千夜一夜の夏《幽霊と妖怪》片山通夫

さて幽霊や妖怪の本場と言えばやはり1200年以上の歴史を誇る京都がダントツだと思われる。何がダントツかと言えば一番「出そうな場所が多い」と言うことに尽きる。特に妖怪は平安の時代にはずば抜けて多かった。狐が母だという陰陽師・安倍晴明に至っては妖怪を退治するのが仕事だったようで、天文学(呪術・科学)に長けて式神を自在に操った。 “千夜一夜の夏《幽霊と妖怪》片山通夫” の続きを読む

千夜一夜の夏《幽霊と妖怪》片山通夫

さてその幽霊だが日本にも古来から伝わる話があまたある。人の怨念がこの世に残って、恨みを晴らそうとする話が多い。

反魂香之図・丸山応挙画(部分)

ところで幽霊には足がない。これ一つの不思議。いや、不思議でもなんでもない。「反魂香」という伝説上のお香があった。落語に出てくる話でそのお香を焚くと愛妻だった幽霊がお香が燃えている間姿を現す。お香を焚いている間だから煙で足が見えない。その状況を丸山応挙と言う有名な画家が描いた。足の見えない幽霊を…。

反魂香はんごんこう :焚けば死人の魂を呼び返し、その生前の姿が煙の中に現れるといわれる想像上の香。 返魂香ともいう。(落語
丸山応挙:享保18年5月1日(1733年6月12日)- 寛政7年7月17日(1795年8月31日))は、江戸時代中期~後期の絵師。

千夜一夜の夏《幽霊と妖怪》片山通夫

お断り:ここに書く話は全てインターネットで見つけた話です。
https://thegate12.com/jp/article/340#content-2

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日本の怪談などに登場する幽霊や妖怪。幽霊とは「死んだ人の霊」で、妖怪とは「奇怪現象や非日常的な存在」のことを指します。日本人にとって馴染みのある言葉ですが、その意味の違いを聞かれると、なんとなくしか答えられないという人も多いはず。実は幽霊と妖怪にはそれぞれ定義があり、別のものとして扱われているんです。まずはここで、幽霊と妖怪の定義を見ていきましょう。幽霊とは「死んだ人の霊」や「成仏できなかった魂の姿」のこと。この世に未練や恨みがあって成仏できない死者が、幽霊となって因縁のある人の前に姿を表すとされています。幽霊の多くは、この世に思いを残したまま死んだ者であるため、その望みや思いを聴いて、執着を解消して安心させることで、姿を消すとも言われています。 “千夜一夜の夏《幽霊と妖怪》片山通夫” の続きを読む

夏の千夜一夜物語《ええじゃないか》構成・片山通夫

「ええじゃないか」騒動に興じる人々。(ウイキペディア)

 空から降ってくるのは雨や雪だけでなく、時には雹(ひょう)や花粉も降ってくるが、御札や豆までとなると、気象庁も困ってしまう。ところが江戸時代に、これらが実際に降ったらしい。伊勢神宮の御札が舞い、民衆が熱狂的に「ええじゃないか」と叫び踊ったという話は有名である。(写真) “夏の千夜一夜物語《ええじゃないか》構成・片山通夫” の続きを読む

夏の千夜一夜物語《ツチノコ》構成・片山通夫

 蛇にしては胴が太く、柄の無い槌(つち)のような姿だというツチノコ(槌の子)。地域によってはノヅチ(野槌)、尺八蛇などと言い、横になって斜面を転がるという話から、タンコロ、ドデンコとも称されている。
生け捕りに賞金がかけられるなど、近年でもメディアで話題になるが、民俗学では、昭和40年代に、坂井久光が雑誌『あしなか』で4度の報告をしている。坂井は、生態学者の今西錦司らと、目撃情報のあった各地へ足を運んだが、お目にかかることは出来なかったようだ。今西は蛇が獲物を飲み込んで膨れた状態と理解したが、岐阜県金山町では交尾期の蛇が絡まり合ったものだという。また全く架空の生物とする向きもある。
呼び方といい解釈といい、単一の現象に還元できないところが興味深い。
(日文研妖怪DB班・中本剛二)

夏の千夜一夜物語《幽霊の話2》構成・片山通夫

その時も残業をしていたそうなのですが、足音や仕事をしているような音はしなかったそうです。
ただ、どこからかカタカタという音が絶え間なく聞こえていたそうです。

気になるので音を辿っていくと、応接室に行きつきました。ドアを開けると、さらにカタカタという音が大きくなります。 “夏の千夜一夜物語《幽霊の話2》構成・片山通夫” の続きを読む

夏の千夜一夜物語《幽霊の話》構成・片山通夫

知人に聞いた話ですが、彼の勤めている会社のビルは「出る」と言われているそうです。特定のフロアだけに出るのだそうですが、そこには知人が所属する部署も入っていて、そのため何度もそれらしいものに遭遇したことがあるようです。

しかし知人曰く、お化けといっても大人しいものなんだとか。
残業をしていると、パーテーションの向こうから足音がしたり、マウスをクリックしたり、書類をめくったりする音が聞こえるそうです。
まるでそこに誰かがいて、同じく仕事をしているような雰囲気なのだとか。

自分の仕事が終わってもまだ気配がするので、挨拶してから帰ろうと覗くと、誰もいないのだそうです。
フロアを出入りするドアは一つしかなく、開け閉めすると音がするので、人の出入りがあればすぐわかるはずだと言います。 “夏の千夜一夜物語《幽霊の話》構成・片山通夫” の続きを読む