怒りを込めて振り返れ《障壁を取り払って・・・。》一之瀬 明

台湾話をもう一本。

台湾海峡をはさんで・・

中国当局「障壁取り払って」と台湾に呼び掛け 大陸委「分断たくらむ話術」と一蹴

⇒新型コロナウイルスの感染拡大に見舞われた台湾を支援する意向を示し、中国に対する「障壁を取り払ってほしい」と台湾の人々に呼び掛けた」というニュース。つまり中国はコロナ禍の台湾に「紳士的」に元仲良くしようと直接「台湾国民に呼びかけた」わけだ。香港の例を見るまでもなくそれは「台湾国民を分断」する意図がありあり…。パイナップリ事件といい、WHO問題といい、ワクチン調達の妨害等、今年に入ってもいろんなゆさぶりをかけている。
中国には古いことわざがある。「先ず隗より始めよ」だ。遠大な事業や計画を始めるときには、まずは手近なところから着手するのがいいというたとえ。また、物事は言い出した者から始めよというたとえ。
あれ?ちょっと違ったか?

シリーズ とりとめのない話《昭和の大相撲》中川眞須良

私は以前大相撲はスポーツではなく、アートであると言って周りの顰蹙(ひんしゅく)を買ったことがある。その時はTPOをわきまえなかったこともあリ反省を装ったが、その心の奥は今も何ら変わっていない。

最近の大相撲のテレビ中継を見ていると勝敗だけにこだわった、格闘技スポーツへと色濃く変化しつつある現状にため息を漏らすのは、私だけであろうか。

財団法人 日本相撲協会 それは品位 威厳 過去の実績ある理事長を核としてそれを取り巻く親方、理事、行司、呼び出しそして床屋に至るまで大きな協会と言うアートを構成する一要因として大小の違いこそあれ、それぞれの立場が燦然と輝いていたように想う。言うならばこの集団は、各一人一人の持つ独特の芸術性をおびたオーラの集合体でなければならない。

アートの中心 それはもちろん土俵上である。

時代は少しさかのぼり1960年代、今なお記憶に残るその独特のオーラを発していた場面のいくつかを紹介すれば・・・。 “シリーズ とりとめのない話《昭和の大相撲》中川眞須良” の続きを読む

怒りを込めて振り返れ《竹槍ならぬ精神論》一之瀬 明

風向きがここにきて変わってきた。首相のいうことを利くはずだった政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が国会で「やるなら具体的対策を」「パンデミックの所でやるのは普通ではない」と発言した。国民の安全と安心をよく考えたら当たり前のことだ。ところが政府・自民党は「尾身氏の非公式の個人的見解」でやり過ごした。
「壁を乗り越える努力を世界に発信していく(スガ)」「繋がりや絆の再生に貢献、世界を1つに(橋本)」「安全安心に開催できると信じている、一段努力する必要がある(山下)」

いよいよ精神論で突っ走るつもりだ。コロナに竹槍ならぬ精神論??!!

原発を考える《原発を止めた裁判官》文 井上脩身

「住宅より耐震性低い」と指弾

樋口英明著『私が原発を止めた理由』(旬報社)の表紙

 2014年に大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じる判決を言い渡した元福井地裁裁判長の樋口英明さんが3月、『私が原発を止めた理由』(旬報社)を上梓した。樋口さんが全国各地で行ってきた「原発即時ストップ」を訴える講演内容をまとめたもので、原発が地震にいかに脆弱であるかが、きわめて平易に解説されている。判決は高裁で覆されたが、樋口さんの地震動に関する分析は司法内部に浸透、昨年12月、大阪地裁が同3、4号機についての国の設置許可を取り消す判決を下すことにつながった。樋口さんは「原発の耐震性は一般住宅より低い」と指摘する。福島事故を経験したにもかかわらず、この国では信じがたい事がまかり通っているというのである。 “原発を考える《原発を止めた裁判官》文 井上脩身” の続きを読む

連載コラム・日本の島できごと事典 その27《家人(やんちゅ)制度》渡辺幸重

『大奄美史』(曙夢著、1949年)

1609(慶長14)年、薩摩藩は徳川家康の許しを得て琉球に侵攻し、沖縄全域を半植民地として支配しましたが、琉球国に属していた奄美群島は分割して直接支配しました。財政が厳しかった薩摩藩は奄美にサトウキビの単作を強制し、年貢として黒糖を取り立て、搾取を強めていきました。1830年からは黒糖を藩が買い入れる制度を作り、島民同士の売買を禁止、売買する者は死罪となったそうです。奄美で島民の唯一の食料であったサツマイモの畑もほとんどサトウキビ畑に転換され、人々は過酷な労働のもとで日常の食料にも事欠くようになり、奄美大島・徳之島・喜界島での困窮状況は「黒糖地獄」と呼ばれました。そのなかで豪農のユカリッチュ(由緒人)・一般農民のジブンチュ(自分人)・農奴身分のヤンチュ(家人)という三階層の身分分解が進みました。ユカリッチュは数人から数百人のヤンチュを抱え、自己の私有財産として売買もしました。『大奄美史』(曙夢著、1949年)は「これが即ち謂ふところの『家人』制度で、ロシヤの農奴制にも劣らない一種の奴隷制度であった」としています。明治政府は、1873(明治4)年に膝素立解放令(家人解放令)、翌年に人身売買禁止令を出しますが、解放されたのは当時1万人以上とみられる家人のなかの千人足らずだったと『大奄美史』は指摘しており、明治末年までこの制度が続いたようです。 “連載コラム・日本の島できごと事典 その27《家人(やんちゅ)制度》渡辺幸重” の続きを読む