アカンタレ勘太12《キュウリ弁当》文・画  いのしゅうじ

 勘太のおかあさんがえがおを作って、北島八百屋のおくさんにペコペコしている。
「エイちゃんはすごい。エイちゃんをやとったおくさんはもっとすごい」
ちょうどエイちゃんがご用聞きからかえってきた。
「勘太くん、大丈夫ですか」
「勘太はね、どんなヘマをしてもさーっと忘れてしまう。アカンタレのええとこやね」
おかあさんはくすっとわらって、
「お礼に何がええやろか」
と、野菜をあれこれみまわす。
キュウリを手にとった。緑がつやつやしている。
「キュウリ五貫目(19キログラム)ちょうだい」
エイちゃんはそろばんをはじいて、
「130本くらいになります。そんなにたくさん、何にするんですか」 “アカンタレ勘太12《キュウリ弁当》文・画  いのしゅうじ” の続きを読む

Lapiz2022春号Vol.41 《Lapizとは?》

銃を持つ少女・ベイルートで

Lapiz(ラピス)はスペイン語で鉛筆の意味
地球上には、一本の鉛筆すら手にすることができない子どもが大勢いる。
貧困、紛争や戦乱、迫害などによって学ぶ機会を奪われた子どもたち。
鉛筆を持てば、宝物のように大事にし、字を覚え、絵をかくだろう。
世界中の子どたちに笑顔を。
Lapizにはそんな思いが込められている。

Lapiz2022春号Vol.41 予告

Lapizとは・・・。

巻頭言 今年5月15日、沖縄の本土復帰50周年を迎えます。しかし「沖縄の本土化」という沖縄県民の願いもむなしく、・・・・

編集長が行く 《社会的欲求不満の暴発か? クリニック放火殺人事件犯の動機を探る》

神宿る。《岩船神社》

とりとめのない話《ジャズする心》

宿場町シリーズ 《東海道・水口宿》

その他

渡来人たちの宴《卑弥呼とアマテラス》片山通夫

Lapiz2020春号で予告した「渡来人たちの宴」の続きをここから書き始めることにした。

少し遡ってみる。Lapiz春号で掲載した「渡来人たちの宴」では白村江の戦いで終わった。時は7世紀半ばのことだった。本稿で取り上げる卑弥呼は2世紀頃の人物だと思われる。およそ500年ほど遡ることとなる。
卑弥呼が歴史に登場するのは中国の『三国志』の中に書かれている『魏志倭人伝』。邪馬台国に都をおいていたとされる。卑弥呼が死亡したときには、倭人は直径百余歩(この時代の中国の百歩は日本の二百歩に相当する)もある大きな塚を作り、奴婢百余人を殉葬したとされている。
そして卑弥呼に関しては「鬼道」で衆を惑わしていたと魏志倭人伝にある。 “渡来人たちの宴《卑弥呼とアマテラス》片山通夫” の続きを読む

Opinion コロナウイルス狂騒曲 山梨良平

それはチェルノブイリ原発事故か ら始まった
モスクワ 時間1986年 4月 26日「 1 23 ウクライナ・ソビエト社会主義共和国 のチェルノブイリ原子力発電所 号炉で起きた。 4 大事故だった。ソ連当局は当初この事故をひた隠 しにしていた。抑え込もうとしていたのだ。 こ との発覚は意外なところからだった。事故の 日 2 後の 日、スウェーデンのフォルスマルク原子 28 力発電所で、職員の靴から高線量の放射性物質が 検出されたことが発覚のきっかけとなったのだ同 日中にスウェーデンは外務省を通してソ連に原発 事故の有無を問い合わせたが、当初は否定してい た。しかし国際原子力機関( )に事態を報 IAEA 告する意向を伝えられると念、一転してチェルノブ イリ原発で事故が発生した事実を認めた。 隠しおおせると思っていたことに驚きだ。ソ 連はそれでも国内では隠し通そうとした。時のソ 1 1985連共 産党書記長はゴルバチョフ。彼は前任者のチェルネンコがその死によってわずか 年余りで幕を閉じたあと、 年 月 日に就任している。その 年後にあの惨事が起こったわけである。先に書いたように、ソ連政府はこの事故の 3 11 1 情報を抑え込もうとした。つまりスウェーデン外務省の指摘を受けるまでの 日間抑え込んでいた。それでも隠ぺいす 2 ることが無理だということに気が付いてながらゴルバチョフは積極的に公開することに躊躇した形跡がある。しかし最 終的にはグラスノスチ(情報公開)の重要性に気が付いたのかペレストロイカ(改革)の一環でグラスノスチに踏み切 った。 結局ゴルバチョフの唱えるペレストロイカはとん挫したのだが、人々は混乱の中ででも自由や団結を手に入れた。
こうした中でソ連邦の崩壊が起こった。

宿場町《美濃路・大垣宿》井上脩身

奥の細道むすびの地
~水運の町で芭蕉のあわれを思う~

松尾芭蕉の不朽の名作『奥の細道』。そのスタートは芭蕉が庵をむすんだ江戸・深川であることは無学な私でも知っていた。奥州から日本海沿いに敦賀まで行ったことも知っていた。そしてその最後は大坂だと思い込んでいた。高校時代、大坂で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という最後の句を詠んだと習ったからだ。敦賀からなら琵琶湖沿いに京、大坂に行けるという地理感覚もあって、まことに恥ずかしい話だが、全く疑問をもたなかった。あるとき、JR大垣駅に止まった電車の車窓から「奥の細道むすびの地」の看板が目に留まった。大垣が『奥の細道』の最後の地というのだ。これはいったいどういうことだろう。調べてみると、大垣は江戸時代、美濃路の宿場だった。芭蕉は大垣宿で何をおもったのだろう。冬のある日、岐阜県大垣市を訪ねた。 “宿場町《美濃路・大垣宿》井上脩身” の続きを読む

編集長が行く 広島県竹原市・大久野島

毒ガスの島の廃虚尋ねる
~地図から消えた「もう一つの広島」~

文・写真 Lapiz編集長 井上脩身

小さな書店の片隅の壁に「大久野島の歴史展」の宣伝チラシが張られていた。「もうひとつの広島」の副題がついている。主催は「毒ガス島歴史研究所」。今年1月4日から7日まで旧日本銀行広島支店で開催とある。50年前、私が新聞社に入社して配属された支局に赴任したとき、いきなり支局長が語った言葉を思い出した。前任地の呉支局で「大久野島での毒ガス製造をスクープした」というのだ。私はたまたま今年初めに尾道に旅をする計画を立てていた。予定を変更して大久野島の「もうひとつの広島」を訪ねた。 “編集長が行く 広島県竹原市・大久野島” の続きを読む