編集長が行く《吹田事件の現場を訪ねる 02》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身

神社前の狭い広場で激突?

阪急石橋阪大前駅の阪大側改札口付近
デモ隊と警察が衝突した須佐之男命神社

1月末、私は吹田事件の現場を訪ねた。すでに述べたように、阪大グラウンドでの集会の後、デモ隊は二手にわかれている。人民電車部隊コースをとった一団は阪急石橋(現石橋阪大前)駅に向かい、上りホームで気勢をあげ、人民電車の発車を要求、臨時電車で大阪方面に向かったという。
その現場である石橋阪大前駅上りホーム。私が自宅から大阪に行く際に利用する阪急電車はこの駅を通る。同駅から阪大に通じる商店街にある鍼灸院に何度か通ったことがあり、この駅は知り尽くしている。上りホームは箕面線ホームとの分岐点にもなっていて、そこに改札口が設けられている。改札口辺りは事件のとき、現在と同様、比較的広いスペースがあったであろう。おそらくそこでデモ隊は団子状になり、勢いあまって「人民電車を出せ」と要求したのであろう。 “編集長が行く《吹田事件の現場を訪ねる 02》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その93《日本の島の数》渡辺幸重

以前の地図(上)と最新の地図(下)=江の島の例

 本コラム(その85)で、日本の島を国土地理院の電子国土基本図で数え直した結果、15,528島であることがわかった、とお伝えしました。これは『新版 日本の島事典』の監修・編著者である長嶋俊介・鹿児島大学名誉教授(元日本島嶼学会会長)が「周囲0.1㎞以上の自然島+周囲0.1㎞未満の名前が付いた島」という基準で数えたものですが、国土地理院は2月28日、「電子国土基本図を基に我が国の島を一定の条件のもと数えた結果、14,125島となった」と発表しました。これまで国の公式数値は海上保安庁が1987(昭和62)年に公表した「6,852島」でしたが、これで日本の島の数は公式にも1万島を超えたことになります。これは測量技術の進歩により地図で詳細に陸地が表現されるようになったため以前はなかった小さな島や岩が地図の上で数えられるようになったことを反映しています。

 国土地理院の“一定の条件”とは「法令等に基づく島のほか、地図に描画された陸地のうち自然に形成されたと判断した周囲長0.1km以上の陸地を対象とした」ということです。法令等とは離島振興法や有人国境離島法などのことで、有人国境離島法には周囲長0.1km未満の島嶼も含まれています。なお、湖沼等内水面にある陸地は含まれません。従って、国公式版と『島事典』版の数の違いは、後者が周囲長0.1km未満の陸地で法令等に基づかない名前付きの無人島を入れた分だけ多くなるということになります。ちなみにすべての島嶼となると、国公式版は「電子国土基本図に描画された全ての陸地は120,729(令和41月時点)」とし、島事典版は「名前のない周囲0.1㎞未満の岩礁や人工島も含めたすべての島・岩礁を地図データから拾うと114,886」としています。ただし、国土地理院が「自然の地形である島は、ある時点での我が国の国土の一面を表したものであり、地殻変動等や計数時点での測量技術の進歩の影響を受けうる」というように、島の数は絶えず変化します。

 島の数を都道府県別にみると多い順に、長崎県1,479(『島事典』版では1,693)、北海道1,473(同1,585)、鹿児島県1,256(同1,415)、岩手県861(同947)、沖縄県691 (同728)、宮城県666(同733)となっています。

片山通夫写真集 “ONCE UPON A TIME” Lapiz 誌上予告展001

ようやく懸案の1,960年代から撮りためた、片山通夫写真集 “ONCE UPON A TIME”が出来上がりました。編集をしてくださいました戸上泰徳氏にはさんざん無理を言ってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ただただ感謝あるのみです。

神宿る。《京都・糺すの森にて》片山通夫

糺の森のご神木。下鴨神社境内の原生林の中だから、もう森全体が神域のご神木群。

糺の森は京都の北、京阪電車の北の終点、出町柳駅から歩いて10分ほどのところにある下賀茂神社の境内にある原生林を指す。「ただすのもり」と読む。この糺すは「事の是非・真偽・事実や真相などを追及すること。問い質す(といただす)こと。「質す(ただ-す)」よりも厳しい追及のニュアンスがある語彙」と辞書にあるように厳しく問いただすというようなニュアンスらしい。

この名前の由来だが、「偽りを糺すの意とするほか、賀茂川と高野川の合流点であることに起因して只洲とする説、清水の湧き出ることから直澄、多多須玉依姫の神名に由来するという説などの各説がある。他に、木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)にある元糺の池およびその周辺の元糺の森から遷された名前であるという意見もある。 (この項ウイキぺディア)

ちょっとエッセー《夏の時間》山梨良平

イメージ「水撒き」

暑い!お盆だ。テレビは相変わらず。清涼は白球を追う高校球児。見るともなくテレビを見ながらぼんやりと過ごす時間がここち良い。夕刻になると、いささかの風が吹き猫の額ほどの庭に水を撒く。打ち水と言うほどの風情もない。しかし夕方の太陽に向かって水を撒くと時には虹を見る。虹が木の葉と絡みしずくとなってしたたる様にいささかだが涼を覚える。

今日の新聞を読んでいなかったことを思い出して手に取るが、眼は「猫の額」と名付けた庭のヒイラギのとげから、先ほど撒いた水がまだとどまっているのを見つけて一人喜んで新聞には眼を移さない。そういえばヒイラギは木へんに冬と書く。椿は春の木、夏は榎(えのき)、そして秋は・・・。えっ?木へんに秋? 楸は「ひさぎ」と読むらしい。猫の額も時には役に立つ。それにつけても暑い日が続くものだ。 “ちょっとエッセー《夏の時間》山梨良平” の続きを読む