徒然の章《この春のこと》中務敦行

やっとコロナが第五類に。でもこの春はどこか違います。私がこれまで撮ってきた春を振り返ると、桜は4月に咲く花でしたが、関西ではほとんどのところで3月に咲き、しかも気温のせいか、長く咲き続けました。近くの奈良公園は、修学旅行生やインバウンドですっかりコロナ前にもどっています。以下、藤、ツツジ・・・写真をご覧下さい。

以上、開花が毎年早くなってきました。50年前は小学校の入学式(4/1)に満開を迎えていました。

神宿る。《京阪電鉄萱島駅の楠》片山通夫

1972(昭和47)年、京阪電鉄は高架複々線工事に着手、萱島神社のあった場所にホームが移動することになった。クスノキは伐採される予定だったが、住民運動が起きて保存されることになった。この際も、「ご神木を切れば災いが起きるかもしれない」などとの噂が立った。

京阪電鉄は、近隣住民の意を汲んでかホームをぶち抜いた形で件の楠を残した。樹齢700年と推察される楠は写真のようにガラスにおおわれてホームを貫いている。「御霊信仰(ごりょうしんこう)」という信仰がある。御霊信仰とは、人々を脅かすような天災や疫病の発生を、怨みを持って死んだり非業の死を遂げた人間の「怨霊」のしわざと見なして畏怖し、これを鎮めて「御霊」とすることにより祟りを免れ、平穏と繁栄を実現しようとする日本の土着の信仰のことである。
この楠に対しての信仰がそうなのかはわからないが、少なくとも萱島駅周辺の人々は「切ると祟りがある(かも知れない)」と残すよう動いた。

ホームの下には萱島神社がある。一帯は過去には開拓新田だったが、その鎮守として1787年に萱島開拓の祖神を祀ることとなり、宗源の宣旨により豊受大神・菅原道真が勧請・合祀された。明治時代には村社に列格し、「神名社」という社名であったことが1879年)¥(明治12年)の記録にあるが、1907年(明治40年)に一旦廃社となった。京阪電鉄の複々線化で伐採されることになったが、保存の声が高まり、京阪電鉄が神殿を造営・寄進し、1980年7月、「萱島神社」として再興された。

*菅原道真;忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて、寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで上り詰めた。しかし謀反を計画したとして(昌泰の変)、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。死後怨霊と化したと考えられ、天満天神として信仰の対象となる。現在は学問の神、受験の神として親しまれる。太宰府天満宮の御墓所の上に本殿が造営されている。(ウイキペディアより)

徒然の章《紅葉は忘れない》中務敦行

今年の夏は9月まで猛暑が続いた。「今年のもみじはアカンなあ」と思っていた。これまで、暑い夏の秋は葉が枯れたようになって、もみじの撮影はイマイチだった。今年はどうだろう?ところがどうして、きれいに色づきしかも長持ちしたのだ。
11月のなかばから、終わりまで週3~4日を撮影にあてたが、いずこもきれいだった。上越方面から始まり、11月いっぱい。12月になっても撮影可能なところがあると思われる。
「赤目四十八滝」ここの紅葉は山の上の方にある。流れの穏やかな水面に映ったもの。
「霧の朝」は11月の初め、早朝に発生した霧の中での撮影。
「法然院」は京都東山に寺はどこも、人出で賑わい人気の山門には行列ができたとか。
「金剛輪寺」は山内の池に映った紅葉をバックに、落ち葉が浮いてなお参拝者を魅了した。
「北野天満宮」は梅の花で有名だが、もみじ苑が人気だ。写真はコンクリートの通路に散った落ち葉が、踏み固められたもの。
その上に新しい落ち葉が・・・。 “徒然の章《紅葉は忘れない》中務敦行” の続きを読む

心象《丹波の国》片山通夫

丹波の国とは、古くは「たには」とも称し、「旦波」、「但波」、「丹婆」、「谿羽」などの表記も見られる。藤原宮跡出土木簡では例外を除いて全て「丹波」なので、大宝律令の施行とともに「丹波」に統一されたと考えられている。 その中心となるのが京都府亀岡市と福知山市と兵庫県丹波篠山市ではないだろうか。 “心象《丹波の国》片山通夫” の続きを読む