連載童話《のん太とコイナ[天の川]#4》文・画 いのしゅうじ

「コイナちゃん、どうして川を泳がないの」
「泳ぎたいのよ、ほんとうは。でも、ダムやらなにやらで、見えるのはコンクリートばかり。泳ぐ気がしないわ

「これからどうするの」
「里にもどるの。おばあちゃんが一人でいるんだもの

「空を泳ぐって気もちいいだろうなあ」
「いっしょに行ってみない」
「うん、行く」
のん太はまようことなく、コイナに乗ることにしました。
コイナは空を泳ぐため、おなかを上にむけます。だから、のん太はコイナのおなかにまたがりました。
コイナはけわしい山々が海にせまる、美しいリアス式海岸の上空をスイスイすすみます。
「すっごーい」「うそみたい」「夢だ」
はしゃぎすぎてつかれたのか、のん太はすーっとねむってしまいました。おなかのヒレで、ふとんのようにやさしくつつむコイナです。

連載童話《のん太とコイナ[天の川]#3》文・画 いのしゅうじ

つぎの日の明け方、のん太の部屋の窓がゴトゴトと音をたてています。
目をさましたのん太が窓に目を向けると、こいのぼりが顔をガラスにくっつけ、何かうったえています。
窓をあけると、男の子にいじめられたこいのぼりでした。
「きのうはありがとう」
こいのぼりが言葉をしゃべったので、のん太は目を丸くしました。
「空を泳いでるっていってくれたでしょ。うれしかったわ」
「じゃあ、ほんとうに空を泳いでたんだ」
「うん、川より空がいいの」
こいのぼりは「コイナ」という名の女の子。
山奥の村で暮らしています。町が見たくなりました。アカダ市の上空までやってきたとき、フェスタの係の人につかまり、ロープにつるされたのだそうです。
「フェスタが終わって解放されたので、お礼を言いたくて、まっさきにここにきたの」

連載童話《のん太とコイナ[天の川]#2》文・画 いのしゅうじ

タイコえんそうがひと休みしたとき、男の子のさわぎ声が聞こえてきました。
「コイは川で泳ぐんだろ。お前はさかさじゃないか」
折り紙のかぶとをかぶった二人の男の子が、一ぴきのこいのぼおりを、ものほしおざおでつっついているのです。
たくさんのこいのぼりのうち、ピンクのはだのこいのぼりが、みんなとは反対に、おなかを空にむけています。男の子はひっくりかえそうとしているのです。
のん太はこいのぼりが泣いているように見えました。
いじめにあってる、かわいそう!
のん太は勇敢にも男の子たちの前にたちはだかりました。

「いじめるな」
「川で泳がせるんだ。何が悪い」
「この子は空を泳いでるんだ」
えっ! 男の子はのん太の気迫におされたのか、ものほしざおをほうりなげ、ていぼうのむこうに走っていきました。

連載童話《のん太とコイナ[天の川]#1》文・画 いのしゅうじ

 1)天の川
ここはアカダ川のていぼう。男の子が寝そべっています。
男の子はのん太、小学四年生。ほんとうの名前は則夫。
のん太は学校でいやなことがあると、通学路のアカダ川の橋からていぼうに下り、あおむけになってぼおっと空をながめます。そうしてると、学校でのことを忘れられるのです。
のん太を見て、だれかが「のんびりのん太」とからかいました。それからは、友だちだけでなく、お父さんまで「のん太」とあだ名で呼ぶようになりました。
その父さんのお気に入りはアカダ高校のタイコえんそう。「高校生ばなれのうで」といいます。
こどもの日、アカダ川では毎年「こいのぼりフェスタ」が開かれます。
フェスタの一番の呼びものはアカダ高校のタイコえんそう。
なので、お父さん、お母さん、妹の一家四人で、河原でお弁当を広げるのが、のん太の家のこども日のならわしです。
今年も、家族でフェスタに行きました。千びきのこいのぼりが、気もちよさそうに泳いでいます。

連載コラム・日本の島できごと事典 その104《玉置半右衛門》渡辺幸重

玉置半右衛門(ウィキペディアより)

玉置(たまおき)半右衛門(1838―1910)は、鳥島(伊豆諸島)のアホウドリを捕獲して羽毛布団を生産し、巨万の富を築いたことで知られる八丈島出身の実業家です。大東諸島の開拓にも携わりました。「南洋事業の模範家」と称賛され、「裸一貫で日本の実業界に君臨した」と言われますが、アホウドリを絶滅に導いたり、労働者を搾取したりするなど負の側面も指摘されています。

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写真エッセー《出雲往来#6 完》片山通夫

話は前後する。国生みの神様である伊弉冉は火の神さまを生んだのが原因で亡くなった。この辺りも日本神話の良いところで、至極人間的だ。夫である伊弉諾は妻の亡骸を出雲国と伯伎(伯耆)国の境にある比婆の山に葬ったものの会いたくて仕方がなかった。そして黄泉国を訪れて・・・。その黄泉の国への出入り口が東出雲の揖屋神社の近辺の黄泉平坂(よもつひらさか)残っている。そして揖屋神社は伊弉冉を祀っている。(完)

写真エッセー《出雲往来#5》片山通夫

さてそのスサノオが高天原から降り立ったのには理由がある。ここにもいろいろな物語があるのだが、簡単に言えばスサノオが高天原で暴れすぎて追放されたのである。追放されたスサノオは日本書紀の一書(あるふみ)によると朝鮮半島の新羅に降り立ったと書かれている。また安芸に降り立ったとか…。
結局は出雲に降り立ち先に述べたようにヤマタノオロチを退治してクシナダヒメと結婚した。

写真エッセー《出雲往来#3》片山通夫

出雲には様々な神様がおられる。それに伴って神秘的な風景や神社が数多存在する。面白いことに 、旧暦に10月には全国の八百万(やおよろず)の神々が出雲に集まり,出雲以外では神が不在となるために神無月といい,逆に出雲では神在月(かみありづき)という。

写真エッセー《出雲往来#2》片山通夫

稲佐の浜

出雲国には驚くようなエピソードがある。最も筆者が驚いたのは「国譲り」の話。何しろ大国主と言うこの国を治めていた神様が大和朝廷に気前よく国を譲った。この辺りの大国主の神経がわからん。
島根県の観光ナビには「昔々、出雲の国は大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)という神様が治めていました。しかし高天原(天上の神々の国)を治めていた天照大神(アマテラスオオミカミ)はその様子をご覧になり、「葦原中国(あしはらのなかつくに)は我が子が統治すべき」とお思いになりました。
※葦原中国・・・色んな解釈がありますが、ここでは出雲地方を指す解釈」
詳しくはこちら
(明日に続く)