《渡来人たちの宴・外伝19》片山通夫

蘇我馬子(そがの うまこ)

曽我馬子

稲目の子。敏達天皇即位の年(572)、大臣となる。以後、用明・崇峻・推古の四代にわたり大臣職にあり、蘇我氏全盛時代を築いた。
仏教の信仰に篤く、敏達天皇代、富浦に日本最初の仏塔を造営した。仏教は次第に支配層に浸透し、用明天皇は三宝帰依を表明するに至るが、仏教反対派の物部守屋達は用明二年(587)馬子に対して軍を興し、馬子は泊瀬部皇子(のちの崇峻天皇)・厩戸皇子(聖徳太子)達と共に物部氏を討った。 “《渡来人たちの宴・外伝19》片山通夫” の続きを読む

《渡来人たちの宴・外伝18》片山通夫

蘇我 稲目(そがの いなめ)

蘇我 稲目

 

実際に曽我氏が台頭してきたのは稲目の時代だった。武烈8(506)に生まれ、欽明31(570)に没した。高麗 (こま) の子という。馬子の父。娘の堅塩媛 (きたしひめ) ,小姉君を欽明天皇の后妃として,用明,崇峻,推古の3天皇の外祖父となる。宣化天皇のとき,大臣 (おおおみ) となり,没するまでこの地位にあった。 “《渡来人たちの宴・外伝18》片山通夫” の続きを読む

再び《渡来人たちの宴・外伝17》片山通夫

曽我氏の台頭

曽我氏の始祖だといわれている宿禰から何代か経てヤマト政権の大王の外戚として歴史に登場するのは6世紀の初めころである。それまでは歴史に名を残していない。ゆえになのか曽我氏はもともと渡来人(高麗人)だという説もまことしやかに言い伝えられている。系図をたどってゆくと確かに「高麗」の文字が存在する。 “再び《渡来人たちの宴・外伝17》片山通夫” の続きを読む

再び《渡来人たちの宴・外伝16》片山通夫

謎の武内宿禰

武内宿禰

まず曽我氏の始祖と思われる武内宿禰だが何しろ古事記や日本書紀が資料なので不確かこの上ない。日本書紀には景行天皇14年(304年)に生まれ仁徳天皇55年(424年)に没したと記載されている。まさか当時121年生存したことになっているわけだ。現在でも121年と言えば記録的な年齢なので考えられない。
となると、つまり日本書紀に書かれていることが嘘ということになるが、そうも考えたくない。
名前に注目してみる。武内は姓だとする。事実そうだろう。宿禰はひとりの個人の名前だと考えると無理が生じる。役職名もしくは尊称だと考えると、121年生きた武内宿禰は何人かの人間が継いだと考えても不思議はない。

謎多い武内宿禰は様々なエピソードを古事記や日本書紀に残している。何しろ121年もの間の話なのだ。なんでもアリの世界だった。

ということを踏まえると、いったい何が真実かは特定できない。渡来人説、宮家につながる、勇猛な人物などここで書きようがないのが武内宿禰だということである。

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《渡来人たちの宴・外伝 15》片山通夫

続 曽我氏一族

曽我氏の祖と言われる武内宿禰像が載った紙幣

曽我稲目から馬子、蝦夷そして入鹿と4代にわたって権勢をほしいままにした曽我氏一族はおよそ100年ヤマト朝廷で君臨したことは前回書いた。
それではその出自を少し説明したい。書かれた文献は古事記や日本書紀しかないが一応探してみた。武内宿禰(写真)という人物が神功皇后が三韓征伐そ行ったときに活躍した人物だ。日本書紀他の伝承では景行天皇14年に生誕し仁徳天皇55年に亡くなったと伝えられている。121年生きていたことになり全く信頼できない。その人物が曽我氏の始祖らしい…。 “《渡来人たちの宴・外伝 15》片山通夫” の続きを読む

《渡来人たちの宴・外伝 その14》片山通夫

曽我氏一族

入鹿暗殺の現場跡 板蓋宮跡

石舞台の規模の墳墓を造成させるだけの権力を持っていたと思われる。 曽我氏は飛鳥にその本拠を置いて、曽我稲目から馬子、蝦夷そして入鹿と4代にわたって権勢をほしいままにした。ヤマト朝廷の最高位・大臣を務め、自分の娘を大王の期先として送り込み、そして生まれた子を次代の大王として即位させた。大王家の外戚としての地位を得、わが世の春を謳歌した。今のところ、石舞台は馬子の墓だと思われているが定かではない。 “《渡来人たちの宴・外伝 その14》片山通夫” の続きを読む

《渡来人たちの宴・外伝 その13》片山通夫

石舞台古墳

蘇我馬子の墓か?奈良・飛鳥の石舞台

話は少しさかのぼる。飛鳥に大きな石舞台古墳があることは、ご存じだろう。古墳というからには、だれか有力な豪族の埋葬地だと思われている。この時代、まだ大化の改新前の話で、つまり、大王(おおきみ)親政の中央集権以前の時代だと思われる。とにかく大きい。石は大小約30個、最大の石で約77tと推測される。総重量は2300tだという話。本来、土に覆われた小高い丘のようだったと思われるが、なぜか土が流れて玄室が露出してしまったとか。 “《渡来人たちの宴・外伝 その13》片山通夫” の続きを読む

《渡来人たちの宴・外伝 その11》片山通夫

遷都にも渡来人が活躍した? 大津京 オンドル跡

遷都
都を飛鳥から摂津の難波長柄豊碕宮へ遷都したのは大化2年12月のことだった。この時代、遷都するのには相当の訳があった。国土交通省のホームページに下記の記載があったので、転載したい。 “《渡来人たちの宴・外伝 その11》片山通夫” の続きを読む