《渡来人たちの宴・外伝 その1》片山通夫

大阪府枚方市にある「伝王仁墓」

【博士王仁を語ろう】

渡来人たちが我が国の文化、政治、経済などあらゆるジャンルで活躍したことは言うまでもない。言い換えれば古代の倭国を造った人々だったというわけだ。そんな中でよく知られた人物を紹介したい。王仁(生没年不詳)は儒教と千字文を日本に伝えた渡来人だと伝えられる。『日本書紀』によれば、王仁は、百済の使者・阿直岐(あちき)の推薦で応神天皇(第15代天皇)の皇子・莵道稚郎(うじのわきいらつこ)の教師として渡来し、諸々の書物を講じたとある。しかしながら人物の詳細については全くと言っていいほどつたえられていない。『古事記』によると、王仁吉師 (わにきし)は『論語』や『千字文』すなわち儒教思想や漢字の基礎を初めて日本にもたらしたとされている。こうした功績により、儒学が盛んになった江戸時代以降、王仁は学問の祖として崇められるようになった。 “《渡来人たちの宴・外伝 その1》片山通夫” の続きを読む

スサノオ追跡《そして渡来人たちの宴が始まった 下 》片山通夫

飛鳥大仏

ともあれ、魏志倭人伝の時代は我が国では弥生時代から古墳時代に移る過渡期。その後いまだに謎に満ちた邪馬台国をはじめとする小国家群が現れ、大和にヤマト王権が出現し、飛鳥文化の華が開く。この頃を詳しく見てみると、古代国家の成立過程で大陸や朝鮮半島からの文化や国家制度の伝来がヤマトから飛鳥時代・古代国家の成立への勢力争いが顕著にみられる。 “スサノオ追跡《そして渡来人たちの宴が始まった 下 》片山通夫” の続きを読む

スサノオ追跡《そして渡来人たちの宴が始まった 中 》片山通夫

魏志倭人伝

一方日本書紀によれば、スサノオは高天原で大暴れして追放されて「一書」では新羅の国へ降り立つという。しかしせっかく降り立った新羅の国を「自分のいるところではない」と出雲へ渡る。
新羅の人々からすれば風の又三郎のごとくに忽然と消えたわけだ。
又三郎の父は鉱山で働く人らしい。なんでもモリブデンの採取に従事しているようだ。
一方スサノオは朝鮮半島で鉄器を見た。馬を見た。おそらく様々な植物と一緒に鉄器の技術とそれに携わる人々、馬と乗馬技術なども我が国に伝えた、いやもしかしたら少なくともそれらの情報を持って帰ったのかもしれない。  “スサノオ追跡《そして渡来人たちの宴が始まった 中 》片山通夫” の続きを読む

スサノオ追跡《そして渡来人たちの宴が始まった 上 》片山通夫

 スサノオ追跡から始まって渡来人たちの宴まで、長いだけで脈絡も歴史的証拠もない話もいよいよ終わりになった。
イザナミとイザナギの間に生まれたスサノオはよく知られているように三男坊だった。筆者の偏見でいわせてもらえれば、三男坊は一言でいえばわがままである。甘やかされて育ったせいなのかもしれない。またスサノオのように末っ子の場合猫かわいがりされて育った可能性がある。
特にスサノオは乱暴であったようだ。亡くなったイザナミ、つまり「かーちゃん」に会いたいとわがまま三昧で、高天原で大暴れしたことは日本神話に詳しい。
特に天の斑馬(ふちこま)の皮を「逆剥ぎ(さかはぎ)」に剥がして、服屋(はたや)の屋根に穴をあけてそこから投げ入れたという話で服屋にいた服織女は驚き亡くなったと古事記にある。とんでもない男だ。思うにスサノオは理知的な姉・アマテラスとはかけ離れた存在だった。ガキ大将と学級委員長という役柄がぴったり。 “スサノオ追跡《そして渡来人たちの宴が始まった 上 》片山通夫” の続きを読む