冬の夜更けは・・山城の国物語008《山城から明日香へ》片山通夫

仁徳天皇陵

こうしてみると「我らが山城の国」は継体天皇が「天皇として」生まれたふるさとともいうべき重要な位置のあったと思う。木津川が他の大河と合流した地域であり、その大河を治めて20年、機を待って飛鳥の地へ赴く。おそらく「神武の東征」をほうふつとさせたのではないか。
もし継体天皇が実質初代天皇だったとすれば、彼以前の天皇は?また16代仁徳天皇陵のように巨大な墳墓が存在することが不可解だが、発掘調査させてもらえない現在ではそれすら確認のしようがない。せめて遷都の一覧を眺めて負いたい。
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冬の夜更けは・・山城の国物語007《継体天皇ヤマトへ》片山通夫

20年もの歳月をかけて、山城国で雌伏してヤマトへの遷都をうかがっていた継体天皇にようやくチャンスが巡ってきた。ここ大和の地で生まれた手白香皇女(たしらかのひめみこ、仁賢天皇2年以前 – 没年不詳)と皇女に近しい皇族が後ろ盾となった。ようやくヤマトの本拠地に入城したというわけである。この手白香皇女は後に継体天皇の皇后となる。磐余玉穂宮遷都に果たした皇后手白香皇女の役割というのは、すでに述べたように「内部からの手引き」であろうことは想像に難くない。その功をもってか知らないが彼女は天皇の皇后となった。もしかして先に結婚していたのかもしれない。もちろんこれは筆者の妄想であるが…。

ここ当時の中枢であった桜井市には歴代の天皇の宮があった。
第17代履中天皇の磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや)、
第22代清寧天皇の磐余甕栗宮(いわれのみかぐりのみや)、
第26代継体天皇の磐余玉穂宮(いわれのたまほのみや)、
第31代用明天皇の磐余池辺双槻宮(いわれのいけのべのなみつきのみや)
である。

このうち磐余玉穂宮は我らが継体天皇が彼の皇后と宮を営んだ。歴史上初の「内助の功」だったのかもしれない。
シリーズ山城の国の継体天皇編はこの項で終わる。次は現在の山h城の国を知らべることとしたい。

 

冬の夜更けは・・山城の国物語006《第26代継体天皇-03》片山通夫

白髭神社鳥居(高島市)

母の手で育てられた男大迹(ヲホド)は時には近江・高島へ行き来したと伝えられる。琵琶湖畔と言っても越前の三国や丸岡からは遠い。山を踏み分け、水運を利用した往来だったと想像する。彼は水に親しんだかもしれない。いやそうだったろうと推察する。越前の国・三国は日本海沿岸。高島は琵琶湖畔。

途中険しい山が連なり、海岸は山が海に迫まる。そんな中を頻繁に行き来した。

失礼な言い方だが当時の越前や高島はそんなに開けていたのだろうか?と疑問を持つ。彼の時代は6世紀初め。この頃の大陸はどの様な時代だったのか調べてみた。ちょうどこの頃は高句麗が南下、新羅が西に勢力を広め、百済が加耶の一部を支配した時代だったようだ。日本神話に出てくる「スサノオが天上界を追放された」のもこの頃だった。スサノオは新羅にいったん降り立ちその後出雲に渡りヤマタノオロチを退治してクシナダヒメと結婚した。この後に起こった白村江の戦い(663年10月)は7世紀半ば。

継体天皇の出自に関してはこの辺で終わりたい。継体天皇の時代はちょうど「神代の時代」と「その後」の境の時代だと思われる。もしかして継体天皇が初代の天皇だった可能性も否定できない思いだ。

 

冬の夜更けは・・山城の国物語005《第26代継体天皇-02》片山通夫

田中の集落・高島市

もう少し継体天皇の謎を書いてみたい。最も興味を持った筆者が戯れに書いているだけなので、そのつもりでお読みいただきた。
コロナの影響と寒波襲来の中、滋賀県高島市へ出かけた。目的は継体天皇の出自を肌で感じるため。幸いにして雪も降らなかって、というか晴天に恵まれて田んぼの雪がまぶしかった。 “冬の夜更けは・・山城の国物語005《第26代継体天皇-02》片山通夫” の続きを読む