Lapiz2019Spring カバーストーリー:片山通夫

ロシア・サハリン州立美術館 「極東地域の芸術」コレクション  

主任学術研究員 オルガ ニコラェウナ さん

オルガ ニコラェウナ さん (写真上)には、先月、サハリン州立美術館でばったりと会った。

「片山さん、美術館へ来る時間ありますか?」
(美女に誘われて断ることはできないボクなのだ)
「もちろん、行きますよ」

かいつまんで言うと彼女の話は以下の通り。

求む!日本の芸術文化

 この美術館は1983年に開設され、昨年がちょうど創立30周年だった。

収納物の点検も行ったが、この建物もそうだが、樺太時代のものも多くはないが所蔵している。しかしいわゆる生活雑器が主で、博物館が所蔵するような品物ばかりである。

 この島には韓国系の人々も多い。ある韓国人が韓国の所蔵物を見てその貧弱なもの、つまりとても美術品と言えるようなものがなかったことに驚いて、帰国されてから、いくつもの磁器や陶器など、美術品として恥ずかしくないものを寄贈していただいた。

  しかし残念なことに樺太に深くかかわりのある日本のものはとても貧しいものしかない

オルガさんはこう続ける。

「もし日本の方のご厚意で日本の伝統的な芸術品を寄贈していただけるならとてもうれしい。勿論当美術館で大切に保管して、サハリンの人々に末永く見ていただけるよう十分な配慮をするつもりです」

 彼女はとても厚かましいのですがと、はにかみながら

「陶磁器、特に伊万里、九谷など、また日本の伝統的な着物、例えば花嫁衣装や男性の羽織袴、また歴史的な価値を見出すことのできる雛人形など人形も素晴らしいものがあります。これらの品々がもしご家庭の納戸などに眠っているなら寄贈していただければとてもうれしい」と懸命に訴える。

もし読者のご家庭や会社でしまられてしまっている美術品などがあればぜひサハリン州立美術館に寄贈していただければと思う。

 そんな場合は以下までご連絡いただきたい。
mk*609studio.com
*は@に置き換えてください。

オルガ ニコラェウナ さんと現在のサハリン州立美術館


美術館の中のオルガさん
美術館の中のオルガさん

サハリン州立美術館(旧北海道拓殖銀行豊原支店)
サハリン州立美術館(旧北海道拓殖銀行豊原支店)

cover story《服部健と言う生き方》片山通夫

三重県に関(亀山市)という町がある。東海道53次のうち47番目の宿場町である。江戸時代の終わり頃から明治時代にかけて建てられた町家が200棟以上も現存しているという。いわゆる「当時の雰囲気が残る町」である。
宿場・関の名は、愛発の関(あらちのせき・越前国)・不破の関(美濃国)とともに「日本三関」に数えられ、670年頃に軍事上の目的で設置された「鈴鹿の関」に由来する。壬申の乱(672年)に大海人皇子(天武天皇)が、鈴鹿の関を閉ざしたことは知られているので歴史は古い。
カバーストーリー
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2018秋号の表紙が決まりました!

ボク(片山通夫)にとって、とても記憶に残った話の一つがこのスプーンにまつわる話だ。ユジノサハリンスクで一人の女性に出会った。彼女はボクにこう言った。「大叔父の遺骨を韓国の国際墓地に移送したいのです」
(秋号CoverStoryから)

Lapiz2018夏号《coverstory 鄭泰植の挑戦》:片山通夫

ソ連軍の樺太侵攻と敗戦

鄭泰植(左写真)は1930年(昭和5年)12月生まれというから、今年87歳になる。植民地朝鮮で生まれ1943年に樺太で働く父・好潤(ホユン)を頼って西柵丹へ渡った。戦況が厳しくなるにつれて、樺太の石炭を本土へ運ぶことができなくなった。制海権を敵側に奪われて来たのである。日本政府は樺太の炭鉱の閉鎖を決め、炭鉱夫など労働者を本土の常磐炭鉱と筑豊炭鉱へ移動させた。好潤は九州の筑豊炭鉱へ移動し、そこで日本の敗戦を知った。その頃、好潤の帰りを待つ泰植たちの一家の住む樺太はソ連軍によって攻撃されていた。樺太の敗戦は8月19日以降に徐々に進んだものの、ソ連軍の上陸作戦による戦線拡大もあった。8月23日頃までに日本軍の主要部隊との停戦が成立し、8月25日の大泊(現コルサコフ)占領をもって樺太の戦いは終わった。 “Lapiz2018夏号《coverstory 鄭泰植の挑戦》:片山通夫” の続きを読む