるなどして条件を満たさなくなった島を4つ確認したとして自費出版の『西海国立公園九十九島全島図鑑』で島の数を216島と発表しました。

 佐世保市によると、九十九島周辺は干満の差が大きいので大潮の満潮時には島の一部が水没して二つに分かれることがあるということです。また、鳥や風によって種子が運ばれて植物がないとされた島に植物が新たに育つこともあるので、調査の時期によって数は変動する可能性があるといいます。島の定義がはっきりしないなかで島の数を特定するのはけっこう難しいことなのです。

 なお、同じ長崎県に島原湾に浮かぶ「九十九島(つくもじま)」があります。ここでは波の浸食によって島の数はかつての59島から16島に減少しました。

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連載コラム・日本の島できごと事典 その80《神功皇后》渡辺幸重

対馬にある神功皇后の腹冷やし石(ブログ「対馬びっくり箱」より)

2世紀後半から3世紀にかけて仲哀(ちゅうあい)天皇とその后である神功(じんぐう)皇后がいたそうです。仲哀天皇は有名な日本武尊(やまとたけるのみこと)の子にあたりますが、ここでは天皇の死後に国を治めたという神功皇后の話をします。

 『古事記』『日本書紀』によると、神功皇后は新羅(しらぎ)征討の託宣が出たため、自ら兵を率いて朝鮮半島を攻め、新羅の国を降伏させました。これを「新羅征討」「新羅討伐」「神功皇后の外征」などといいます。新羅のほか『古事記』では百済(くだら)、『日本書紀』では百済・高句麗(こうくり)も朝貢を約したといい、朝鮮半島の広い地域(三韓)を服属下においたので「三韓征伐」とも呼ばれます。ただし、その範囲は高句麗を除く朝鮮半島南部(馬韓・弁韓・辰韓)に留まるという説もあります。
神功皇后の朝鮮半島出兵にまつわる伝承は西日本各地に伝わっており、神功皇后に関連する神社や地名などは山口・福岡・佐賀・長崎・大分・宮崎の6県だけでも3,000カ所に及ぶといわれます。神功皇后が福岡から壱岐・対馬を経て朝鮮半島を攻めたとき妊娠していたといい、出産を遅らせるためにお腹に月延石や鎮懐石と呼ばれる石を当ててさらしを巻き、お腹を冷やしました。現在の博多駅の南東に当たる宇美町(うみまち)は帰国後の皇后がのちの応神天皇を産んだところ、志免町(しめまち)は“おしめ”を換えたところといわれています。

 壱岐・対馬には神功皇后ゆかりの地名や行事、施設がたくさんあります。対馬には、皇后が休んだ腰掛石や腹冷やし石といわれる高さ約1mの「白石」があり、朝鮮半島からの帰途、天神地祇(天つ神・国つ神)を祀った厳原八幡宮神社もあります。地名では、雷浦は皇后一行が雷雨に遭ったところ、綱掛崎はそのとき船を岸につないだところです。鶏が鳴いて皇后に集落があることを知らせたという「鶏知(けち)」という地名もあります。

 壱岐島には、八幡神社に鎮懐石が、爾自(にじ)神社に追い風祈願の折りに石が割れて東風が吹き始めたという東風石(こちいし)があり、そのときの行宮(あんぐう)が起源とされる聖母宮(しょうもぐう)や凱旋の際に住吉三神を祀った住吉神社があります。「勝本(かつもと)」という地名は、行きにはいい風が吹いたので「風本」としたものを帰りに勝利を祝して改めたと伝えられます。また、島内の湯ノ本温泉では応神天皇を出産した際に産湯を使ったとされています。

 第二次世界大戦後、神功皇后の話は神話の世界で皇后は実在しなかったという説が主流になりました。しかし、伝承の多さから実在したとみる研究者もいます。応神天皇の出産地も宇美、壱岐のほかに天草下島の南東に位置する無人島「産島(うぶしま)」があり、産島八幡宮の池の水を産湯としたと伝えられます。佐賀県唐津市の加唐島には着帯式(帯祝い)を挙げた「オビヤの浦」という地名があり、神集島(かしわじま)は神功皇后が神々を集めて軍議を行った地とされます。長崎市の神楽島(かぐらじま)では神功皇后が朝鮮半島からの帰りに神楽を奉納したそうです。皇后が実在したかどうかはともかく、ゆかりの地は現実に広く存在しています。

 

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連載コラム・日本の島できごと事典 その79《犬田布騒動》渡辺幸重

島人の決起を描いた画(「犬田布騒動150周年シンポ」資料)

 1604(慶長14)年の薩摩藩による琉球侵攻以降、奄美群島(鹿児島県)は薩摩藩の直轄支配を受け、黒砂糖の専売制度(砂糖総買入制)が敷かれて過酷な搾取を受けました。藩はサトウキビの作付を強制して黒糖の保有や売買を禁じ、私的売買(密売)は死罪という思い罪を科しました。そのなかで1864(元治元)年、徳之島の犬田布(いんたぶ)村で農民一揆が起きました。これを犬田布騒動または犬田布義戦(ぎせん)と呼びます。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その79《犬田布騒動》渡辺幸重” の続きを読む

近刊解説《片山通夫写真集 ONCE UPON A TIME》井上脩身

「片山作品に見る冷戦下のフォトジャーナリズム」 003

祖国への帰還の夢とおく
 米ソ冷戦はヤルタ会談に始まった、と述べた。その合意に基づくヤルタ協定で、樺太南部はソ連に返還されることとされた。この会談の3カ月後、同じアメリカ、イギリス、ソ連の3カ国によってポツダム会議が開かれ、日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏。1951年のサンフランシスコ講和条約で南樺太の全ての権利を放棄することになった。

南樺太は日露戦争後の1905年のポーツマス条約によって日本の領土となり、1931年には、漁業、林業、製紙業を中心に日本人40万6557人が移住していた。 “近刊解説《片山通夫写真集 ONCE UPON A TIME》井上脩身” の続きを読む

近刊解説《片山通夫写真集 ONCE UPON A TIME》井上脩身

「片山作品に見る冷戦下のフォトジャーナリズム」 002

陽気さの奥の翳を捉えるカメラアイ

キューバの近現代の歴史を概観しておこう。
スペインの支配下にあったキューバが1902年に独立した後、製糖産業などにアメリカ資本が多数進出。1952年、バティスタがクーデターで政権を奪取すると、アメリカのキューバ支配がいっそう進んだ。バティスタ独裁政治に反旗を掲げたカストロは、メキシコに亡命中にゲバラに出会って後の1956年にキューバに上陸、2年余りのゲリラ闘争のすえ、1959年1月、バティスタを国外に追放、革命政権を樹立した。 “近刊解説《片山通夫写真集 ONCE UPON A TIME》井上脩身” の続きを読む