エッセー《鍵》片山通夫

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「鍵」とタイトルをつけても、かの谷崎潤一郎氏の長編小説「鍵」とはなんの関係もないことは最初にお断りしておく。ここに出てくる「鍵」はそのものズバリ「鍵」である。

人は生活をするうえで幾つかの鍵を必要とする。まず自宅の鍵、車の鍵、仕事場で必要な鍵、もしかしたら個人的に大事なものを入れている金庫や小箱の鍵、デスクの引き出しやロッカーの鍵など枚挙にいとまがない。

筆者は自宅とは別に事務所を持っていた。だから当然そこに入る為の鍵が必要だった。それがこのコロナ騒ぎで、事務所へ出向かなくなった。電車に乗るのも億劫になったからである。そうすれば必然的に定期券も必要なくなり、事務所関連の鍵も要らなくなった。

今まで鍵を持って出るのを忘れたことが何度かあった。とりに家に帰ったこともあり、その日は事務所へは行けなく、まったく違う方向への電車に乗って小さな旅をしたこともあった。それが事務所をたたんだら、鍵の束を持つこともなくなり自宅の鍵一本だけになった。それも家内が自宅にいるときは(まあ大抵はそうだが)そのたった一本の鍵も使うこともなくなった。そうなるとキーリングも要らなくなる。たった一本残った自宅の鍵を大事にそっとポケットに入れる。そんな毎日に一抹の寂しさが漂うのは気のせいなのか。

所であなたは鍵を何本お持ちですか?

表紙

【出版案内】北博文写真集 breath of CITY monochrome photography
日々変化する都市光景を一期一会として感じるままにファインダー内のレンズフレーム枠全体でトリミングして撮影し、自家暗室にてフイルム現像し印画紙に焼き付けています。人間が利便性を探求し、長い時間を費やして作り上げてきた都市が今や自らの生きる術を得たかのように朝・昼・晩と表情を変えながら、そこに生きる人たちの心を揺さぶり、その反応を眺めているかのような虚実的な都市の空気感を捉えていきたいと思っています。
出版社 NextPublishing Authors Press (2023/7/27)
発売日 2023/7/27
言語 日本語
オンデマンド (ペーパーバック) 117ページ
ISBN-10 4802083831
ISBN-13 978-4802083836
寸法 21.59 x 0.69 x 27.94 cm
お買い求めは  https://www.amazon.co.jp/gp/product/4802083831

 

片山通夫写真集 “ONCE UPON A TIME” Lapiz 誌上予告展001

ようやく懸案の1,960年代から撮りためた、片山通夫写真集 “ONCE UPON A TIME”が出来上がりました。編集をしてくださいました戸上泰徳氏にはさんざん無理を言ってしまいましたが、最後までお付き合いいただき、ただただ感謝あるのみです。

神宿る。《京都・糺すの森にて》片山通夫

糺の森のご神木。下鴨神社境内の原生林の中だから、もう森全体が神域のご神木群。

糺の森は京都の北、京阪電車の北の終点、出町柳駅から歩いて10分ほどのところにある下賀茂神社の境内にある原生林を指す。「ただすのもり」と読む。この糺すは「事の是非・真偽・事実や真相などを追及すること。問い質す(といただす)こと。「質す(ただ-す)」よりも厳しい追及のニュアンスがある語彙」と辞書にあるように厳しく問いただすというようなニュアンスらしい。

この名前の由来だが、「偽りを糺すの意とするほか、賀茂川と高野川の合流点であることに起因して只洲とする説、清水の湧き出ることから直澄、多多須玉依姫の神名に由来するという説などの各説がある。他に、木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)にある元糺の池およびその周辺の元糺の森から遷された名前であるという意見もある。 (この項ウイキぺディア)

ちょっとエッセー《夏の時間》山梨良平

イメージ「水撒き」

暑い!お盆だ。テレビは相変わらず。清涼は白球を追う高校球児。見るともなくテレビを見ながらぼんやりと過ごす時間がここち良い。夕刻になると、いささかの風が吹き猫の額ほどの庭に水を撒く。打ち水と言うほどの風情もない。しかし夕方の太陽に向かって水を撒くと時には虹を見る。虹が木の葉と絡みしずくとなってしたたる様にいささかだが涼を覚える。

今日の新聞を読んでいなかったことを思い出して手に取るが、眼は「猫の額」と名付けた庭のヒイラギのとげから、先ほど撒いた水がまだとどまっているのを見つけて一人喜んで新聞には眼を移さない。そういえばヒイラギは木へんに冬と書く。椿は春の木、夏は榎(えのき)、そして秋は・・・。えっ?木へんに秋? 楸は「ひさぎ」と読むらしい。猫の額も時には役に立つ。それにつけても暑い日が続くものだ。 “ちょっとエッセー《夏の時間》山梨良平” の続きを読む

秋の夜長に聞く話《星空を眺めて》片山通夫

COP26が終わった。まあ、それぞれの国の立場や考えがグラスゴーの街で静かに衝突、つまり偽善的な終了を迎えたという印象を筆者は受けた。
11月20日のAFP通信は「トゥンベリさん、英首相を糾弾 COP26にプライベートジェットは「偽善的」という18歳の少女の意見を掲載した。
https://www.afpbb.com/articles/-/3376891

彼女はAFPに「もちろん気候危機はプライベートジェットによって引き起こされたものではないが、気候危機を解決しようとしながら、ボリス・ジョンソン氏のようにすぐ近くに住んでいる世界の首脳がプライベートジェットでグラスゴー入りしたことは、やや偽善的だ」と語った。「それでは正しいメッセージを発信することにならない」。英首相は「再びグラスゴーに向かう際には列車」を利用したという。

またグラスゴーでは「石炭火力発電の性急な廃止」を求める国の主張の裏には「原発推進」の意図が隠されていたように思える。いずれにしても各国の思惑が入り乱れ、「青い地球」を保つことはなかなか難しいようだ。

一度グラスゴーの星空を眺めながら各国首脳が歓談すればよかったのかもしれない。

秋の夜長に聞く話《読書の秋》片山通夫

物悲しい。これが秋の代表的なイメージ。勿論ご存じ「食欲」、「スポーツ」、「天高く…」などなど
積極的な秋もある。何しろ馬が肥えるのが秋なのだから…。

ここではもっと詩的な話をしたい。このシリーズのタイトルにもある「秋に夜長」を考えてみたい。
秋分の日を過ぎると昼がどんどん短くなってゆく。その現象は実に冬至に至るまで続く。
こんな時期を「秋の夜長」と昔の人は表現した。

さてその長くなってゆく夜の過ごし方だが、皆さんはどのように?

最近ではインターネットで色んな映画が配信されている。高速WIFIを自宅で繋ぐとあらゆる世界の映画報を見ることができる。無論大画面で見ることもできる。
しかし何となく大画面で見るのは落ち着かない。
そこそこのモニターで見たいものだ。

しかし本当は秋の夜長には読書が似合う。
秋の一日、ゆっくりと美術館などで過ごし、心地よくつかれた体を休めながら読書などすれば満点だ。

秋の夜長に聞く話《秋は人を詩人にする》片山通夫

 

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秋はますます深まってゆく。

芭蕉の句に

「秋深き 隣は何をする人ぞ」

中学だったか高校だったか、所謂生意気盛りの筆者は思ったものだ。

「何をしようと勝手だろ・・・・」
さすがに最近はそんなことは思わない…。(当たり前か)
隣の人は何をして深まりゆく秋を楽しんでいるのかな
こんな意味だそうです。

〇秋深き かげともなひて 部屋にあり   高浜年尾(たかはまとしお)

〇秋深き 大和に雨を 聴く夜かな   日野草城(ひの そうじょう)

〇下駄の音 ころんと一つ 秋深し   富安風生

秋は人を詩人にする。