びえんと《新天皇の「おことば」と憲法9条》文・写真 Lapiz編集長 井上脩身

 新しい天皇が5月1日に即位され、令和の時代が幕を開けた。この即位を前に安倍晋三首相は2月22日と、新元号が「令和」と決まった後の2回、まだ皇太子だった新天皇を訪ねている。報道では皇位継承行事や新元号について説明をしたという。これだけなら宮内庁長官の任務であろう。安倍首相には別の意図があったのではないか。新天皇即位に際し、少なくとも憲法改変の動きに水を差すことだけは避けたい、との底意をもって面会したのではないか、との疑念を私はいだいていた。はたして、新天皇の即位儀式での「おことば」に安倍首相の真意が隠されている、と直感した。令和の考案者とされる国文学者の中西進氏は「うるわしく平和に生きていく願いがこもった元号」(6月11日付毎日新聞)という。だが、私は安倍一強のなか、令和の時代は冷和となり戦争への道に進むのではないか、との危惧を一層強くした。

「守る」と「のっとる」

 5月1日の新天皇の「おことば」のなかで私が注目したのは後段、「ここに、皇位を継承するに当たり」以降の文章である。以降の全文は以下の通り。

 上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国民の発展、そして世界の平和を切に希望します。
 
 上皇となられた前天皇が即位(1989年1月9日)した際の「おことば」も、後段は「ここに、皇位を継承するに当たり」から始まる。以降の文章を掲げる。

 大行天皇の御遺徳に深く思いをいたし、いかなるときも国民とともにあることを念願された御心を心としつつ、皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国運の一層の進展と世界の平和、人類福祉の増進を切に希望してやみません。

 前天皇、新天皇ともに「おことば」のなかで、先の天皇に思いをいたして世界の平和を希望するとしている点は共通している。このことから、新天皇は前天皇の路線に沿っていこうとしている、と多くのマスコミは捉えている。だが、決定的に異なっている点を見落としてはならない。それは以下に述べる文節である。
 新天皇「憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たす」
 前天皇「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす」

 新天皇は「憲法にのっとり」、前天皇は「日本国憲法を守り」とした。問題は「のっとり」と「守り」が同義かどうかである。
 憲法は天皇について、第1章の第1条から第8条まで規定している。その第1条は「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」と規定している。新天皇の「憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴として」という文言は憲法1条を指していることは論をまたない。
 憲法にはこの第1章以外に天皇が登場するのがもう1カ条ある。第99条(憲法尊重擁護の義務)である。次のように規定されている。
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
 前天皇のいう「日本国憲法を守り」とは、憲法99条に基づいていることは自明であろう。繰り返すが、憲法は天皇や総理大臣に「憲法擁護」を求めている。第1章「天皇」(第1条・象徴天皇制、ほか)だけでなく、第2章「戦争の放棄」(第9条)、第3章「国民の権利及び義務」(第11条・基本的人権、ほか)など、憲法のすべての規定の擁護義務が天皇も首相も課されているのだ。前天皇が「皆さんとともに日本国憲法を守り」という表現には、国民主権の精神にそって9条を守るとの思いがこめられていると言えるだろう。


沖縄訪問の意味

 前天皇が憲法9条について言及したことは一度もない。だが、即位の際の「おことば」で「日本国憲法を守り」と憲法順守を明確にしたことは保守派には衝撃だった。結党以来、「現憲法はGHQの押し付け」として「憲法改正」を党是としてきた自民党の幹部から「天皇は護憲派か」との嘆息がもれたといわれる。安倍首相の強い支持団体「日本会議」の基本運動方針は「天皇崇拝」と「憲法改正」だ。崇拝すべき天皇が「憲法を守る」のでは、保守派は自己矛盾に陥ってしまう。
自民党は2012年、憲法改正草案をまとめた。第9条2項の「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」の規定を廃止し、「自衛権の発動を妨げるものではない」と改変。さらに第9条の2を新設、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官する国防軍を保持する」と、自衛隊の国防軍化を明確にした。こうした明治憲法的な憲法に変えよとの動きに対し、前天皇の「おことば」が心理的なブレーキとして働いたことは想像に難くない。
 では、前天皇の「第9条を守る」という精神はどこに見られるだろうか。
 前天皇が皇太子時代、「忘れてはならない日」として、終戦記念日、広島・長崎原爆忌とともに6月23日の沖縄戦終結の日を挙げた。
 沖縄に関しては1975年7月、皇太子として皇太子妃をともなって「沖縄海洋博」の開会式に出席のため訪沖、ひめゆりの塔の前で火炎瓶を投げつけられた。その夜、「沖縄の苦難の歴史を思い、沖縄戦における県民の傷跡を深く省み、平和への願いを未来につなぎともども力を合わせて努力していきたい」との談話を発表。同年12月の記者会見では「沖縄が教科書にどの程度出ているのかを調べてもらったが、非常に少ない」と語っている。
 天皇即位後の記者会見でも「沖縄の人々の心を、気持ちを、戦争で亡くなった人々、また、多くの苦しんだ人々のことを考え、沖縄を訪問したいと思う」と述べ、2009年の会見でも「沖縄県では多数の島民が戦争に巻き込まれて亡くなったことは、かえすがえす残念」と語った。退位を決めて後の2018年3月にも沖縄を訪ねており、沖縄訪問は皇太子時代を含めて11回にのぼっている。
 前天皇が沖縄戦跡を訪ね、亡くなった人たちへの祈りを捧げてきたことが護憲の証し、と言い切ることはできない。おことばや会見のなかで「9条を守る」とは明言してないからだ。それ以上に問題なのは、沖縄の米軍基地を視察したことがないと思われることである。米軍施設の70%以上が集中している沖縄はいわば憲法第9条の番外地だ。いま最大の焦点である辺野古を訪ねないかぎり、「沖縄の人たちと寄り添う」ことにならない、との意見があるのも事実なのだ。
とはいえ、「国政に関与できない」という憲法上の制約のなかでの前天皇の11回に及ぶ沖縄訪問である。沖縄が先の大戦で犠牲の島となったことを浮き彫りにし、平和への熱い思いを国民に印象づけたことは確かだ。おことばの中の「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たす」とは沖縄訪問を指していたと言っても過言ではないだろう。
 安倍政権は「普天間基地の移設」の名目で、沖縄県の民意を無視して辺野古基地新設にまっしぐらである。沖縄の人たちから見れば、安倍首相の目は沖縄でなくアメリカを向き、トランプ大統領のいいなりになっているとしか映らない。その沖縄の人たちにとって、前天皇の沖縄訪問により国民の目が一時的にせよ沖縄に向けられることは、辺野古反対運動にとってプラスとは言えないまでも、決してマイナスではない。一方、前天皇の沖縄訪問は安倍政権にとっては何とも具合の悪いことであったに相違ない。

問われる令和の天皇

 新天皇が「おことば」で「憲法を守る」と述べなかったのは安倍首相の進言を入れたことによる、と言える証拠はない。だが、少なくとも安倍首相は「憲法にのっとり」の文言に、ほっと胸をなでおろしたにちがいない。
首相は今年の憲法記念日の5月3日、「日本会議」系の集会「公開憲法フォーラム」にビデオメッセージを寄せた。安倍首相は2年前のメッセージで「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と述べたことについて、今年のメッセージでも「その気持ちに変わりない」としたうえで、第9条に自衛隊を明記するとの自説について「違憲論争に終止符を打つ。その先頭に立つ」と語り、「令和への改元を機に改憲論議を進めるべきだ」と訴えた。
 要するに安倍首相は前天皇から新天皇に変わったのを機に、憲法改変を一気に進めようとの魂胆なのだ。新天皇が「憲法を守る」と言わなかったことは、その意図はともかく、結果として安倍首相の後押しになる可能性を否定できない。
 言うまでもなく、新天皇が何から何まで前天皇と同じことをすればいい、というものではあるまい。独自の象徴天皇像を見いだすべきだろう。ただ、沖縄を訪ねるのか、訪ねるとしてもどのような姿勢でのぞむのかを注視したい。新天皇には、「国民に寄り添う」ために、戦争になれば沖縄、広島、長崎の惨劇になることだけは学んでもらわねばならない、と思うからだ。もし、日の丸の小旗を振り、「天皇陛下万歳」という人たちだけに寄り添う天皇であるならば、若者が天皇の名において戦場に散り、国民が塗炭の地獄に陥ることになる、と恐れるからである。
                      了

2019Lapiz秋号《巻頭言》 :Lapiz編集長 井上脩身

 

中西氏

 私は「令和」という言葉の響きによい印象をもっていません。夏号の巻頭言でもふれましたが、「冷和」という文字が頭をよぎり、平和が冷える、つまり平和でない時代になるのでは、と不安になるのです。

 「令和」の考案者とされる国文学者・中西進氏に対するインタビュー記事が6月11日付の毎日新聞に掲載されました。紙面には「令和 平和への祈りうるわしく」との見出しがおどっています。記事のリード(前文)には、「3時間に及ぶインタビューで中西さんは令和を『うるわしく平和を生きていく願いがこもった元号だと了解していいでしょう』と語った。そして忘れえ得ぬ戦争体験を明かし、不戦を誓った憲法9条を『世界の真珠』とたたえた」とあります。

 中西氏は、令和には9条の平和の願いが込められている、というのです。私は1ページをまるまる費やしたこの記事を何度も読み返しました。

 令和の典拠は「万葉集 巻第五 梅花の歌三十二首?せて序」の「初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」(読み下し文)によります。この現代語訳は「新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとく白く咲き、蘭は身を飾った香の如きかおりをただよわせている」(中西進『万葉集』講談社)。

 中西氏によると「令和」の2文字は大伴旅人らが大宰府で開いた梅花の宴で詠んだ32首の中から取られたもので、令は玉と考えていると中西氏。「玉は光を吸収し、その光源は内にたまる。気品ある端正な美というのが令の語感」といいます。

 和については「合わせるという意味がある。やさしいという意味もある。みんながやさしく力を合わせている」と説明したうえで、「やわらかいという意味もある。武力のハードパワーでなく、ソフトパワーを大切にしなければならない」と付け足しています。 

 中西氏は昭和ヒトケタ世代。終戦の玉音放送は東京・高田馬場の軍需工場で聴いたそうです。父親の仕事の関係で広島の中学校に通っていたことがあり、爆心に近い校舎にいた同級生20人が原爆の犠牲になったといいます。また東京空襲の記憶も鮮明で、「空襲警報が鳴るたび、庭に掘った防空壕から母が叫ぶ。早く入りなさい!早く!と。夜が明けると、あたりは焼け野原、いたるところに死体がごろごろしていました」と語っています。
写真:国文学者・中西進氏(6月11日付毎日新聞より)

 「いま、戦争を知らない人たちは改憲へまっしぐら」という中西氏。9条に自衛隊を明記するという安倍晋三首相の方針に対して、「私たちにとって9条の変更はあり得ません。世界の真珠です。ノーベル平和賞クラスです」と強く批判。「国際的でありながら自立的、このふたつを矛盾なく持つ希有な万葉の精神、そして令和の精神をどう生かすか。選挙で改憲などを争うのではなく、戦争のなかった平成の時代をさらにバージョンアップさせる方法こそ政治家たちは論じ合うべきだ」と主張します。令和の考案者ならではの万葉護憲論と言えるでしょう。
 しかし、明治、大正、昭和と続いた元号制度には天皇主体の国家主義的な匂いを私には拭い去れません。そして、天皇の名のもとに戦争が行われた歴史を思うと、私はどうしても元号が好きになれないのです。私はどうしても元号表記しなければならない場合以外は西暦で書きます。

冒頭、令和によい印象をもっていない、と書きましたが、実際、元号を万葉集から採ったことには専門家からも疑問の声が上がっています。小松靖彦・青山学院大教授は大伴家持の長歌から引用された楽曲『海ゆかば』の「海行かば 水漬(づ)く屍(かばね) 山ゆかば 草生(む)す屍 大君の 辺(へ)にこそ死なめ かへりみはせじ」が満州事変(1931年)後、小学校の教科書に載るようになったことを取りあげ、「『海ゆかば』の歌詞を胸に死んでいった人たちがたくさんいたことを忘れてはならない」と警告。戦時中、「万葉集の精神で」という言葉が飛び交った」と指摘し、「万葉集をどう享受し継承するか、今に生きる私たちにかかっている」と訴えます。(4月16日付毎日新聞)

 天皇制と憲法9条は矛盾しているのではないでしょうか。この疑問に三谷太一郎・東大名誉教授は次のように応えています。

 「憲法制定に至る日米間の折衝で、連合国最高司令部(GHQ)は、憲法の前文や条文に国民主権を盛りこむことに強く固執した。日本側は、なんとか国民主権を挿入しないで済むよう抵抗したが、それでは天皇の地位は約束されなかった。平和主義も同じく、天皇制を残すには必須だった。つまり憲法の国民主権も第9条も、象徴天皇の規定と密接関連している。だから、憲法9条を変えるということは、天皇制の根幹に触れる問題。憲法改正は日本の政治社会を分断し、象徴天皇制の基盤を間接的に脅かす可能性がある」(5月1日付同紙)
 
 国民主権、憲法9条、象徴天皇制はワンセットのもので、憲法9条を変えることは象徴天皇制をも揺るがすもの、というのです。三谷氏は、「今回、元号の陰に政治的意図が見え隠れすることに違和感を覚えた。象徴天皇制の将来のために、元号の政治利用は避けた方がよい」と苦言を呈します。おそらく安倍首相が天皇譲位や新元号の決定に際して裏で何らかの画策をしたのではと疑っているのでしょう。

 中西氏が求める平和主義が令和の時代も続いてほしい、と誰もが願います。しかし元号の陰に政治的意図が見え隠れしたことから、「大君のために」戦場に若者が行くというあの忌まわしい時代にならないか、との懸念を消し去ることができません。
憲法9条を変えようとの動きが強まるなか、今号の「びえんと」では、新しい天皇の即位に際しえの「おことば」を通して、天皇と憲法の関係を考えてみました。

3月に入りました。

Lapizのサイトでは今月から巻頭言をはじめ春号に掲載している記事を順に紹介してゆきます。お楽しみに。

また「ジョセフ・ヒコの幕末維新」は連載5回を別冊として掲載してゆきます。

明治150年企画 ジョセフ・ヒコの幕末維新:井上脩身

Lapiz明治150年企画
「ジョセフ・ヒコの幕末維新」:井上脩身

第一回 中浜万次郎編
ーペリー来航前夜の太平洋ー
別冊 ジョセフ・ヒコ
ジョセフ・ヒコは、1837(天保8)年9月20日(8月21日)、播磨国加古郡古宮村(播磨町古宮)に生まれた。幼名を彦太郎(のち浜田彦蔵)と言い、母の再婚相手の養父の船乗りにあこがれ、母を13歳で亡くしてから彦太郎は栄力丸で江戸へ出かけ、江戸見物を終えての帰り、船が嵐で難破し、太平洋を52日間漂流した・・・。幕末に活躍した通訳、貿易商。「新聞の父」と言われる。洗礼名はジョセフ・ヒコ 。