原発を考える《核のゴミ処分場選定吹っ飛ばす》文・井上脩身

~対馬市長の国への切り返し~

比田勝尚喜・対馬市長(ウィキベテアより)

長崎県対馬市の比田勝尚喜市長は9月27日、原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場の候補地選定をめぐり、第1段階である文献調査を受け入れないと表明。文献調査を受け入れると国から最大20億円が交付されるが、比田勝市長は「風評被害に懸念がある」と述べた。人口減などから税収が落ち込んでいる自治体をターゲットに、国は文献調査受け入れ先の選定を急いでおり、北海道の寿都町と神恵内村が2020年から受け入れている。国のこうした「カネで横っ面を張る」方式に対し、「20億円など風評被害で吹っ飛ぶ」と具体的な被害予想額を示したのが比田勝発言の最大のポイントであろう。「利益」で迫る国に対し「不利益」で切り返して一本取った比田勝市長。痛快なニュースであった。

「20億円もらい得で済まない」

美しい海岸が広がる対馬(ウィキベテアより)

対馬市は1960年に約7万人の人口を抱えていたが、現在は2万8000人と6割も減少。同市の推計では2045年には1万4000人を割り込むとみられ、基幹産業である漁業や観光業を取り巻く環境は厳しくなっている。こうしたなか、今年に入り建設業団体や市商工会が地域振興の切り札として文献調査受け入れに向けた動きを本格化させ、同市議会は9月12日、調査受け入れを求める請願を賛成10、反対8という僅差で採択。これに対し、比田勝市長は市議会本会議で「市民の間で分断が起こっており、市民の合意形成が十分でないと判断した」と述べ、文献調査を受け入れない意向を明確にした(9月28日毎日新聞)。
比田勝市長の発言は朝日新聞の電子版が詳しいので、以下はその引用である。
市議会では、毎日新聞の記事にある「市民の合意形成不十分」発言につづいて、2点目として風評被害の懸念を表明。「観光業、水産業などへの風評被害が少なからず発生すると考えられる。特に観光業は、韓国人観光客の減少など大きな影響を受ける恐れもある」と述べた。さらに3点目として「(文献調査の)結果によっては次の段階に進むことも想定され、受け入れた以上、適地でありながら次の段階に進まないという考えには至らない」と発言。4点目に挙げたのは最終処分場のリスクである。「最終処分の方法、安全性の担保など将来的に検討すべき事項も多く、人的影響などについて安全だと理解を求めるのは難しい」としたうえで「想定外の要因による安全性、危険性は排除できない。地震などでの放射能の流出も現段階では排除できない」と、最終処分場の危険性を指摘した。
市議会のあと比田勝市長は記者会見に応じた。
市長は「誰に相談したのか」との質問に対し「市民のためにはどんな方法が最適なのか、熟慮に熟慮を重ねた。資源エネルギー庁、NUMO(原子力発電環境整備機構)にも質問状を出したところ、事故が発生した場合の避難計画などは今後、調査を進める中で整理、検討していくとの回答があった。現段階では具体的な内容まで策定されていない」と明かした。文献調査で適地と判断された場合については「それ以上の調査はもう受けられないという判断はできないと思った。ましてや20億円の交付金がいただける。いったん文献調査に入ったら断るのが難しいと判断した。今の段階で受け入れないとする方が国にかける迷惑がむしろ小さくなると考えた」と、20億円もらい得で済ませるわけにはいかないだろうとの常識的判断を示した。
風評被害については、福島第一原発の事故で、韓国との水産物が取引禁止になり、韓国からの大勢の観光客が突然減ったことを挙げた。そして「対馬の水産物水揚げ高は168億円なので、風評被害が1割でも16億円くらいの被害」とし、観光業に関しては「消費効果が180億円を超えている時もあった」として「18億円くらいの被害が出る」と算出。「20億円の交付金ではなかなか代えられない」と述べた。

処理水放出で水産業にダメージ

中国が輸入禁止をするなか、水揚げされるホタテ(ウィキベテアより)

最終処分場の候補地選定をめぐって対馬市の比田勝市長が思案にくれていたころ、東京電力福島第一発電所でたまっている処理水の海への放出にともなって、中国における日本からの輸入が大幅に減少、とくに水産業界が悲鳴をあげている実態がテレビや新聞などで大きく取り上げられていた。
同原発では事故後、原子炉格納容器の底にたまった燃料デブリを冷やすために水を注入。この冷却水がデブリと接してセシウムやストロンチウムなどの放射性物質と混ざって汚染水化。この汚染水をALPS(多核種除去設備)で放射性物質を除去し、敷地内のタンクで保管している。このタンク群がほぼ満杯になったため、政府は8月24日から処理水を同原発の沖合に海洋放出することを決定。放出は廃炉が終わるまで続けられるので、廃炉工程が順調に進んでも、少なくとも30年かかる見通し。2023年度は合計3万1200トンを放出する計画だ。
政府は「処理水」と呼んでいるが、ALPSは放射性物質であるトリチウムを除去できないうえ、他の放射性物質が残る可能性も絶無と言い切れず、「汚染水」と呼ぶ人は少なくない。政府は「トリチウムは皮膚も通さないので、外部被ばくによる人体の影響はない」として、マスコミなどを通じ安全性の浸透を図ろうとした。これを受けて、福島県や東電は9地点で採水してトリチウムの濃度を測定。9月19日の調査では、すべての地点で目標の10ベクレル以下となり、「人や環境への影響がないことを確認した」と発表した。
放出開始前、 IAEA(国際原子力機関)が「放出は安全基準に合致している」との報告書をまとめたこともあって、岸田文雄首相は9月5日、インド・ニューデリーで行われたG20の場で、「国際的にも科学的に安全であることが認められた」とPRにつとめた。
だが、中国は「汚染水を海に流した」と非難。放出開始とともに日本産の水産物の輸入を全面的に停止した。この結果、放出から1カ月がたった9月24日時点では、8月以降の中国の日本からの水産物の輸入額が約30億円と前年の同じ月と比べて67%減少。影響は福島での水揚げ分にとどまらず、全国に拡大。とくに北海道のホタテは行き場がなく、在庫の山になった。政府は漁業者向けに800億円の基金を設けて対応する方針だが、海産物輸出の多くを中国に頼ってきただけに、水産業界の不安は簡単には解消できそうにない。
中国の禁輸には政治的な意図がうかがわれるが、原発に関しては「非科学的でけしからん」と言ってすまされない厄介な問題が常に内在する。誰もがもつ放射能への恐怖である。「安全」と百万回いわれても、「ハイそうですか」とはならない。食べ物ならその地の産出物は口にせず、観光でもその地には行かないという選択をする人が少なくないのが現実なのだ。

処分場ノーに首長から熱い視線

福島の処理水問題をおもうと、対馬市の比田勝市長の風評被害に関する発言は当を得ている。あるいはもっと深刻かもしれない。放射性廃棄物の処分は地下300メートルの深部に埋設するものだが、放射能の危険がなくなるまで1000年から数万年もかかるからだ。気が遠くなるような先まで人類が存在しているとすれば、風評被害も人類がいる間は永遠に続くことになる。
対馬市はこの60年間で人口が6割も減少したことはすでに述べた。報道によると、文献調査賛成派の市議は、「人口をどう増やすか明確なビジョンのない中で反対を表明するのは無責任だ」と比田勝市長を批判している(毎日新聞)。この市議は20億円の交付金が入ると、産業振興事業を行うことができ、人口が増えると考えているのだろう。だが、処分場という「爆弾」を地下に抱えるこの島に喜んで住もうとする人がどれだけいるのだろうか。処分地に選定されれば、人口減少を加速させるだけではないのか。
比田勝市長は対馬市の将来構想について、「SDGs(持続可能な開発目標)の未来都市の選定を受け、漂着している海のゴミを題材にした対馬モデルの利用策を民間企業と取り組んでいる。また、通信速度が極端に落ちる対馬市の通信環境を改善し、IT関係を中心に、企業誘致もこれまで以上に取り組んでいきたい」と抱負を語った。
コロナ禍のなか、業務のオンライン化が進み、地方でも業務を行える例が多く見られた。韓国に近いという地理的要因を最大限生かし、原発や最終処理場に頼らない魅力あるまちづくりができるかどうか。「処分場ノー」を突きつけただけに、その責任は小さくない。処分場選定に手を挙げるべきかどうか、迷っている多くの自治体の首長は、対馬の今後に熱い視線を送るに違いないのである。

原発を考える。《原発事故による甲状腺がん発症者数判明》文 井上脩身

宗川吉汪・京都工芸繊維大学名誉教授(ウィキベテアより)

 福島第1原発の事故によって甲状腺がんを患ったとして6人が東京電力を訴えた「子ども甲状腺がん訴訟」が重大な局面を迎えた。政府や東電が、事故とがんの因果関係を否定するなか、宗川吉汪・京都工芸繊維大学名誉教授が、福島県で行われた検査データを詳細に分析し、事故による甲状腺がん発症者数を科学的に明らかにしたからである。宗川氏は分析プロセスを『福島小児甲状腺がんの「通常発症」と「被ばく発症」』(文理閣)として、本にまとめて刊行。甲状腺がん訴訟の原告たちを勇気づけるだけでなく、裁判の行方に大きく影響するのは必至である。

 

無理な県の因果関係否定論

『福島小児甲状腺がんの「通常発症」と「被ばく発症」』の表紙

 原発事故と甲状腺がん発症の因果関係については、福島県が2011年、事故当時18歳以下の県民37万人を対象に1巡目検査を行い、以降は2011年度に生まれた1万人を加えて、2巡目(2014,15年度)、3巡目(2016,17年度)の検査が行われた。検査によって判明した患者数、罹患率(人口10万人あたり)についてA(避難区域13市町村=大熊町、楢葉町、南相馬市など)、B(A地区以外の中通り12市町村=福島市、郡山市など)、C(A地区以外の浜通りとB地区以外の中通り17市町村=いわき市、相馬市、須賀川市など)、D(会津地方17市町村=会津若松市、喜多方市など)の4区域に分けて公表された。

1、2巡目の結果は以下の通りである。

 1巡目(患者数計115)

  A地区 患者数14  罹患率45・8

  B地区 患者数56  罹患率56・7

  C地区 患者数33  罹患率55・3

  D地区 患者数12  患者数50・8

 2巡目(患者数計71)

  A地区 患者数17  罹患率65・6

  B地区 患者数35  罹患率37・4

  C地区 患者数14  罹患率22・2

  D地区 患者数 5  罹患率19・0

 3巡目は患者数計31、4巡目は患者数37。(地区別内訳は省略)

 宗川氏はこの結果から、調査に当たった福島県の県民健康調査検討委員会の評価部会は「検査2巡目で発見された甲状腺がんには原発事故の影響が出ている」との結論を出すと思った。しかし2019年6月、同部会は「避難区域13市町村、中通り、浜通り、会津地方の順に(罹患率が)高かった」と認めながら「検査年度、検査間隔など他の多くの要因が影響を及ぼしている」とし、事実上、事故と発症の因果関係を否定した。

 1巡目のデータで地域差が出なかったのは、事故から時間がたっていないことが関係しているのであろう。しかし、事故から3,4年を経た2巡目では地区によって差が大きくなっていることは誰の目にも明らかだ。しかも、放射線量が高かった地域で罹災率が高くなっているのだから、事故の影響とみるのがまっとうな判断であろう。

ではなぜ部会は無理な結論に至ったのであろう。「事故が甲状腺がんを引き起こした、という結論は困る」という国や県の圧力があったと疑うしかないだろう。宗川氏は同書のなかで「初めに結論ありきで、地域差を否定した」という。

かねて小児甲状腺がんについては年間100万人に数人しか発症しないといわれていた。しかし宗川氏によると、のどの腫物、声がしゃがれる、のみ込みにくいなどの症状が現れず、無自覚のまま発症していることがほとんどで、発症数実態は正確には捉えられていなかった。そこで宗川氏は検査データを基に、原発事故前の福島の小児甲状腺がんの「通常発症」の頻度の解析を行った。患者数がわかっているのだから、通常発症数を差し引いた数字が被ばく発症数になるのである。

罹患率高い避難地区

子ども甲状腺がん訴訟の原告たち(ウィキベテアより)

宗川氏はまず1巡目検査結果から、各地区ごとの事故時の推計をした。事故からの経過年数を横軸に、罹患率を縦軸にしてその推移をグラフにして値を導くのが宗川氏の手法。その計算式の説明は数学が苦手な私には手にあまる。プロセスを省くことをご容赦願いたい。

計算の結果導かれた事故前の患者数はA地区9人(全数14人)、B地区28人(同56人)、C地区16人(同33人)、D地区6人(同12人)、4地区合計59人(同115人)。

全数引く事故前患者数が事故後患者数である。その数字はA地区5人、B地区28人、C地区17人、D地区12人、4地区合計56人。この事故後患者数が原発事故による被ばく患者数と推計できるのだ。

2巡目以降も同様の手法で計算した通常発症数と被ばく発症数は次の通り(1巡目は前述と重複)。

1巡目

 通常発症25 被ばく発症31、計56

2巡目

 通常発症29、被ばく発症42、計71

3巡目

 通常発症22、被ばく発症9、計31

4巡目

 通常発症20、被ばく発症17、計37

 2巡目の検査の際、事故による被ばく発症者が急増していたことがデータ上明白になった。しかし1巡目、つまり事故の直後から発症した例も少なくないことも浮かび上がった。

同書には事故後の地区ごとの被ばく発症割合もまとめられている。

A地区 全患者数30、被ばく発症数18、被ばく発症割合60・0%

B地区 全患者数89、被ばく発症数50,被ばく発症割合56・2%

C地区 全患者数56、被ばく発症数24,被ばく発症割合42・9%

D地区 全患者20、被ばく発症数7、被ばく発症割合35・0%

このデータをみても、放射性物質の飛散量の多い地区ほど甲状腺がん罹患率が高いことが歴然としている。

福島県では2017年度から2020年度まで、25歳時の検査が行われた。以下はその結果である。 

2017年度 受診者数2324、患者数2、罹患率(人口10万人当たり)86・1

2018年度 受診者数2224、患者数4、罹患率179・9

2019年度 受診者数1754、患者数5、罹患率285・1

2020年度 受診者数1812、患者数2、罹患率110・4

合計 受診者数8114、患者数13、罹患率160・2

宗川教授の計算では、受診者全員が1巡目から受信し、25歳で初めて発症したと仮定すると、通常発症患者はゼロ人、受診者全員が25歳まで受診しなかった場合、通常発症者は1人になる。したがって25歳時に発症した患者13人のうち12人が被ばく発症になる。

福島県の検査で発見された小児がんの原因については、「被ばく多発説」と「スクリーニング多発説」の二つに分かれる。被ばく多発説は検査で見つかった甲状腺がんのほとんどは放射線被ばくによって発症したというものだ。一方、スクリーニング発見説は超音波検査によるスクリーニングで見つかったもので、放射線被ばくと無関係に発症したという意見だ。

宗川氏は自ら解析して得たデータから、被ばく多発説、スクリーニング多発説のいずれも「正しくない」と結論づけた。

 問題はスクリーニング多発説が国、県、東電にお墨付きを与え、放射線被ばくによるがんの発症をなかったことにしようとする姿勢である。宗川氏はスクリーニング多発説について「検査で見つかったがんがすべて通常発症であるなら、検査2巡目でなぜ地域差が出るのか。25歳時検査での罹患率が異様に高いのはなぜか。被ばく発症を無視したのでは説明できない」と、痛烈に批判している。

全ての患者の救済が課題

2022年1月27日、小泉、細川、菅、鳩山、村山の5元首相が、原発をクリーンエネルギーとして認める方針を示した欧州委員会に、原発使用を止めるよう要請する手紙を送った。この中に「多くの子どもたちが甲状腺がんに苦しみ」とあるくだりに、高市早苗自民党政調会長(当時)らがかみついた。「甲状腺がんに事故の影響がないことは福島県の専門家の会議が認めており、誤った情報は言われない差別を助長する」というのであった。

5元首相の手紙送付と同じ日、原発事故当時6~16歳で、事故後の検査で甲状腺がんと診断された6人が、被ばくで発症したとして東京電力に損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。弁護団長は2006年3月、金沢地裁の裁判長として志賀原発の運転差し止めを命じた井戸謙一氏、副団長は数多くの原発訴訟の弁護をしている渡海雄一氏らという強力な布陣である。

原告は「小児甲状腺がんは100万人に2人程度の希少がん」としたうえで①原告らは全員相当量の被ばくをした②甲状腺がんの危険因子は放射線被ばく③原発事故後、福島で小児甲状腺がんが多発――などを挙げて、「原告が甲状腺がんを発症したのは東電の事故が原因」と主張した。

訴訟を起こしたとき、記者会見で原告たちは「甲状腺がんのことは他人に言えず、完全に孤立してきた」「声をあげると差別の恐怖があるので、今まで声をあげられなかった」などと心の苦しみを口々に語った。本稿でみたように、県の検査で250人以上の患者が見つかっている。だが、原告になろうと奮い立たせた勇気ある人は結局6人だけだった。

宗川氏は「百万人に数人は明らかな過小評価」とするが、甲状腺患者の半数以上は被ばくによる発症であることを突き止めたのは宗川氏である。高市氏らは「原発事故で甲状腺がんが起きたという誤報によって差別が助長された」と主張するが、事実は全くの逆なのだ。「原発で甲状腺がんは発症しない」というウソが患者を苦しめてきたのである。いわれなき差別を助長したのは国であろう。

宗川氏は言う。「甲状腺検査によって発見された甲状腺がん患者が通常発症なのか被ばく発症なのか、特定することはできない。それゆえ、すべての患者を救済することを原則としなければならない」

宗川氏の分析によって、原発事故によって甲状腺がんが発症したことが明らかになった以上、裁判は原告勝訴にならねばならない。そして、事故後、小児甲状腺がんを患ったすべての人に対し、国は救済措置を取らねばならない。 しかし、岸田政権は、甲状腺がんの原因にほおかむりしたまま原発再稼働を進めようとしている。原発事故の真実を隠す政治姿勢こそが、この国のがんなのである。

原発を考える。《安全な水なら海に捨てるな。》一之瀬明

いわき市の海

報道によると中国が日本産の水産物の放射線量チェックの方法を抜き取りから全量チェックに変更した。検疫で時間がかかり税関で通関出来るころには、新鮮な魚も下手をすれば腐ってしまう。この厳格な措置は福島第一原発の汚染水を、海へ流す計画への対抗措置と見られる。日本の鮮魚の第一の輸出先の中国のこの措置に、日本の弱小業者は倒産の危険が。また香港も同様の禁輸に踏み切った。

福島第一原発は2011年の東日本大震災で、津波による深刻な被害を受けた。以来、汚染水が100万トン以上たまっているという。政府と東電はいま、それを太平洋に放出しようとしている。原発が水を海洋放出するのは一般的なことと言えるが、今回放出しようとしているのが原発事故に絡む副産物であることを考えれば、通常の放射性廃棄物とはいえない。

また福島や近隣の漁業者はいわゆる風評被害を心配する。「汚染水」を「処理水」と言い換えるだけの姑息さに呆れるとともに先の大戦で敗戦を終戦と言い換える姑息さを見るように感じる。有力な政治家の麻生太郎氏は21年4月に「飲めるんじゃないですか、普通」と言ってのけた。もう2年あまりたっているが、「飲んだ」という話は聞かない。

これまでに1000基以上のタンクが満杯になっている。日本はこのタンクに保存措置について、持続可能な長期的解決策ではないと説明。今後30年間かけて、この水を徐々に太平洋に放出したい考えで、水は安全だと主張している。中国は「安全な水なら海に捨てる必要はない」と。

岸田首相は「この先何年でも責任を負う」と言うが、数年前の漁業者との約束も守れない政府がどんな約束をされても信じられないのではないか。

 

原発を考える《震度6強》山梨良平

志賀原子力発電所周辺の過去1年間の地震の震源分布と地殻変動.jpg

5月5日午後2時42分ごろ、石川県能登地方を震源とする地震があり、石川県珠洲市で震度6強を観測した。同県志賀町の北陸電力志賀原発について、北陸電力は5日、「1、2号機とも定期検査により停止中。モニタリングポストの数値に変化はなく、外部への放射能の影響はない。発電所の設備への影響もない」と発表した。原子力規制庁によれば、同原発では地震後、異常は確認されていないという。 2023年5月5日 15時41分 朝日新聞

何事もなく無事でよかった。この報道が事実ならである。松野博一官房長官は「北陸電力志賀原発(石川県)など原発については、『現時点で異常はないと報告を受けている』と述べた。停電や通信障害、断水などの情報はなく、北陸新幹線は一部区間で運転を見合わせていると説明した。政府は石川県に内閣府の調査チームを派遣する。自衛隊については、石川県知事から災害派遣要請はないが、自主派遣で活動しているという。

この地震で5月6日15時現在、一名の死亡が確認されている。情報は見ている限り混乱はなさそうだ。隠ぺいされていない限り。 “原発を考える《震度6強》山梨良平” の続きを読む

原発を考える《坂本龍一の「脱原発」#3》文 井上脩身

『坂本龍一×東京新聞 脱原発とメディアを考える』の表紙
『坂本龍一×東京新聞 脱原発とメディアを考える』の表紙

「核のゴミ処分の国際ルールを」

東京新聞の記者たちとの討論では使用済み核燃料の処分についても話題にのぼった。わが国の原発の半数以上が、使用済み核燃料の貯蔵率について、法令で定められた量の8割を超えており、「トイレなきマンション」が現実問題になっている。六ケ所村の再処理工場建設は迷走をつづけ、プルサーマル計画は、高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉で頓挫している。こうしたなか、高レベル放射性廃棄物(核のゴミ)の最終処分場の選定をめぐり、北海道の寿都、神恵内の2町が公募に応じた。

この討論は2町が手を挙げる前に行われたが、処分についての見通しがほとんどないことはその後も変わらない。

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原発を考える《坂本龍一の「脱原発」#2》文 井上脩身

ファンに反原発を刻み込む

ロッカショ 2万4000年後の地球へのメッセージ

坂本さんは2007年、『ロッカショ 2万4000年後の地球へのメッセージ』(講談社)を著した。サブタイトルの「2万4000年」は再処理して取り出すプルトニウムの半減期だ。坂本さんは同書の冒頭、「まず知るということが大切。知らないということ、無知ということは、死を意味するというか、死につながる」と記した。そして「長期にわたり管理が必要な核物質をなぜ利用する必要があるのか。再処理工場が稼働した場合、環境への影響はどうなるのか
――などと疑問を投げかけた。(4月11日、毎日新聞夕刊)

坂本さんの著書に対し、元東電副社長や元東芝原子力事業部長らで組織する「エネルギー戦略研究会」有志が08年、出版元の講談社に「国民に再処理工場反対を呼びかけようとするセンセーショナルな出版物」などと抗議した。しかし、日本電燃が提出した申請書類約6万ページのうち3100ページに記載漏れなどの不備があり、原子力規制委員会が今年4月、同社社長に「信用に関わる問題」と厳しく指摘したことにみられる現状では、坂本さんが再処理工場に不安を持つのは当然であろう。

坂本さんは福島第一原発の事故後の2011月8月15日、福島市で開かれた芸術の祭典「FUKUSHIMA!」に参加。同市在住の詩人、和合亮一さんがツイッターで発表した詩を朗読する中、約1000人の聴衆を前に即興でピアノを弾いた。

さらに「一刻も早い脱原発」を訴えてロック・フェスティバル「NO MUKES」(ノー・ニュークス)を始めた。坂本さんの呼びかけに賛同したアーティスト、市民団体、メディアが参加して2012年に幕張メッセで第1回のフェスティバルが行われ、YMOをはじめ、トップアーティストが熱演をふるった。2014年の第2回イベントには坂本は咽頭がんの治療のため参加できなかったが、2015年イベントにはトークセッションに出演。17年、19年イベントにも顔を見せ、坂本ファンは「反原発」の意義を深く刻み込んだ。

「事故後も根強い原発神話」

東京新聞記者たちとの討議のなかで、坂本さんは「電力は原発でしかまかなえないと思っている人はまだまだ多く、原発がなくなったら停電になるとか、入院している人が死亡するとか言っている」と日本人の保守性を指摘。「電力=原発という神話は、これだけの事故の後でさえ根強い。チェルノブイリと同じ、人類最悪の事故が起きて、少しは社会が変わるかと期待したけれど、意外と手強い。むしろ前より悪くなりつつある」と悲観的な発言をした。

と言いつつも、坂本さんは「3・11によって、問題の所存に気づいた人はものすごく多い。そこは希望だと思う」と語った。話は国会前で行われた「反原発デモ」にうつり、デミ参加者が減少していることに言及。「関心があってもデモに来ないひとも多い。事故後、社会に声を上げず、関東から逃げだした人も多い。非常に強い関心を持っていても、必ずしも社会的に声を発しない人はたくさんいる」と、″声なき反原発の声″に期待をにじませた。

東京新聞記者から「(脱原発運動を進めるうえで)どういう未来を提示できるかだ。そのあたりはどう考えるか」と質問されたのに対し、「自分たちは(原発リスクを)言ってるつもりだが、届いてない現実がある」としたうえで「リスクばかり、悪い面ばかり言うと人間は暗くなるから、良いビジョンを示すことも大切。そのためには今どうすればいいか。ありうべき未来に向かって、そこから逆に今の行動を決める。バック・キャスティングという考え方をしたらいい」と提言した。(明日に続く)

 

原発を考える《坂本龍一の「脱原発」#1》文 井上脩身

坂本龍一さん

――東京新聞記者との討議から――

今年3月28日に亡くなった作曲家・坂本龍一さんが脱原発運動に熱心に取り組んでいたことを新聞報道で知った。映画『ラストエンペラー』の音楽に携わり、米アカデミー賞作曲賞を受賞するなど、世界的な作曲家として名を成した坂本さんだが、福島原発事故の以前から、青森県六ケ所村で進められている使用済み核燃料再処理工場について、「死につながる」と警告を発していたというのだ。福島事故から2年9カ月後の2013年12月、坂本さんは東京新聞の本社で同社記者たちと原発問題について討議した。その白熱ぶりがレポートにまとめられ、『坂本龍一
×東京新聞 脱原発とメディアを考える』(東京新聞編集局編)と題して刊行された。同書を中心に、天才的作曲家の原発観をみてみたい。 “原発を考える《坂本龍一の「脱原発」#1》文 井上脩身” の続きを読む

3・11特集 原発を考える《脱原発への5アンペア暮らし#2》文 井上脩身

エアコンを使わない生活に

箒で掃除をする斎藤氏(ウィキペデアより)

2012年7月、斎藤さんの5アンペア暮らしが始まった。それまで40アンペアで生活していた斎藤さんにとって、いきなりの電気8分の1ライフである。その気持ちを、バットの振り方も知らない者がプロ野球の打席に立って試合に臨むようなもの、と斎藤さんはたとえる。

5アンペアで一度に使えるのは500ワットまでだ。洗濯機や冷蔵庫を使ってもブレーカーは落ちないか、などとそのつど不安にかられる暗中模索の新生活であった。福島では線量計を持ち歩いて被ばく量を測っていた。そのときの「数字見える化」を応用すればいいと考え、消費電力測定器を購入した。家電のプラグを測定器に差し込むだけで何アンペアの電流がながれているかが分かる計器だ。

まず扇風機を測った。風量「弱」では0・3アンペア、強風で0・6アンペア。エアコンの15分の1から30分の1しか電気を消費しないことがわかった。ついで全自動洗濯機。「洗い」「すすぎ」「脱水」という一連の流れのなかでアンペアは0・8→1・6→0・0→1・2→0・6→1・8と目まぐるしく変動した。冷蔵庫は測定器をセットした段階では0・8アンペア。とびらを開けると1・6アンペアと2倍に。「冷蔵庫の開閉は短時間に」との省エネ教科書記載通りの結果だった。

こうした見える化によって、冷蔵庫を開閉しなければ、洗濯機を4アンペア使ったうえ、さらに照明も可能であることが判明。扇風機を「強」の0・6アンペアで動かしても、2・6アンペアのテレビを見ることができる。しかしテレビをつけたまま洗濯機を動かすと7アンペアを超えるので、同時には使えないこともわかった。

こうしてアンペアデータを得たことによって、10アンペアになるエアコンの使用をやめた。電子レンジ(10アンペア)、トースター(同)、5合炊き炊飯器(13アンペア)、ドライヤー(10アンペア)、たこ焼き器(8アンペア)、掃除機(強10アンペア、弱5アンペア)なども使うのをやめた。条件付きで使うことにしたのは42型液晶テレビ(2・6アンペア)、320リットル冷蔵庫(0・8~2アンペア)。今まで通り使うのは乾燥機能のない洗濯機(0・8~4アンペア)、蛍光灯(0・5アンペア)、ノートパソコン(0・2~1アンペア)。

これまで使ってきた家電を使わないとなると、暮らしの在りかたを変えねばならない。夏、浴室でシャワーを浴びた後、体をあまり拭かずに扇風機にあたると、水滴が蒸発して体温を奪い、心地よい涼しさを感じることができた。「エアコンで得られない至福の時間がもたらされた」と斎藤さん。掃除機に代えたのが箒。舞いあがるホコリを防ぐために、濡らした新聞紙を小さく切って部屋にばらまいてから掃くという、昔ながらのやり方をはじめた。電子レンジに代えて金属製の蒸し器を使用。電気炊飯器に代えて鍋で炊くと、炊飯器よりもおいしく炊けた。

こうした5アンペア暮らしによって、7月18日から30日間の使用量は59キロワット時、電気料金1208円。福島にいた前年の同じ月は133キロワット時なので56%減少した。冷蔵庫を使わなかった11月の使用量は11キロワット時、電気料金は285円。1年前に比べ86%も減った。

太陽光発電でテレビ見る

斎藤氏宅の太陽光発電装置(ウィキペデアより)

5アンペア暮らしが軌道にのった2013年9月、今度は名古屋に転勤になった。南にバルコニーとベランダがある2階建ての一軒家を借りた。同年12月の電気使用量が2キロワット時にまで減少したのを機に、斎藤さんは太陽光発電所の建設に着手した。

現在普及している太陽光発電は、電力会社の電線とつないで、発電した分を電力会社が買い取る方式だが、斎藤さんが目指したのは独立型太陽光発電。自分がつくる電気を自分で使う自産自消電力だ。5アンペア暮らしなのだからソーラーパネルは1枚でまかなえると考え、ネットショップで約3万3000円の50ワットセットを注文。自分で組み立てて室内に設置した。太陽にパネルを向けると発電ランプが点灯し、独立太陽光発電所が稼働をはじめた。斎藤さんは「健康第一電力」と命名。後にベランダにパネルを取り付けた。(写真上)

斎藤さんの計算では、1日に3時間太陽が当たるとすれば、発電量は150キロワット時。50ワットのテレビなら1日に3時間は見ることができる。1カ月のうち20日間発電できれば、3キロワット時になり、斎藤家の使用電力をほぼまかなえるという。

考えてみれば、テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫の三種の神器が登場する以前の昭和30年代初めまで、ほとんどの日本の家庭では、電気製品といえば電灯と扇風機、アイロンしかなかった。5アンペア暮らしは当たり前だったのである。

高度経済成長期以前の暮らしに戻ることは現実には不可能であろう。大半の人にとって5アンペア生活はムリだとしても、斎藤さんの試みは、電気浪費時代の今、大いに注目されてしかるべきだ。私の極めて大雑把な提案だが、一人の基準を10アンペアとし、家族が一人増えるごとに5アンペア分プラスできることにしてはどうか。夫婦二人なら15アンペア、4人暮らしなら25アンペアになる。これならそうムリせずに暮らせるはずだ。強制すべきでないことは言うまでもないが、国民すべてがそうした気持ちをもてば、「原発は要らない」が国民世論になるにちがいない。(完)

3・11特集 原発を考える《脱原発への5アンペア暮らし#1》文 井上脩身

斎藤健一郎氏(ウィキペデアより)

 福島県で原発事故に遭遇したのを機に、わずか5アンペアでの暮らしをはじめた新聞記者がいる、と聞いた。調べてみると、朝日新聞の斎藤健一郎記者。『5アンペア生活をやってみた』(岩波ジュニア新書)を著しており、さっそく読んだ。震災の半年後、東京に異動。街はこうこうと明かりがともり、無用な電力が消費されている。「原発に頼らない暮らしをするためには、徹底した節電しかない」と、電力会社との最低電力契約である5アンペアに切り替えたという。岸田文雄首相が原発の新増設を進めようとしているなか、「原発反対」を口にするだけでは政府の原発路線を食い止めることはでない。斎藤さんの取り組みは、反原発運動の在り方に一石を投じる実験といえるだろう。

合格発表場に放射能入りの雪
東日本大震災が発生した2011年3月11日、朝日新聞の郡山支局員だった斎藤さんは同市内の自宅にいた。2階建ての木造住宅の窓枠が大きくたわみ、地震体験装置に放り込まれたような揺れを感じた。住宅は半壊と認定された。JR郡山駅前に向かったあと、白河市内で起きた大規模地滑り現場へ走った。10棟が泥の下になり、幼児を含む13人が犠牲になった。通信状況が悪い中、何とか送稿できたが、記事は掲載されなかった。原発事故という、わが国未曾有の事態に立ち至ったからだ。

 地震発生から5日後、斉藤さんは白河市内の高校で合格発表を待つ受験生を取材。そのとき、雪が横殴りに吹き付けてきた。男子受験生が「これ、死の雪じゃねえ? 放射能入りだろ?」とおどけた。その場にいた受験生たちの緊張がとけ、笑い声がおきた。斎藤さんも悪い冗談だとおもいながら、いっしょになって笑った。

 だが、笑いごとではなかった。事故を起こした福島第一原発から漏れだして風に乗った放射性物質が、西南に80キロ離れた白河市には15日から、合格発表があった16日にかけてふったのだ。普段は毎時0・05マイクロシーベルトしかない放射線量が、7マイクロシーベルトと140倍も跳ね上がっていた。「放射能入りの雪」は真実であった。「マスコミは何もしらせなかった」と批判されたが、斎藤さん自身、何も知らされず、受験生らとともに放射能を浴びたのだった。

 斎藤さんは白河から取材拠点を福島県の災害対策本部に移した。県庁横の県自治会館に急ごしらえで設けられた同本部では、東京電力をはじめ県や国の職員が24時間体制で事故情報の収集や県民の避難指示に当たっており、報道各社も24時間体制で張り付いていた。

3月18日、東電の常務が謝罪にきた。常務が「収束に向けて一丸となって作業を進めている」と述べてその場を立ち去ろうとしたとき、地元記者が「福島に希望があるのでしょうか?」と問いかけた。すると常務は表情を崩し、声をあげて泣きはじめた。斎藤さんは、ここにいるだれもが、東電幹部でさえ、事故をどう収束させたらいいのかわからないのだ、と思った。

 4月になって学校が始まると、子どもの被ばくをどう防ぐかが課題になった。校庭で剥がした汚染土の処理について郡山市が住民説明会を開くと、「校庭を汚したのは東電だろ」と、はげしい怒りの声があがった。健康被害が起きるのか、起きるとすれば何年後なのか。専門家の意見もまちまちで、福島県民のほとんどが大混乱に陥った。斎藤さんもそうした一人だった。

一番少ないアンペア契約

こうこうと明かりがともる東京の夜景(ウィキペデアより)

 震災から半年がたった2011年9月、斎藤さんは東京に転勤した。本社から5・9キロ先の渋谷区の低層鉄筋マンションに引っ越し、自転車で通勤した。震災直後は照明を落としていた東京の街は元の明るい都市にもどっていた。「ビルの上では広告塔が明滅し、窓という窓からは明かりが漏れ、世界はギラギラと昼間のように光っている」。斎藤さんはその明るさを著書のなかでこう表現した。

この首都はもう福島のことなんか忘れてしまったんだな、と思った斎藤さん。放射性物質を大量にまき散らした電力会社が売る電気のために、住む場所や財産を奪われた福島の犠牲を思い起こすと、これまでのように無邪気に電気を使う気になれなくなった。2012年6月、野田佳彦首相(当時)が「原発を再起動する」と発表。国会周辺には多くの人が集まり、再稼働反対を訴えた。しかし、そうした人たちのすぐ隣で、ネオンやビルは暗闇を恐れるかのように照り続けている。斎藤さんは東電との契約を解除し、電気を全く使わない暮らしをしてみたいと思った。

会社の同僚に相談すると、「記者なのにパソコンはどうする」などと鼻で笑われたが、女性記者が「5アンペア契約にしては」とアドバイスしてくれた。

調べてみると、東電をはじめ、北海道、東北、中部、北陸、九州の6電力会社は「契約アンペア制」を採用。契約アンペア数に応じて基本料金を設定するもので、契約アンペア数を下げる(アンペアダウン)と電気の使用量に関係なく基本料金が安くなる。

2012年時点の東電の一般的な契約の場合、60アンペアなら電気を一切使わなくとも毎月の基本料金は約1680円。40アンペアなら約1120円、10アンペアまで下げると280円になる。10アンペアだと、一度に使える電気は1000ワットまで。電子レンジを使うときの電気使用量とほぼ同じなので、電子レンジとエアコンを同時に使うと、ブレーカーは落ちる。その半分の5アンペアで暮らすのは容易なことではない。

『5アンペア生活をやってみた』の表紙

 斎藤さんが東電に電話し、「一番少ないアンペア契約をしたい」と告げたところ、「10アンペアになります」との答えが返ってきた。「5アンペアがあると聞いた」とたずねると、しばらく待たされた後、「5アンペア契約はたしかにある」と認めてくれた。ことほどさように、5アンペア契約は極めて珍しいケースであった。

 電話から9日後、東電の工事の男性が斎藤さんの住居にやってきて、全ての家電をチェックした。電子レンジを指さして「使えません」。エアコンやトースターも「だめ」。20代の若い係員が「どうしてここまで電気を減らそうと考えたのか」と尋ねたのに対し、「原発事故のとき福島にいた。だからもうあまり電気を使いたくないんです」と答えると、係員は「そうでしたか」と伏し目がちに新しいブレーカーに付け替えた。(この稿続く)

 

3・11特集 怒りを込めて振り返れ「地震、津波に原発事故」一之瀬明

福島県浪江町

あの東日本大震災は世界にとっても忘れられない大事件だった。最近になっても大きな地震は世界中とは言わないが起こっている。この瞬間(2月末日)にもトルコやシリアでは寒さに震えながら余震におびえている人々がいる。昔から「地震、雷、火事、おやじ」と言って恐れたものだ。調べてみたら江戸時代にはすでにそう言われていたとあった。
地震は、いつ起こるのかまったく予想ができないので、一番怖い。雷は落雷で火事や死亡事故を起こすので二番目に怖い。しかし天気読んで(農業者や漁業者、船乗りなど)、発生や雷雲の動きを予知できるところが二番目。火事は、消すことができるし、逃げることもできるので、三番目。最後に親父は、そこそこ気をつかっていけば、そんなに叱られないので、四番目に怖いというのがその説らしい。 “3・11特集 怒りを込めて振り返れ「地震、津波に原発事故」一之瀬明” の続きを読む