千夜一夜物語《一休寺》片山通夫

伝・墨渓筆『一休宗純像』(奈良国立博物館所蔵)

 

 

京都の南、いわゆる洛南に京田辺という木津川沿いの古い町がある。南には明日香、平城を望んだ、木津川の水運を頼りに朝鮮半島や大陸を見た。結構な田舎町だが当時は国際的な町でもあったようだ。そんな地に一休禅師が住んだ酬恩庵がある。折からのコロナ禍で観光客はほとんどいなかった。

 

 

 

夏の千夜一夜物語《近江孤篷庵》

近江孤篷庵

孤篷庵(こほうあん)と読む。この寺は小堀遠州の菩提寺。遠州の茶の湯は「きれいさび」と称され、遠州流として続いている。政一は和歌や藤原定家の書を学び、王朝文化の美意識を茶の湯に取り入れた。生涯で2000人の客を茶席に招いたという。小堀遠州(1579~1647)に関しては滋賀県長浜市の資料が詳しい。 https://bit.ly/3sBhXq8

彼はこの近在で生まれた。例によってウイキペディアで探してみた。(https://bit.ly/3x0xzXz
⇒小堀政一(こぼり まさかず)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名、茶人、建築家、作庭家、書家。2代備中国代官で備中松山城主、のち近江国小室藩初代藩主。官位は従五位下遠江守。遠州流の祖。一般には小堀遠州(こぼり えんしゅう)の名で知られるが、「遠州」は武家官位の受領名の遠江守に由来する通称で後年の名乗り。道号に大有宗甫、庵号に孤篷庵がある。

訪れた方のコメントを無断拝借⇒寺社庭園を回ってると度々耳にする作庭家のスーパースター小堀遠州の菩提寺。農村風景の中にひっそりと建つ風情は、現代人の私にはちょっと寂しさや物足りなさを感じないでもなかったが、訪ねるとふすまを開け放ってくれた。すると涼しい風が入ってきてそれまでのなま暖かかった空間が嘘のように心地よい空間になった。
入口には桔梗の花が咲いていた。

夏の千夜一夜物語《茶摘 ちゃつみ》

京都・宇治田原町の茶畑

ご存じ、「夏も近づく八十八夜(はちじゅうはちや)」で始まる「八十八夜」は唱歌集「尋常小学唱歌」に掲載された。一説によれば、『茶摘(ちゃつみ)』は京都の宇治田原村(現京都府宇治田原町)の茶摘歌がルーツとされ、歌詞の二番にある「日本」は元々は「田原」だったとか。
京都の宇治田原村は、江戸時代に煎茶製法を確立した永谷宗円が有名(永谷園創始者の先祖)。山本山は宗円の茶を販売して莫大な富を築いた。
蛇足ながら、八十八夜とは雑節の一つで、立春から数えて88日目の日を指し、毎年5月2日頃がこの日にあたる。

夏の千夜一夜物語《初めに》

写真はイメージ「函館ベイエリアで」

 

決してかのペルシャの物語ではない。タイトルをちょっと借りただけ。写真は初夏の風景から始めるとしたい。はじめはお察しの通り北海道の初夏の写真から…。また時にはエッセー風の小文も。

 

千夜一夜物語はアラビア語のカルカッタ第二版からの直接の翻訳である『アラビアン・ナイト』が有名。これは子供にも読めるおとぎ話風の物語だが、ここでは全く関係ない。筆者の思い付きの写真とエッセー。

まさに御用とお急ぎでない方はお読みください。

春の宵物語《初夏の香り》片山通夫

ライラックは東京だと5月に咲く花木で、葉はハート形、花は円錐形に小花が房咲きになり紫色、藤色、紅色、白色などの一重や八重の花をたわわにつけます。香りが良いので世界中で愛されている花木です。フランス語でリラ、和名はムラサキハシドイと呼ばれています。ハシドイは日本に自生する近縁種の落葉小高木のことです。  ライラックは冷涼な気候を好み、特に夏の夜温が下がる環境を好みます。そのため東北北部や北海道、本州の高原地帯が適地といえます。  ライラックは切り花としても流通しています。2月ごろから輸入物のライラックが流通し始め、国産のライラックは4~5月ごろに出回ります。切り花としての流通期間は短いですが、とても人気のある花です。
ライラック

春ももうすぐ去ってしまう。季節は初夏。夏に移る。
初夏の香りを集めてみた。
まず花。筆者は動植物や魚類などには全く知識がないが、ただ知っているだけの5月の花。それはライラック。フランス語でリラ。ライラックの属名のSyringa(シリンガ)はギリシア語で笛やパイプを意味するsyrinxに由来し、枝の髄の部分をくりぬいて管にし笛をつくって古代ギリシャでは羊飼いたちがライラックの笛を吹いていたそうです。トルコではこれをパイプにしていたとか。

ライラック全体の花言葉は、「思い出」、「青春の思い出」、「友情」、「純潔」。
紫色のライラックの花言葉は、「初恋」、「愛の芽生え」
白色のライラックの花言葉は、「青春の喜び」、「無邪気」

またイギリスの一部の地域では「ライラックを身につけると結婚できない」、「紫のライラックの花は縁起が悪いので家に持ち込んではいけない」などといういい伝えが存在していたらしい。

春の宵物語《行く春(ゆくはる) 晩春再び》

今まさに過ぎ去ろうとする春のこと。寒い冬の後に待ちわびた春。しかし瞬く間にその春は過ぎ去ろうとしている。そんな様を感じる。「春惜しむ」というと、さらに愛惜の念が強くなる。

季語としても多々歌われる。例えば
春の名残、春のかたみ、春の行方、春の別れ、春の限り、春の果、春の湊、
春の泊 春ぞ隔てる、春行く、徂春、春を送る などなど。

行はるや鳥啼うをの目は泪 芭蕉 「奥の細道」
行春にわかの浦にて追付きたり 芭蕉 「笈の小文」
とゝ川の春やくれ行葭の中 丈草 「丈草発句集」
ゆく春やおもたき琵琶の抱ごゝろ 蕪村 「五車反古」
ゆく春や鄙の空なるいかのぼり 白雄 「白雄句集」
行春やうしろ向けても京人形 渡辺水巴 「白日」
行く春や心の中の蓑一つ 長谷川櫂 「初雁」