冬の夜更けは・・山城の国物語005《第26代継体天皇-02》片山通夫

田中の集落・高島市

もう少し継体天皇の謎を書いてみたい。最も興味を持った筆者が戯れに書いているだけなので、そのつもりでお読みいただきた。
コロナの影響と寒波襲来の中、滋賀県高島市へ出かけた。目的は継体天皇の出自を肌で感じるため。幸いにして雪も降らなかって、というか晴天に恵まれて田んぼの雪がまぶしかった。 “冬の夜更けは・・山城の国物語005《第26代継体天皇-02》片山通夫” の続きを読む

冬の夜更けは・・山城の国物語004《第26代継体天皇-01》片山通夫

継体天皇像

 

第26代継体天皇。その出自から謎に満ちている。継体天皇の生涯を書き始めると数冊の書物が書けるのではないかと思われるほど、エピソードがあり、また正確に書くことが出来ない謎の人物だった。ともあれ、継体天皇は木津川をはじめとする淀川水系を手中にした。ひょっとして天皇のご先祖は河童の精だったのかと実に失礼なことを思い浮かべたりもした。

ところで継体天皇はそれまでの天皇(大王)の系とは違う系譜の方だったようだ。当時の天皇・武烈天皇が崩御、しかし彼に跡継ぎがいなかったため、時の実力者・大伴金村(おおとものかなむら)らが次の天皇を選ぶことになって、近江高島生まれで越前にいた応神天皇から5代目の子孫にあたる男大迹(おをど)王を推挙したとある。 “冬の夜更けは・・山城の国物語004《第26代継体天皇-01》片山通夫” の続きを読む

冬の夜更けは・・山城の国物語003《目まぐるしい遷宮・遷都》片山通夫

謎に満ちている継体天皇が山城国で造宮したのには訳があった。しかしその前にここでは目まぐるしく変わる遷都・遷宮を見てみることとする。

天皇の『遷都の詔』が出された上での平城京への遷都(710年)→長岡京への遷都(784年)→平安京への遷都(794年)の3回だけで次に述べるのは遷宮というわけである。ただこの区分けもいささか疑問が残るので、通常言われている遷都を使うこととする。

写真:樟葉の宮跡

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冬の夜更けは・・山城の国物語002《古墳時代の木津川あたり》片山通夫

 Lapiz2021冬号で【山城の国物語《木津川界隈》】を書き始めた。もう少し深くこのあたりのことを調べてみようと思う。

古墳のあったところからJR奈良線と木津川方面を見る

山城の国の歴史は古い。古墳時代にさかのぼる。3世紀頃の古墳が見t目られるほどである。その古墳に椿井大塚山古墳がある。椿井は「つばい」と読む。ちょうどJR奈良線が木津駅から京都へ向かってしばらく
進むと右側、木津川を望む丘陵に立地する。時代は古く古墳時代前期はじめに造成された前方後円墳である。奈良桜井市の箸墓古墳が造成された時代とほぼ同じ時代に匹敵する。もっと言えば邪馬台国の時代だといえる。 “冬の夜更けは・・山城の国物語002《古墳時代の木津川あたり》片山通夫” の続きを読む

冬の夜更けは・・・山城の国物語《木津川界隈》片山通夫

継体天皇像

初めに。
筆者が何年も前からこよなく愛している地域の一つに南京都地区がある。その地域にはけっこうな歴史があることに気が付いたのである。何しろその条件がそろっている。南に明日香、平城、北には平安の都、そして水運と開墾に十分な水量を誇り難波の海に最後は注ぐ木津川。真に条件が整いすぎていると思う。
かの継体天皇が明日香の都をうかがった地域でもある。継体天皇に関しては、井上満朗氏(歴史学者、京都産業大学名誉教授)の「継体天皇と河内馬飼首荒籠」という論文に詳しい。
この地域は古来「山城国」と呼ばれた。「やましろ」は、古くは「山背」「山代」と記され、7世紀に「山背国」という表記で国が建てられた。 この名称は、平城京から見て「奈良山のうしろ」にあたる地域であることから来ていると云われている。 “冬の夜更けは・・・山城の国物語《木津川界隈》片山通夫” の続きを読む