cover story《服部健と言う生き方》片山通夫

三重県に関(亀山市)という町がある。東海道53次のうち47番目の宿場町である。江戸時代の終わり頃から明治時代にかけて建てられた町家が200棟以上も現存しているという。いわゆる「当時の雰囲気が残る町」である。
宿場・関の名は、愛発の関(あらちのせき・越前国)・不破の関(美濃国)とともに「日本三関」に数えられ、670年頃に軍事上の目的で設置された「鈴鹿の関」に由来する。壬申の乱(672年)に大海人皇子(天武天皇)が、鈴鹿の関を閉ざしたことは知られているので歴史は古い。
カバーストーリー
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2018秋号の表紙が決まりました!

ボク(片山通夫)にとって、とても記憶に残った話の一つがこのスプーンにまつわる話だ。ユジノサハリンスクで一人の女性に出会った。彼女はボクにこう言った。「大叔父の遺骨を韓国の国際墓地に移送したいのです」
(秋号CoverStoryから)

Lapiz2018夏号《coverstory 鄭泰植の挑戦》:片山通夫

ソ連軍の樺太侵攻と敗戦

鄭泰植(左写真)は1930年(昭和5年)12月生まれというから、今年87歳になる。植民地朝鮮で生まれ1943年に樺太で働く父・好潤(ホユン)を頼って西柵丹へ渡った。戦況が厳しくなるにつれて、樺太の石炭を本土へ運ぶことができなくなった。制海権を敵側に奪われて来たのである。日本政府は樺太の炭鉱の閉鎖を決め、炭鉱夫など労働者を本土の常磐炭鉱と筑豊炭鉱へ移動させた。好潤は九州の筑豊炭鉱へ移動し、そこで日本の敗戦を知った。その頃、好潤の帰りを待つ泰植たちの一家の住む樺太はソ連軍によって攻撃されていた。樺太の敗戦は8月19日以降に徐々に進んだものの、ソ連軍の上陸作戦による戦線拡大もあった。8月23日頃までに日本軍の主要部隊との停戦が成立し、8月25日の大泊(現コルサコフ)占領をもって樺太の戦いは終わった。 “Lapiz2018夏号《coverstory 鄭泰植の挑戦》:片山通夫” の続きを読む

2018春号《海の見える無人駅・函館本線朝里駅》

北海道の函館本線(函館駅から長万部駅、小樽駅、札幌駅を経由して旭川市の旭川駅を結ぶ)に朝里という名の駅がある。北海道は札幌周辺はともかくほとんど過疎化が進んでいて、無人駅はそれこそ無数にある。
朝里駅はそれでも有名な駅なのである。記事は下記のPDFで!
朝里駅(PDF)