宿場町シリーズ《中山道・垂井宿001》文、写真・井上脩身

敗者しのぶ関ヶ原直近の宿場

大谷吉継(落合芳幾画)(ウィキベテアより)

NHK大河ドラマの影響でこの1年、徳川家康が脚光を浴びた。関ケ原の合戦で勝利をおさめて天下人になった家康であるが、私は敗れた石田三成に加担した西軍の武将への同情心があり、司馬遼太郎の『関ヶ原』(新潮文庫)を読み返した。大谷吉継が垂井宿にいたとき、三成から使いがきて、「家康をうつ」という三成の決意を聞く。三成に従うべきかどうか、吉継は宿場で悩みに悩んだに違いない。やがて、宿場から西にわずか8キロの関ヶ原で果てることになろうとは夢にも思わなかったであろう。中山道の垂井宿をたずね、吉継に思いをはせた。

三成の秘事に揺れる大谷吉継

垂井宿の北を流れる相川。向こうは関ヶ原の山並み

司馬の小説では、秀吉の死後、会津の上杉景勝が豊臣家に謀反を企んでいるとして、五大老筆頭の家康が、大坂から会津攻めに動きだす。家康から上杉討伐の動員令を受けた敦賀五万石の大名・大谷吉継は、「家康と景勝の仲を調整して、和をもたらす」ために北国街道を南下した。吉継はハンセン病を患って頭髪が抜け、両目も失明。顔を白い布で包み、コシに揺られての出陣である。
垂井宿に入るなり、近江・佐和山城にいる石田三成に使いを走らせた。三成から「秘事がある」と言ってきたので、吉継は垂井から佐和山城に向かい三成と密談。「挙兵する」と決意を打ち明ける三成に対し、吉継は「内府(家康)の威力は大きすぎる。内府に刃向かうのはよほどの愚か者か、よほどの酔狂者。事はかならずしくじる」と言葉を尽くして説得。「内府と上杉を和睦させるしかない」という吉継の消極的平和主義に対し、三成は一つ一つ論駁し、「いま家康を討ち果たさねば、かの者はいよいよ増長し、ついには従二位様(豊臣秀頼)の天下を奪い取ることは火を見るより明らか」と言い放った。
「自滅するぞ」と言って三成と別れ、垂井宿にもどった吉継の頭に、秀吉が催した茶会がよぎった。茶碗がまわされ、ハンセン病を患っていた吉継が茶を喫しようとしたとき、鼻水が垂れて茶の中に落ちた。ハンセン病に対する科学的研究がなされていない時代だ。その茶碗がまわされると、居並ぶ諸侯は飲む真似をするだけ。三成だけが茶碗を高々ともちあげ、飲み干した。以来、「佐吉(三成)のためなら命も要らぬ」と吉嗣は三成にしたがってきたのだった。
吉継は十数日間、垂井宿から動かず、何度も使者を三成のもとに送り、思いとどまるよう諫止。「かならず負ける」と切言したが三成は聴かない。「わしを友と見込んで、この秘事を打ち明けてくれた。もはや事の成否を論じても詮はない。あの男と死なねばなるまい」。
吉継がそう決意した夜。垂井宿に驟雨が通り過ぎ、地を裂くような雷鳴をとどろかせたあと、程なく霽(は)れあがった。
以上のように吉継の心の動きを書き記した司馬。その心根を激しく揺れる天候にたとえた。

古代から交通の要衝

主な街道の宿場は家康が江戸に幕府を開いた際に整備された。吉継が垂井に宿営したときは、当然のことながらそれ以前の宿場である。垂井は古代、美濃国の中心地であり、畿内と美濃以東を結ぶ交通の要衝であった。秀吉が1589年、方広寺に大仏殿を建立するため美濃国の6人の武将に木曽材の輸送を命令したとき、6000人が動員されたといわれ、幹部は垂井に宿をとったと思われる。司馬の『関ヶ原』は、三成が佐和山城で挙兵して6000人の軍が東進、日が傾くころ垂井宿に着き、諸隊を付近に分宿させたと書いている。三成や島左近ら側近武将のほかは野宿せざるを得なかった。大軍が泊まれるほどには整備されてなかっただろう。吉継はどのようにして兵を分宿させたのであろうか。
すでに触れたが、家康は将軍になると、東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の五街道の整備を手掛けた。これにともない、中山道の69の宿場の一つとして垂井宿も整えられた。1843(天保14)年の記録では人口1179人、戸数315軒。本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠27軒。
以上の知識を頭において、10月下旬、垂井宿を訪ねた。

たにぐちみち、大垣みち

中山道に面した、格子窓がある旧旅籠「亀丸屋」

JR垂井駅を降りると竹中半兵衛像が迎えてくれた。秀吉の軍師であった竹中半兵衛は美濃で生まれており、垂井はゆかりの地だという。今回の旅のテーマは大谷吉継である。甲冑姿の凛々しい半兵衛の顔を見あげたあと、北に向かった。5、6分歩くと、相川にかかる相川橋のたもとに着いた。
相川は伊吹山の山麓を源とし、関ヶ原盆地経て伊勢湾に注いでいる。相川橋から関ヶ原の山並みが前方に広がり、その向こうに伊吹山が頭を出している。関ヶ原の合戦では、東西両軍の武将たちの陣がおかれたところだ。垂井宿は合戦場間近の宿場なのである。
相川橋をわたると、北のたもとに追分道標の石碑が建っている。1709年、垂井宿の問屋、奥山文左衛門が建てたもので、高さ1・2メートルの自然石に「是より右東海道大垣みち、左木曽街道たにぐちみち」と刻まれている。ここは中山道と美濃路の分岐点なのだ。「たにぐちみち」「大垣みち」と、旅人にわかりやすいように通称名が使われていたのであろう。「たにぐちみち」に進むと、中山道馬籠宿などを経て板橋宿に至る。「大垣みち
の方は東海道宮宿を経て品川宿に至る。吉継は家康に上杉との和睦を求めようとしていたのだから、大垣みちを東に向かうつもりだったであろう。三成の堅い挙兵の意志を知った吉継は、この分岐点でどのように思案したのであろうか。
相川をはさんで追分道標とは反対の南のたもとには「東の見附跡」の案内標識。宿場の江戸側の入り口を示していて、そばに「相川の人足渡跡」の案内板。「宿場の百姓が人足となって旅人を対岸に運んだ。朝鮮通信使などの特別な人には橋をかけた」と記されている。
ここから宿場内の街道を西に向かう。しばらくすると「紙屋塚」と呼ばれる石塚。美濃紙発祥の地とされている。さらに進むと板壁の古い民家。脇本陣に準じる旅籠「亀丸屋」だった家で、1777年に創建。浪花講の指定宿だったといい、上段の間があり、格子窓がその名残をとどめる。
亀丸屋の斜め向かいに数軒の瓦屋根の民家が軒を並べる。問屋場だったところだ。荷物の運送や相川の人足渡の手配などがここで行われていた。すぐそばに「中山道垂井宿本陣跡」の石碑。案内標識によると、「栗田本陣」と呼ばれ、床面積580平方メートルの屋内には約30の部屋があった。中山道に面した御門を入ると16畳の玄関があり、御上段の間は8畳というつくりである。(続く)

エッセー《四文字熟語が世界を暴く004》山梨良平

いや、ネタに困らんわ、この政界は。

白河夜船(しらかわよぶね) 京都見物をしたと嘘をついた人が白河のことを聞かれ、川の名前と思い込み、「夜に船で通ったから知らない」と答えたため、嘘がばれてしまった。実はぐっすり寝ていたと言うわけ。国会の場でも時折見かけられる。「恥を知れ!」と言いたい。

巧言令色(こうげんれいしょく)「少なし仁」と続く。
読んで字のごとく。口先だけでうまいことを言ったり、うわべだけ愛想よくとりつくろったりすること。 人に媚こびへつらうさま。 ▽「巧言」は相手が気に入るように巧みに飾られた言葉。 「令色」は愛想よくとりつくろった顔色。
⇒多いのよ、このような御仁。とにかく票になれば・・・。

天衣無縫(てんいむほう) 天人・天女の衣には縫い目がまったくないことから、文章や詩歌がわざとらしくなく、自然に作られていて巧みなこと。 また、人柄が飾り気がなく、純真で無邪気なさま、天真爛漫らんまんなことをいう。 また、物事が完全無欠である形容にも用いられることがある。
人はこうありたいものだ。特に政治家は…。

 

エッセー《四文字熟語が世界を暴く003》山梨良平

まだまだ続く四文字熟語だが詳しく書く必要もない事態。

思考停止(しこうていし)物事を考えたり、判断することをやめてしまうことを指す。故意に判断しないことが政治の世界には多いような気がする。その心は判断すれば不利になる。マイナカード担当大臣もかたくなに固執しているがきっと思考は完全に停止状態だと思われる。

付和雷同(ふわらいどう)自分にしっかりした考えがなく、むやみに他人の意見に同調すること、またはその状態を指す。よく見るパターンだ。けどご本人は自分の意見だと信じている場合も。政治家に多い。

以心伝心(いしんでんしん)「センセー。そこはそれ、お判りでしょう?」「おぬしも悪よのう」

エッセー《四文字熟語が世界を暴く002》山梨良平

 

四文字熟語を続けよう。

四面楚歌(しめんそか)敵に囲まれて孤立し、助けを求められないことのたとえ。周りに味方がなく、周囲が反対者ばかりの状況をも言う。孤立無援である。先日も某女性大臣が「捏造文書だ」と国会でわめいていたが味方の自民党からも見放されたと言う情報が流れていた。ご本人にすれば四面楚歌の思いだろう。

神出鬼没(しんしゅつきぼつ)鬼神のようにたちまち現れたり隠れたりして、所在が容易には計り知れないこと。政治家によくいるよね。派手に打ち上げて立場が悪くなると懇意の病院へ入院して身を隠す輩。もしくは外遊と称して一時的に海外に逃げるさまも最近そう思わせる。

思考停止(しこうていし)物事を考えたり、判断することをやめてしまうことを指す。故意に判断しないことが政治の世界には多いような気がする。その心は判断すれば不利になる。マイナカード担当大臣もかたくなに固執しているがきっと思考は完全に停止状態だと思われる。

このような政治家にしか恵まれていない国民こそ思考停止だ。

 

Lapiz エッセー《四文字熟語が世界を暴く001》山梨良平

Screenshot 2023-11-20 at 15-38-40 「エッフェル姉さん」松川るい議員が地元会合でマスコミへの恨み節炸裂「毎日、毎日、デマが流され」 (SmartFLASH) – Yahoo!ニュース

近頃気になることが多い。LINEとかSNSの世界では文章を相手に送るのに、主語やタイトルが書かれていない場合が多い。いきなり「○○した?」と用件。返す方も「まだ・・・」と簡潔に返す。まあ二人の会話だから第三者に読ませたりする必要もないし、それでいいのだろうけど、書いているのが若い人だと文章力が極端に落ちるのではないかと余計な心配をしてしまう。(自分のことは棚に上げています)
そこで思いつくままに昔習った四字熟語を思い出して脳の活性化を図ってみた。名探偵ポアロ曰くの「灰色の脳」の活性化だ。いや、もっと端的に書くと認知症が怖い

四文字熟語集

羊頭狗肉(ようとうくにく)羊の頭を看板にかけ、実際は犬(狗)の肉を売る行為を言う。一種の詐欺である。このことから、上(うわ)べが立派でも中身が伴わないことを、羊頭狗肉というようになった。先ごろの自民党女性局の「パリ研修」などもこれにピッタリ。曰く、「とても実りあるパリ研修」と釈明。

鶏鳴狗盗(けいめいくとう)つまらない技でも役に立つという意味らしい。「史記」に見える孟嘗君(もうしょうくん)の故事による。孟嘗君が秦に捕らわれた際、食客の中に、犬の真似をして物を盗むのが得意なものと、鶏の鳴き真似を得意とするものがいたおかげで、逃げ出すことができた。「つまらぬ技でも役に立つ」というたとえにも用いられる。
「百人一首」の「夜をこめて鶏(とり)の空音(そらね)ははかるともよに逢坂(おうさか)の関(せき)はゆるさじ」(清少納言)はこの故事に寄ったと言う。現代政治の世界でも「派閥を渡り歩いて」、「極端な言を用いて、また厚かましく」目立つ人物がマスコミにもてはやされる政治の世界。そう、杉田水脈氏のように。もてはやすマスコミの見識や如何に?

編集長が行く《守れるか神宮外苑の森》Lapiz編集長 井上脩身

神宮外苑の森
神宮外苑の森

~イチョウ並木が泣いている~

東京のど真ん中に位置する明治神宮外苑の再開発事業について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議(イコモス)は9月7日、「文化的遺産が危機に直面している」として、事業者や事業認可した東京都に対し、事業の撤回を求めた。神宮外苑のシンボルであるイチョウ並木がこの計画によって被害を受けるとして裁判まで起きているが、こうした反対運動をイコモスが後押しする形となった。私にはイチョウ並木をはじめ、豊かな森がひろがる神宮外苑にはさまざまな思い出がある。再開発事業は森を壊そうということであるならば、黙っているわけにはいかない。

世界に類例ない文化遺産

聖徳記念美術館を正面に望むイチョウ並木

新聞報道によると、神宮外苑についてイコモスは「市民の献金と労働奉仕によりつくり出された、世界の公園史でも類例のない文化的遺産」と極めて高く評価。「伐採本数は約3000本にのぼり、100年にわたって育まれてきた森が破壊される」と指摘し、三井不動産や明治神宮などの事業者に対し、事業の撤回を要求。東京都に対し、都市計画決定の見直しや、環境影響評価(アセスメント)の再審を求めた(9月8日毎日新聞)。
イコモスがいう100年の歴史を持つ文化的価値とはどういうことであろうか。神宮外苑の再開発認可の取り消しを求める裁判の訴状に、簡潔に記されている。
裁判は2月28日、神宮外苑の近隣住民らが起こした。訴状では、神宮外苑の歴史的価値について、1913(大正2)年2月、徳川家達貴族院議長から桂太郎首相への建議で、内苑を「森厳荘重」、外苑を「公衆優遊」な地区とし、内苑は国費、外苑は献費によって開くことになった。国民からの献金は700万円以上、奉仕した青年団は10万人以上にのぼった。外苑は1926年、わが国最初の風致地区に指定され、現在274ヘクタールが指定地区になっている。
一方、文化的価値について、外苑を「近代的公園」として欧米のパークシステムを参考に、イチョウ並木と街を結び、その軸上に芝生公園が設けられており、「近代風形式庭園」としての文化的価値が認められる。イチョウ並木の延長線上に建てられた聖徳記念絵画館は国の重要文化財に指定されており、イチョウ並木については2012年、文化庁が名勝指定のために全国調査したさい、「重要事例」とされた。こうした経過をふまえ、訴状では「神宮外苑は国際社会に誇れる、近代日本の公共空間を代表する文化的遺産」と指摘した。
ほとんどの都民とって神宮外苑はスポーツ観戦を中心とする憩い場であろう。オリンピックのメーン会場となった新国立競技場、プロ野球・ヤクルトの本拠地で、東京六大学野球が行われる神宮球場、高校野球都大会が行われる神宮第二球場、大学や社会人ラグビーのメッカである秩父宮ラグビー場などがあり、わが国のスポーツの中心地というイメージである。私は学生時代、神宮球場のスタンドから早慶戦の応援をし、秩父宮ラグビー場で行われた大学ラグビーを観戦したものだ。社会人になってからは、東京に出張した際、神宮球場で阪神―ヤクルト戦を見たり、法政大学にいた江川卓投手を目にするため、わざわざ六大学の試合をのぞいたこともある。
思えば、球場やラグビー場の周りは緑が豊富であった。周囲が住宅地である阪神甲子園球場や東大阪市の花園ラグビー場とは大違いなのだ。林や森に対する思い入れは、大阪と東京は根柢から異なるのかもしれない。実際、東京で生まれ育った人が大阪で暮らすようになると、ほとんど例外なく緑が少ないことを嘆くのである。
私は2016年から3年間、横浜で暮らした。街のあちこちで巨木を見かけた。巨木を避けて建てられたマンション、巨木を残して玄関を引っ込ませた民家、大通りの真ん中に立つ巨木などを目にすると、いかに東京やその周辺の人が巨木を大切にしているかがわかる。神宮外苑の森は、巨木が生い茂る公園の象徴的存在といえるだろう。
再開発計画では神宮外苑のなかの高さ3メートル以上の樹木743本が伐採される。高さ3メート以上の成木は高木とされているので、やっと高木に育った樹木をバッサリ切ってしまおうというのが、再開発事業者の考えだ。その発想は、東京やその周辺の人たちの樹木への思いをバッサリとぶった切るものなのである。

鼓動する商業主義

再開発後の神宮外苑予想図(ウィキベテアより)

神宮外苑の再開発事業を行うのは、すでに述べた三井不動産、明治神宮と日本スポーツ振興センター、伊藤忠商事の4団体。事業計画では、「神宮外苑を世界に誇れるスポーツクラスターとして整備する」とし、土地の高度利用を促進して業務・商業などの都市機能を導入する、としている。要するにオフィスビルやホテルを建てようということだ。スポーツを見に来る人が多いこの一帯を、お金儲けセンター的機能も持たせようということでないのか。
当然のことながら、事業主体の4社はこのような露骨な表現はしない。4社がつくる「神宮外苑地区まちづくり準備室」のホームページを開くと、「安らぎも、熱狂も、歴史の鼓動も!」というキャッチコピーが躍る。そして「100年の刻を重ね、神宮外苑が紡いできたみどり、スポーツ、歴史・文化がオープンに混ざり合い、一体化することで、さまざまな鼓動が生まれる」と美辞麗句を並べる。そのうえで、「Green」「Sports」「「Open Space」「History&Culture」と英語で4項目を羅列。「Green」については「外苑のシンボル、4列のいちょう並木を保全」「エリア全体の樹木は既存の1904本から1998本に増やす」などとし、さも緑あふれる夢の外苑のイメージをつくりだしている。
以上のうたい文句のうえで、具体的な再開発として、神宮第二球場を解体して新ラグビー場に、秩父宮ラグビー場はホテル併設の新神宮球場、神宮球場は広場に変える。
なぜわざわざこのような建て替えを行うのだろうか。
訴状によると、現在青山通りに面している伊藤忠ビルを高さ190メートルの超高層ビルに建て替えるほか、ホテルやオフィスが入る185メートルと80メートルのビルが建てられる。このため、3・4ヘクタール分が都市計画公園から削除される。
「お金儲けセンター的機能を持たせようということでないのか」という私の予想は間違いではないようだ。「スポーツ、歴史・文化がオープンに混ざり合う」のでなく、「スポーツと商業主義が混ざり合う」のだ。このために邪魔な森を壊すのであって、金儲けできる団体だけに「鼓動が生まれる」のである。
この計画により、新神宮球場はイチョウ並木の西わずか8メートルのところに移る。ではどうなるか。
私は2018年12月上旬、イチョウ並木を歩いた。
南側の青山通りから並木道に入ると、黄色に色づいたイチョウの葉が陽光を受けてキラキラと輝いていた。長さ200メートルほどのイチョウのトンネルはさながらおとぎの世界。私は夢見心地になった。
並木の西側には数軒のレストランが建っていて、多くの若者でにぎわっていた。このどこかで披露したのであろうか。白いウェディングドレスの女性とタキシード姿の男性が、並木中央に止めてあったオープンカに乗り込むところにであった。
新神宮球場がイチョウ並木そばに越してくれば、こうした風景はなくなり、殺風景な景色になるだろう。文化を紡ぐどころか、若者たちがつくりだした″並木文化″を壊すことになるであろう。

龍一、春樹、サザンが「開発反対」

坂本龍一さん(ウィキベテアより)

昨年11月、日本イコモス国内委員会は、イチョウ並木146本のうち、6本で枝の一部が枯れるなど生育状況に問題があるとの調査結果を公表した。一方、神宮外苑に近い新宿御苑では、地下トンネルを整備して30年後に、トンネルから15メートル以内の約9割が枯れ死していたことが、中央大研究開発機構の調査で明らかになった。こうしたデータを踏まえて、訴状では、(新神宮球場建設のため)地下40メートルに及ぶ杭の施工は、水系を断ってイチョウの根を傷つけ、生育を阻害すると指摘。加えて西側に球場ができることで、日差しにきらめくイチョウ並木の風景が失われるという。
前項で私は「イチョウの葉が陽光を受けてキラキラと輝いていた」と書いた。イチョウ並木にきらめきがなければ、「おとぎの世界」にはならず、したがって「夢見心地」になるはずもない。
自分自身の体験と重ね合わせると、「きらめかないイチョウ並木」になることが、この計画のポイントであることに気づいた。文化破壊の商業主義がイチョウ並木からきらめきを奪うとあれば、反対の声が上がらないのがおかしい。
はたして音楽家の坂本龍一さんは3月28日に亡くなる約1カ月前、小池百合子知事に、計画見直しを求める手紙を出した。手紙は2月24日付で、「世界はSDGsを推進しているが、神宮外苑の開発は持続可能とは思えない」と指摘。「これらの樹々を私たちが未来の子供たちに手渡せるよう、再開発計画を中断し、見直すべきです」と主張し、知事に対し「あなたのリーダーシップに期待します」と呼びかけた。小池知事は記者会見で「事業者である明治神宮にも手紙を送られた方がいいんじゃないでしょうか」と述べた(4月3日、朝日新聞電子版)。坂本さんの期待に反し、小池知事が計画見直しにリーダーシップを発揮した気配はない。もともと関西人である小池知事には、東京の人たちの心に宿る樹木への思いは理解できないであろう。
「ヤクルト・スワローズのファンなので、神宮球場に歩いて行ける所に住んでいた」という作家、村上春樹さんは、坂本さんと40年来の親交があり、「一度壊したものは元に戻らない。神宮外苑の再開発は強く反対」と述べた(7月23日、毎日新聞電子版)。さらにサザンオールスターズの桑田佳祐さんは神宮外苑の再開発を憂える気持ちから作詞作曲した新曲『Relay~杜の詩』を9月2日、発表した。
誰かが悲嘆(なげ)いていた
美しい杜が消滅(き)えるのをAh~
自分が居ない世の中
思い遣るような人間(ひと)であれと
地球が病んで未来を憂う時代に
身近な場所に何が起こってるんだ?
桑田さんは「坂本さんの遺志をつなぐ曲」と説明し、「あれ(木が伐採されること)、なんかもったいない気がすると思って歌詞にした」と話した(9月4日、毎日新聞)。
もしイチョウ並木にきらめきが失われたら。それは単にイチョウにとどまらず、人々にきらめきが失われることになるのでないか。商業主義者のための神宮外苑になれば、お金はきらめいても、人の心は決してきらめかないのだ。
お金か心か。神宮外苑再開発問題は、文化とは何かという根源的な問いかけなのである。

 

とりとめのない話《風と気配と地蔵さんと・その2》中川眞須良

画像はイメージ

金岡の六地蔵
仏教界で人は死後 生前の善行悪行により六つのゆく道に分かれ その各道を指し示し 苦から救うため人の前に仏が姿を変えた存在が「地蔵」とも言われている。旧堺市内から東に伸びる長尾街道を約2キロ 少し北側に昔から特に多くの人々が葬られた事を誰もが知る集団墓地の存在は市の歴史にも記されているが 今はその周囲のフェンスに加え 高層マンション 市の施設 公園 商店などが出来、この場を見通せる場所は少なくなり 関係者のみが知る存在になっているようだ。ただ公園の一角から東側の墓地に目をやれば、伸び放題の雑草の奥に多数の墓石、二十体以上の仏像がならび、公園に接する端には六体の地蔵尊が等間隔で南北方向に西を向いて立っている。いわゆる「六地蔵尊」であることはすぐにわかるが何か別名で呼ばれているのだろうか、公園付近の人に尋ねても誰もが首を傾げるだけなので「金岡の六地蔵」としておく。  “とりとめのない話《風と気配と地蔵さんと・その2》中川眞須良” の続きを読む

原発を考える《核のゴミ処分場選定吹っ飛ばす》文・井上脩身

~対馬市長の国への切り返し~

比田勝尚喜・対馬市長(ウィキベテアより)

長崎県対馬市の比田勝尚喜市長は9月27日、原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場の候補地選定をめぐり、第1段階である文献調査を受け入れないと表明。文献調査を受け入れると国から最大20億円が交付されるが、比田勝市長は「風評被害に懸念がある」と述べた。人口減などから税収が落ち込んでいる自治体をターゲットに、国は文献調査受け入れ先の選定を急いでおり、北海道の寿都町と神恵内村が2020年から受け入れている。国のこうした「カネで横っ面を張る」方式に対し、「20億円など風評被害で吹っ飛ぶ」と具体的な被害予想額を示したのが比田勝発言の最大のポイントであろう。「利益」で迫る国に対し「不利益」で切り返して一本取った比田勝市長。痛快なニュースであった。

「20億円もらい得で済まない」

美しい海岸が広がる対馬(ウィキベテアより)

対馬市は1960年に約7万人の人口を抱えていたが、現在は2万8000人と6割も減少。同市の推計では2045年には1万4000人を割り込むとみられ、基幹産業である漁業や観光業を取り巻く環境は厳しくなっている。こうしたなか、今年に入り建設業団体や市商工会が地域振興の切り札として文献調査受け入れに向けた動きを本格化させ、同市議会は9月12日、調査受け入れを求める請願を賛成10、反対8という僅差で採択。これに対し、比田勝市長は市議会本会議で「市民の間で分断が起こっており、市民の合意形成が十分でないと判断した」と述べ、文献調査を受け入れない意向を明確にした(9月28日毎日新聞)。
比田勝市長の発言は朝日新聞の電子版が詳しいので、以下はその引用である。
市議会では、毎日新聞の記事にある「市民の合意形成不十分」発言につづいて、2点目として風評被害の懸念を表明。「観光業、水産業などへの風評被害が少なからず発生すると考えられる。特に観光業は、韓国人観光客の減少など大きな影響を受ける恐れもある」と述べた。さらに3点目として「(文献調査の)結果によっては次の段階に進むことも想定され、受け入れた以上、適地でありながら次の段階に進まないという考えには至らない」と発言。4点目に挙げたのは最終処分場のリスクである。「最終処分の方法、安全性の担保など将来的に検討すべき事項も多く、人的影響などについて安全だと理解を求めるのは難しい」としたうえで「想定外の要因による安全性、危険性は排除できない。地震などでの放射能の流出も現段階では排除できない」と、最終処分場の危険性を指摘した。
市議会のあと比田勝市長は記者会見に応じた。
市長は「誰に相談したのか」との質問に対し「市民のためにはどんな方法が最適なのか、熟慮に熟慮を重ねた。資源エネルギー庁、NUMO(原子力発電環境整備機構)にも質問状を出したところ、事故が発生した場合の避難計画などは今後、調査を進める中で整理、検討していくとの回答があった。現段階では具体的な内容まで策定されていない」と明かした。文献調査で適地と判断された場合については「それ以上の調査はもう受けられないという判断はできないと思った。ましてや20億円の交付金がいただける。いったん文献調査に入ったら断るのが難しいと判断した。今の段階で受け入れないとする方が国にかける迷惑がむしろ小さくなると考えた」と、20億円もらい得で済ませるわけにはいかないだろうとの常識的判断を示した。
風評被害については、福島第一原発の事故で、韓国との水産物が取引禁止になり、韓国からの大勢の観光客が突然減ったことを挙げた。そして「対馬の水産物水揚げ高は168億円なので、風評被害が1割でも16億円くらいの被害」とし、観光業に関しては「消費効果が180億円を超えている時もあった」として「18億円くらいの被害が出る」と算出。「20億円の交付金ではなかなか代えられない」と述べた。

処理水放出で水産業にダメージ

中国が輸入禁止をするなか、水揚げされるホタテ(ウィキベテアより)

最終処分場の候補地選定をめぐって対馬市の比田勝市長が思案にくれていたころ、東京電力福島第一発電所でたまっている処理水の海への放出にともなって、中国における日本からの輸入が大幅に減少、とくに水産業界が悲鳴をあげている実態がテレビや新聞などで大きく取り上げられていた。
同原発では事故後、原子炉格納容器の底にたまった燃料デブリを冷やすために水を注入。この冷却水がデブリと接してセシウムやストロンチウムなどの放射性物質と混ざって汚染水化。この汚染水をALPS(多核種除去設備)で放射性物質を除去し、敷地内のタンクで保管している。このタンク群がほぼ満杯になったため、政府は8月24日から処理水を同原発の沖合に海洋放出することを決定。放出は廃炉が終わるまで続けられるので、廃炉工程が順調に進んでも、少なくとも30年かかる見通し。2023年度は合計3万1200トンを放出する計画だ。
政府は「処理水」と呼んでいるが、ALPSは放射性物質であるトリチウムを除去できないうえ、他の放射性物質が残る可能性も絶無と言い切れず、「汚染水」と呼ぶ人は少なくない。政府は「トリチウムは皮膚も通さないので、外部被ばくによる人体の影響はない」として、マスコミなどを通じ安全性の浸透を図ろうとした。これを受けて、福島県や東電は9地点で採水してトリチウムの濃度を測定。9月19日の調査では、すべての地点で目標の10ベクレル以下となり、「人や環境への影響がないことを確認した」と発表した。
放出開始前、 IAEA(国際原子力機関)が「放出は安全基準に合致している」との報告書をまとめたこともあって、岸田文雄首相は9月5日、インド・ニューデリーで行われたG20の場で、「国際的にも科学的に安全であることが認められた」とPRにつとめた。
だが、中国は「汚染水を海に流した」と非難。放出開始とともに日本産の水産物の輸入を全面的に停止した。この結果、放出から1カ月がたった9月24日時点では、8月以降の中国の日本からの水産物の輸入額が約30億円と前年の同じ月と比べて67%減少。影響は福島での水揚げ分にとどまらず、全国に拡大。とくに北海道のホタテは行き場がなく、在庫の山になった。政府は漁業者向けに800億円の基金を設けて対応する方針だが、海産物輸出の多くを中国に頼ってきただけに、水産業界の不安は簡単には解消できそうにない。
中国の禁輸には政治的な意図がうかがわれるが、原発に関しては「非科学的でけしからん」と言ってすまされない厄介な問題が常に内在する。誰もがもつ放射能への恐怖である。「安全」と百万回いわれても、「ハイそうですか」とはならない。食べ物ならその地の産出物は口にせず、観光でもその地には行かないという選択をする人が少なくないのが現実なのだ。

処分場ノーに首長から熱い視線

福島の処理水問題をおもうと、対馬市の比田勝市長の風評被害に関する発言は当を得ている。あるいはもっと深刻かもしれない。放射性廃棄物の処分は地下300メートルの深部に埋設するものだが、放射能の危険がなくなるまで1000年から数万年もかかるからだ。気が遠くなるような先まで人類が存在しているとすれば、風評被害も人類がいる間は永遠に続くことになる。
対馬市はこの60年間で人口が6割も減少したことはすでに述べた。報道によると、文献調査賛成派の市議は、「人口をどう増やすか明確なビジョンのない中で反対を表明するのは無責任だ」と比田勝市長を批判している(毎日新聞)。この市議は20億円の交付金が入ると、産業振興事業を行うことができ、人口が増えると考えているのだろう。だが、処分場という「爆弾」を地下に抱えるこの島に喜んで住もうとする人がどれだけいるのだろうか。処分地に選定されれば、人口減少を加速させるだけではないのか。
比田勝市長は対馬市の将来構想について、「SDGs(持続可能な開発目標)の未来都市の選定を受け、漂着している海のゴミを題材にした対馬モデルの利用策を民間企業と取り組んでいる。また、通信速度が極端に落ちる対馬市の通信環境を改善し、IT関係を中心に、企業誘致もこれまで以上に取り組んでいきたい」と抱負を語った。
コロナ禍のなか、業務のオンライン化が進み、地方でも業務を行える例が多く見られた。韓国に近いという地理的要因を最大限生かし、原発や最終処理場に頼らない魅力あるまちづくりができるかどうか。「処分場ノー」を突きつけただけに、その責任は小さくない。処分場選定に手を挙げるべきかどうか、迷っている多くの自治体の首長は、対馬の今後に熱い視線を送るに違いないのである。

原発を考える。《ああ、原子力村》一之瀬明

中国は23年11月15日現在、まだ日本の海産物を全面輸入禁止にしている。理由は岸田政権が「炉心に触れた冷却水」をアルプスで220の核種を68と少なくして海水で薄めて海に流していることのようだ。
当然岸田政権や東京電力はそれで「安全」だと理論的にも科学的にも断言できるとしている。前もって書いておくとチェルノブイリ(旧ソ連)やスリーマイルズ島(アメリカ)では排出されて「炉心に触れた水」は排出されていなかった。デブリに触れた水を排出するのは福島がはじめてである。175万トンもある水をこれから30~50年かけて海に流すことになる。またチェルノブイリでは「炉心が暴走して水蒸気爆発がおき、炉心がむき出し」になったので、炉全体をコンクリートや鉛で混ぜ合わせ核燃料を冷却しなくても臨界が起きないようにした。福島では炉心がむき出しになっていなくそれができなかった。つまり冷却水が必要だったわけである。
当面汚染した冷却水をアルプスで除染するしかないわけである。
誤解しないでおいてほしいが、この作業では単にむき出しの炉を水で冷却するだけであり、根本的な解決にはならない。デブリを取り出して別の所に安全に保管しなくてはならないが、今のところ、この見込みは皆無のようだ。

最後に、福島原発事故は 電源喪失を心配した共産党議員の質問に対して「大丈夫です。ちゃんとやってます と答弁し全く何もしていなかった 。これは故安部氏や東電のいい加減な安全認識でもあった。

それが今、岸田総理と東電が「処理水」は安全だと言うがまさにのど元過ぎればと言うわけである。かように原子力村の結束は堅くゆるぎないことを見せつけられている。そして国民は賛否で分断させられている。