原発を考える《原発事故がもたらす″心災″002 》文 井上脩身

震災で同居家族が減少

以上の3点について考察するために、調査項目が以下のように設定された。
居住地、住居の変化について
(合計転居回数)
2016年=3~5回47%、6~8回41%
2017年=3~5回61%、6~8回30%2019年=3~5回55%、6~8回31%
(住居の福島県内割合)
2013年=56%、2014年60%、2017年=68%、2019年66%
(住居の種類)
震災前=賃貸住宅13%、持ち家86%
2013年=旧騎西高校1%、仮設住宅6%、賃貸住宅74%、持ち家(震災前と異なる、以下同)13%
2014年=仮設住宅12%、賃貸住宅50%、持ち家41%
2016年=仮設住宅6%、賃貸住宅19%、持ち家52%、復興住宅6%
2017年=仮設住宅3%、賃貸住宅17%、持ち家65%、復興住宅7%
2019年=仮設住宅0・1%、賃貸住宅11%、持ち家65%、復興住宅10%
(同居家族の人数)
震災前=1人暮らし21%、2人25%、3人19%、4人16%、5人以上19%
2013年=1人30%、2人35%、3人15%、4人10%、5人以上10%
2014年=1人21%、2人33%、3人22%、4人11%、5人以上11%
2016年=1人23%、2人34%、3人18%、4人10%、5人以上12%
2017年=1人25%、2人36%、3人17%、4人10%、5人以上12%
2019年=1人21%、2人40%、3人19%、4人10%、5人以上10%。

知り合い、友人の変化について
(避難を通して知り合った双葉町出身の近隣住民世帯数)
2013年=20世帯以上10%、10~19世帯4%、6~9世帯8%、3~5世帯15%、1~2世帯12%、いない45%、その他
2014年=20世帯以上8%、10~19世帯5%、6~9世帯6%、3~5世帯10%、1~2世帯19%、いない51%、その他
(双葉町で知り合いだった近隣住民世帯数)
2013年=20世帯以上7%、10~19世帯4%、6~9世帯8%、3~5世帯13%、1~2世帯23%、いない45%
2014年=20世帯以上1%、10~19世帯5%、6~9世帯9%、3~5世帯13%、1~2世帯26%、いない47%

近隣の知り合い、友人の変化について
(避難先に震災前からの知人がいる)
2016年=43%、2017年=37%、2019年=47%
(避難先で新しくできた双葉町の友人がいる)2016年=44%、2017年=33%、2019年=31%。
(避難先で新しくできた双葉町以の出身の友人がいる)
2016年=36%、2017年=31%、2019年=47%
(新しくできた避難先住民の友人がいる)
2016年=43%、2017年=34%、2019年=37%。

悪化する主観的健康感

(世帯年収の変化)
震災前=100万円未満7%、100万円~200万円未満11%、200万円~300万円未満18%、300万円~400万円未満18%、400万円~600万円未満22%、600万円~800万円未満13%、800万円以上11%
2013年=100万円未満17%、100万円~200万円未満21%、200万円~300万円未満18%、300万円~400万円未満15%、400万円~600万円未満13%、600万円~8040万円未満11%、800万円以上5%
2019年=100万円未満19%、100万円~200万円未満19%、200万円~300万円未満22%、300万円~400万円未満15%、400万円~600万円未満13%、600万円~800万円未満11%、800万円以上9%

健康について
(主観的健康感の変化)
震災前=大変良い13%、良い64%、どちらともいえない19%、悪い4%
2016年=大変良い1%、良い22%、どちらともいえない37%、悪い31%、大変悪い9%
2019年=大変良い1%、良い25%、どちらともいえない44%、悪い31%、大変悪い9%
(健康状態指標=K6)
※K6は健康状態を示す指標=神経過敏に感じたか、絶望的だと感じたか、そわそわし落ち着きがなくなったか、気が沈み込んで、何が起こっても気が晴れないように感じたか、何をするにも骨折りだと感じたか、自分は価値のない人間だと感じたか――の6項目について、「全くない」0、「少しだけ」1、「ときどき」2、「たいてい」3、「いつも」4とし、5点未満は「問題なし」、5~10点未満「要観察」(こころにストレスが重なっている)、10点以上「要注意、要受診」(こころが疲労している)と判定。
(日本全体0~4・71%、5~9・19%、10以上・10%)
2013年=0~4・29%、5~9・35%、10以上・40%
2016年=0~4・25%、5~9・30%、10以上・35%
2019年=0~4・36%、5~9・35%、10以上・29%
(仮設住宅住民のK6の変化)
2013年=0~4・13%、5~9・47%、10~12・17%、13以上・23%
2017年=0~4・13%、5~9・12%、10~12・32%、13以上・43%
(2019年における住宅種類別K6の分布)
持ち家(震災前と異なる)=0~4・38%、5~9・34%、10以上・28%
賃貸・仮設住宅=0~4・40%、5~9・30%、10以上・30%
親戚の家=0~4・38%、5~9・20%、10以上・42%
復興公営住宅=0~4・24%、5~9・31%、10以上・45%(明日に続く)

原発を考える《原発事故がもたらす″心災″001 》文 井上脩身

~実証経済学から減災策探る~

  1. 『福島原発事故とこころの健康――実証経済学で探る減災・復興の鍵』

    福島第1原発事故によって避難暮らしを余儀なくされた人たちは、さぞ精神的に辛い思いをしたであろうとはだれもが思う。長い間住み慣れた家を失い、仕事を失い、温もりある家庭を失い、そして古里を失った被災地の人たち。ニッセイ基礎研究所研究員の岩崎敬子氏がその心の変化に焦点を当て、5回にわたって同原発の立地自治体である福島県双葉町の住民アンケートを実施。その結果を分析したレポートが、『福島原発事故とこころの健康――実証経済学で探る減災・復興の鍵』として、日本評論社から出版された。被災者へのアンケート自体はこれまでも政府やマスコミ各社が行っているが、岩崎レポートは「こころの減災」をキーワードに、被災者の心の内部に迫っている。 “原発を考える《原発事故がもたらす″心災″001 》文 井上脩身” の続きを読む

宿場町シリーズ《山陰道・樫原(かたぎはら)宿 下》文・写真 井上脩身

江戸の面影のこす本陣建物

明智川の異名がある山陰道沿いの川

7月末、35度を超える猛暑のなか、樫原を訪ねた。桂駅のすぐそばに大宮社という小さな神社がある。松尾七社の一社とされ、ここから西に向かって幅5メートルの道をすすむ。旧山陰道である。道沿いに小畠川という細い川が流れている。「明智川」という異名がある。あるいは亀山(現亀岡)から老ノ坂を越えた明智光秀が、この川のあたりで「敵は本能寺にあり」とゲキをとばしたのかもしれない。 “宿場町シリーズ《山陰道・樫原(かたぎはら)宿 下》文・写真 井上脩身” の続きを読む

宿場町シリーズ《山陰道・樫原(かたぎはら)宿 上》文・写真 井上脩身

蛤御門の変の3志士竹やぶに眠る 

蛤御門の変(禁門の変)が起きた京都御所の門

阪急の桂駅(京都市西京区)からバスで老ノ坂峠に向かう途中、古い町家が建ち並ぶ街を通った。後で調べると、樫原(かたぎはら)という旧山陰道の宿場であり、幕末の動乱の渦のなかで起きた蛤御門の変(禁門の変)のさい、ここで長州勢の3人が非業の死をとげたと知った。老ノ坂峠は平安時代の伝説「大江山の鬼退治」の舞台とされ、私はその現地をたずねようとしていたのだった。幕府にとって、長州は鬼だったであろう。時代が変わると、退治されるはずの鬼が鬼神にまつりあげられることはよくある。この3人はどうであったのだろうか。 “宿場町シリーズ《山陰道・樫原(かたぎはら)宿 上》文・写真 井上脩身” の続きを読む

徒然の章《「稲むらの火」の広川町を訪ねて》中務敦行

いなむらの火祭り

「稲むらの火」という言葉を聞いた方は多いと思う。地震(1854年12月23日朝)がおきた時、広村(現和歌山県・広川村)の人たちは津波を心配して、広八幡神社に避難し、被害がなかったことを喜び合った。全国で2~3000人が犠牲になった。安政の大地震と言われる大災害だ。 “徒然の章《「稲むらの火」の広川町を訪ねて》中務敦行” の続きを読む

びえんと《夫婦別姓拒否論にみる戦前回帰主義》Lapiz編集長 井上脩身

びえんと①合憲 最高裁の合憲判断に抗議の声をあげる申立人(ウィキベテアより)

選択的夫婦別姓の制度化を求める声が高まるなか、最高裁大法廷(裁判長・大谷直人長官)は6月23日、別姓を認めない民法の規定を合憲とする決定をした。この3カ月余り前、「同性同士の法律婚を認めないのは違憲」とした札幌地裁の画期歴な判断との余りのギャップに私は愕然とした。札幌地裁は憲法が規定する「法の下の平等」を直視したのに対し、最高裁は我が国に今なお根強い「男性優位の婚姻」という現状を重視したのである。憲法が公布されて75年になる今、法の番人である最高裁が憲法を軽んじる判断をしたという事実を深刻に受け止めねばならない。それは戦前の明治憲法体制への回帰を、最高裁が黙認したことになるからである。 “びえんと《夫婦別姓拒否論にみる戦前回帰主義》Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

《Vol. 39 巻頭言》 Lapiz 編集長 井上脩身

冒頭から個人的なことで恐縮ですが、私はいま、源頼光(948~1021年)の「大江山の鬼退治」のことを調べています。渡辺綱ら頼光四天王を引き連れ、大江山で鬼を退治したという説話は、やさしい読み物として子どもたちに読みつがれてきました。山奥から都にでてきて、若い女性をさらうなどの悪事をはたらく鬼どもをやっつける武者たち。剣をふるっての縦横無尽の活躍に、子どものころの私は胸を躍らせました。 “《Vol. 39 巻頭言》 Lapiz 編集長 井上脩身” の続きを読む

読切連載アカンタレ勘太 9-2《栃若すもう大会》文・挿画  いのしゅうじ

栃若すもう大会

イッ子せんせいが北島八百屋に顔をみせた。
「エイちゃん、七夕まつりをやったでしょ。おすもうはできないかしら」
栄三はけげんな顔だ。
「みんなでけしょうまわしを作ったそうよ」
きのう、ユキちゃんとタミちゃんがイッ子せんせいの下宿にやってきて、けしょうまわしを見せてくれた、とせんせいはいう。
「すもうの大会ですか?」
「うん、女の子もさんかできるといいわ」
栄三はその日のうちに「七夕まつり実行委員会」のメンバーをあつめた。
「おんな? そらあかん。すもうは男のせかいや」
栄三はねばった。
「おおずもうみたいに土をもりあげるのやない。じめんになわをうめこむだけ」
すったもんだしたが、
「男女平等の時代や」
女性のさんかをみとめ、お宮さんですもう大会をひらくことになった。
4月はじめ、「栃若桜花すもう大会」が開かれた。
広場にどひょうがつくられた。ゴザに50人くらいがすわっている。
その一番まえで正座しているのはイッ子せんせい。ちかくの着物すがたの男性が気になっている。ピリピリしたするどい目なのだ。
しゅつじょうする力士は子どもが30人。このなかに目の見えない登もいる。女の子はユキちゃん、タミちゃんら6人。ほかに中高校生や働いている若ものが10人。
みんな、しめこみ代わりにへこ帯をこしにまいている。
行司は栄三。剣道着にみをつつんでいる。
勘太はさいしょのとりくみに出ることになった。
相手は6年生の勝也。入学したときからいじわるしてきたあの勝也だ。勘太はヘビににらまれたカエル。立ちあう前からいすくめられている。
「ハッケヨーイ」
軍配がかえったしゅんかん、勘太はぐんとかつぎあげられ、どひょうの外にぼーんとほうりだされた。
つぎはユキちゃんの出番。相手はやはり6年生の女の子。がっこう一のおてんばだ。ユキちゃんの顔がひきつっている。立ち上がって1びょうもしないうちに、ユキちゃんはぱっとなげとばされた。
ユキちゃんは勘太のま上におちてきた。さけようとした勘太。顔が上下にひっくりかえっている。
「まるでろくろ首ね」
イッ子せんせいがあとでくすくすわらった。
よく日。
がっこうにこうぎの電話がかかった。
「女をどひょうに入れるとはけしからん」
校長室にイッ子せんせいが呼ばれた。
「校長としてあやまっておきました」
首をうなだれるイッ子せんせいだ。。
数年のち栃錦、若乃花が横綱になり、栃若時代をむかえる。やがて、女性のすもう大会もひらかれる。
とは、校長せんせいは思いもしなかった。
栃若すもう大会はこの一回でおわる。
(せんせい、悔しかったやろなあ)
イッ子せんせいの先見の明におどろく勘太。
(ひょっとしてクラタせんせいのアイデアかな?)
勘太の心の中で、クラタせんせいがチラチラしている。            (この回完)