宿場町シリーズ《西国街道・昆陽(こや)宿》文・写真 井上脩身

歴史家・頼山陽が好んだ伊丹酒
――漢詩に酔い心地をうたう――

頼山陽像(ウィキベテアより)

 西国街道・昆陽宿は伊丹の酒蔵の街の西約2キロのところに位置し、酒好きたちの宿泊地や休憩所として利用された。『日本外史』を書いて尊王攘夷派の志士たちに強く思想的影響を及ぼした頼山陽(1780~1832)もその一人だ。故郷の広島から京都に戻る途中、昆陽宿に立ち寄り、六甲の山並みがかもすおだやかな風景を詩によみ、伊丹で心地よく酒をたのしんだという。なかでも「剣菱」が山陽好みの銘柄だった。剣菱は私も大好きだ。燗酒が飲みたくなる晩秋のある昼さがり、わたしは山陽の足跡をたどろうと、昆陽宿から伊丹の酒蔵街へと歩いた。 “宿場町シリーズ《西国街道・昆陽(こや)宿》文・写真 井上脩身” の続きを読む

原発を考える《犠牲強要の汚染処理水海洋放出》文 井上脩身

福島第1原発の敷地いっぱいに並ぶ汚染処理水貯蔵タンク(ウィキベテアより)

岸田文雄首相は衆院選で与党が過半数の議席を獲得したのを受け、安倍政権が行ってきた原発政策を進める方針を明らかにした。当然、前政権時代の課題も岸田政権の肩にのしかかるが、そのひとつは福島第1原発の汚染処理水問題だ。菅政権下の2021年4月、2年後をメドに海洋放出することに決定しており、岸田首相は自らの政権下で放出を実施するものとみられる。しかし、放出される放射性物質トリチウムの危険性を指摘する声は根強くあり、地元漁業者は風評被害を懸念、あくまで反対のかまえだ。そもそも原発事故が起きたから処理水問題が出現しでたのである。事故で地元漁業者に塗炭の苦しみを押し付け、さらに処理水放出で少なくとも風評被害を及ぼすというであれば、理不尽な犠牲強要施策というほかない。 “原発を考える《犠牲強要の汚染処理水海洋放出》文 井上脩身” の続きを読む

編集長が行く《墓仲間・芭蕉と木曽義仲 下》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身

木曽殿と背中合わせ

芭蕉の墓・義仲寺

『芭蕉「越のほそ道」』は上下2段290ページにわたる大著である。松本氏の調査力には頭が下がるが、俳諧の神髄が義仲の国造りの理想とは相通じることから、芭蕉は義仲に強い思いを抱いた、というのはムリがあるように私はおもう。国造りならば、その形をつくりあげたのは頼朝だ。だが頼朝に心を寄せた気配は全くない。要するに芭蕉は義仲が好きだったのだ。でなければ「義仲寺に葬ってくれ」と遺言するはずはない。ではなぜ義仲が好きだったのか。 “編集長が行く《墓仲間・芭蕉と木曽義仲 下》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

編集長が行く《墓仲間・芭蕉と木曽義仲 上》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身

~義仲寺で俳聖の心をさぐる~

義仲寺

新型コロナウイルスの新規感染者が減少し、緊急事態宣言が解除された10月初旬、大津市のJR膳所駅に近い義仲寺をたずねた。木曽義仲をまつるこの寺に松尾芭蕉も葬られ、墓が隣り合っていると聞いたからである。芭蕉は「おくの細道」の旅で、源義経の終焉の地とされる奥州・平泉の衣川をたずね、「夏草や兵どもが夢の跡」という有名な句を詠んでいる。素人めには、義経に思い入れが強かったとみえる芭蕉がなぜ、義仲のそばで死後を送ろうとしたのだろう。来年は『おくの細道』が刊行(元禄15=1702)されて330年になる。俳聖の心の奥をうかがってみたくなったのである。 “編集長が行く《墓仲間・芭蕉と木曽義仲 上》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

びえんと《五七五に託すハンセン病患者の叫び 下》Lapiz 編集長 井上脩身

民族差別との二重苦も

短歌、俳句、川柳を収録した『訴歌』の表紙

北條民雄は18歳の時に結婚したが、ハンセン病にかかったために離婚することになった。妻だった女性もハンセン病にかかって死亡したことを入院後に知る。北條のように夫婦共に感染して共に入院しているケースも少なくない。

【夫婦】

妻の肩借りて義足の試歩うれし

書く時の夫が字引になってくれ

冬支度指図するほど妻は癒え

病む妻を笑顔にさせた子の為替

亡妻の忌へ冬の苺の赤すぎる

立春の吹雪に妻の骨拾ふ

(妻に先立たれた夫はただただ切なく悲しい) “びえんと《五七五に託すハンセン病患者の叫び 下》Lapiz 編集長 井上脩身” の続きを読む