冬の夜の昔話《カムイ誕生》片山通夫

写真はイメージ

昔、この世に国も土地もまだ何もない時、ちょうど青海原の中の浮き油のような物ができ、これがやがて火の燃え上がるように、まるで炎が上がるように、立ち昇って空となった。そして後に残った濁ったものが、次第に固まって島(現北海道)となった。島は長い間に大きく固まって島となったのであるが、その内、モヤモヤとした氣が集まって一柱の神(カムイ)が生まれ出た。一方、炎の立つように高く昇ったという清く明るい空の氣からも一柱の神が生まれ、その神が五色の雲に乗って地上に降って来た。(ウイキペディアから)

日本神話の伊弉冉と伊弉諾の話とよく似た話だがアイヌ民族の天地開闢(てんちかいびゃく)と国造り神話である。アイヌの神も大勢おられるようだ。

連載コラム/日本の島できごと事典 その9《日本三大弁天》渡辺幸重

厳島神社

「日本三景」など日本人は有名なものを三つ並べるのが好きなようです。「日本三大弁天」もその一つで、いずれも島にあります。厳島(広島県)・竹生(ちくぶ)島(滋賀県)・江島(神奈川県)の3ヶ所と聞くと「なるほど」とうなずく人も多いのではないでしょうか。
弁天(弁才天/弁財天)さんはもともと仏教の守護神なので寺と神社がセットになって祀られています。大願寺・厳島神社、宝厳寺・竹生島神社、そして明治初年の神仏分離で与願寺から神社に変わった江島神社となります。弁天さんのルーツはヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーで、仏教に取り込まれて弁才天になりました。音楽神・福徳神・学芸神で、琵琶を手にした姿は神々しいというより“愛らしい・なまめかしい”という表現がぴったりです。毎年6月に竹生島神社で『三社弁才天祭』が行なわれます。三大弁天の御朱印を集める人もいます。
竹生島は「琵琶湖八景」のひとつ「深緑・竹生島の沈影」で知られ、「日本最古の弁才天」「弁才天の発祥地」ともいわれます。能の演目『竹生島』はあまりにも有名です。江島神社は「辺津宮」「中津宮」「奥津宮」の三社があり、さらに海上に造られた桟道を進んだ先に江島弁才天信仰の発祥の地といわれる洞窟「江の島岩屋」があります。多くの高僧や武将が祈願のため籠ったところです。役(えん)の行者が開き、空海(弘法大師)や日蓮も参籠したそうです。江戸時代には江島詣の参拝客でにぎわいました。“安芸の宮島”ともいわれる厳島では神仏分離の際に仏教的な建築とみなされ、あやうく焼却されそうになりました。
日本三大弁天に、奈良県天川(てんかわ)村の天河大弁財天社と宮城県石巻市の金華山(きんかさん)黄金山(こがねやま)神社を加えて「日本五大弁天」といいます。金華山も島です。「三年続けてお参りすれば一生お金に困ることはない」という言い伝えがあるありがたい弁天さんです。

冬の夜の昔話《神隠し 02》片山通夫

佐脇嵩之『百怪図巻』より「ゆき女」

遠野物語などに出てくる話で不思議なのが神隠しと呼ばれる現象だ。前に書いたようにある場所である人が忽然と姿を消す。ある時は山へ出かけて帰ってこない場合もある。山なら遭難ということも考えられるが、便所へ入ってそのまま姿を消す場合もある。
原因はわからない。天狗や鬼、狐、妖怪、怨霊などのせいかもしれない。不思議なことに姿を消す期間はまちまちである。
そしてある時姿を消した便所から忽然と姿を現すこともある。

定かな理由はわからない。最もわからないから神が関与しているということなのかもしれない。この「神」とは、神奈備、神籬、磐座などに鎮座するアマテラスやスサノオなどだけでなく、八百万の神々をさす場合も、天狗や鬼、山の神や山姥、人ををたぶらかす狐など妖怪変化の場合もありそうだ。もしかすると冬には?

冬の夜の昔話《神隠し》片山通夫

神隠しイメージ

深い森などで忽然と人がいなくなる。理由はわからない。自分の意志で消える場合もある。これは蒸発ともいわれる。しかし決して自分の意志ではないが忽然と姿を消す場合がある。決して事件性はない。まあ、それこそが事件なのかもしれないが。そしてその姿を消した人が何年か何日かは決まっていないが、忽然と姿を現す。
こんな現象を人は神隠しというらしい。

 ウイキペディアによると次の通り。
 人間がある日忽然と消え失せる現象。神域である山や森で、人が行方不明になったり、街や里からなんの前触れも無く失踪することを、神の仕業としてとらえた概念。古来用いられていたが、現代でも突発的な失踪のことをこの名称で呼ぶことがある。
 

連載コラム/日本の島できごと事典 その8《移住者の島》渡辺幸重

生き物は定住と移動を繰り返します。移動の最大の理由は「食うため(食糧を求めて)」でしたが、“アフター・コロナ時代”でも同じなのでしょうか。
東京の竹芝桟橘から伊豆大島経由のジェットフォイルで2時間25分で行ける伊豆諸島の島に利島(としま)があります。人口337人(2015年)・周囲約18mの円錐状の形をした島で、住民の約半数、20~40代の8割以上が移住者という珍しい島です。役場職員の実に約9割が島外出身者です。利島の物流を支え、定期航路の離着岸事業などを行う株式会社TOSHIMAの社員の約9割もIターン者で、いまでは若い島外出身者が利島の社会を支えているといえます。
利島への移住者は役場や農協に勤めたり、日本一の生産を誇る椿油の仕事をしたり、漁業を営んだりしています。芸術活動をするとか、リモートで東京の仕事をするとかではなくて多くの人が“島の仕事”に従事しているのが特徴です。そして「海や山で採れる自然の恵みのすばらしさ、台風や冬の西風など自然の厳しさと共に生活する」島の現実を受け入れています。
利島村は1島で自治体を構成する小さな村です。「利島活性化活動」として下草刈り作業や椿の実の収穫作業に学生ボランティアを募集し、年齢制限なしの「ふるさとワーキングホリデー」制度を実施するなど普段から島外在住者との交流をしています。椿農家の高齢化や後継者不足など問題がないわけではありませんが、島の人口は、戦後の混乱期を除き江戸時代から現在まで300人前後で推移し、他の島に比べて過疎問題や高齢化の問題が少ない不思議な島なのです。
利島は、子どもが生まれると他家に子どものお守りを頼むボイという慣習があり、両家が親戚関係を結ぶなど人の繋がりが強いところです。逆にそれが“よそ者”としてでなく“身内”として受け入れる素地になっているのかもしれません。
コロナ禍は社会の価値観を変えると言われます。利島の「島の生活」のなかに“コロナ後のパラダイム”のひとつが存在しているような気がします。

寒い冬の夜話《遠野に見た河童淵 005-2》片山通夫

捕獲許可証に書かれているように、河童は新鮮な野菜が好きなようだ。カッパ淵に備え付けてある旅行者用の釣り竿の先にはしっかりと胡瓜がつけられていた。そういえば胡瓜巻という巻きずしはカッパという。カッパと胡瓜は切っても切れない中仲なのだ。 カッパ淵の水辺にはカッパの神を祀った小さな祠(写真)が建っている。カッパの神は乳の神であり、乳児のある母親が母乳の出がよくなるよう祈願するとよいとされ、祠には、女性が奉納した赤い布による乳房を模ったぬいぐるみのようなものが置かれている。

参考 カッパにまつわる写真 ↓

 

連載コラム/日本の島できごと事典 その7《メガソーラー》渡辺幸重

宇久島_ 寺島_ 再生エネルギー基地

気候変動が問題になり、日本政府もやっと2050年カーボンニュートラルを宣言し、自然再生エネルギー政策を口にし始めました。一方、自然再生といえども巨大施設は環境破壊につながることが問題になっています。
地理的には五島列島、行政的には平戸諸島という有人島に2,179人(2015年)が住む宇久島(うくじま)があります。宇久島は「平成の大合併」で佐世保市になりましたが、人口は10年間に3分の1が減少し、この大合併で旧役場があった島で大幅人口減があった代表事例とされているところです。
そこに出力2,000キロワットの風車を50基設置する風力発電所と、島の4割の面積を使い、総出力480メガワットの大規模太陽光発電所(メガソーラー)という2つの再生可能エネルギー事業計画が持ちこまれました。風力発電所は国内有数の規模、メガソーラーはソーラーパネル約150万枚を設置する日本最大級のものです。これが実現すると、島の景観や地域社会はがらりと変わるでしょう。行政と業者は計画を進めていますが、住民や漁協などには自然環境や住環境の変化、景観の悪化などに対する危惧があり、十分な合意形成ができていないのが現状です。2020年12月には、反対派住民がメガソーラー建設事業に関して佐世保市が出した公園敷地の使用許可の取り消しを求め、監査請求を出しました。日本自然保護協会は両計画に対して「自然環境や文化環境を壊して小さな島を発電施設で埋め尽くす必要が本当にあるのか」と問題を指摘し、反対しています。
自然再生エネルギー事業はいいものだと思い込みがちですが、巨大開発は人間にも自然にも後戻りできない大きな環境変化を押しつけます。本来の「グリーン・リカバリー」なら地産地消ができる小規模施設を必要な分だけ作るという抑制が必要です。
宇久島は「五島富士」の異名をもつ城ヶ岳があり、韓国・済州島も眺望できる風光明媚な島です。近くの小値賀(おぢか)諸島も含め西海国立公園になっており、島を黒いパネルで覆うのは島を犠牲にする政策としか思えません。

 

寒い冬の夜話《遠野に見た河童淵 005》片山通夫

カッパ淵

岩手県遠野にはカッパが住んでいる。何しろえら~い柳田國男と言う大先生が遠野物語という本に書いているのだから、間違いない。あんな偉い先生が嘘をつくはずがないのだ。さてそのカッパ淵だが、遠野市内の土淵町にある常堅寺裏を流れる小川の淵がそうなのだ。今や写真で見るように胡瓜を餌に河童を釣ろうとする輩も出没するありさま。もちろんこの淵でカッパを釣ろうという向きは必ず遠野市観光協会発行の捕獲許可証を取得する必要がある。勿論許可証の裏面には捕獲7か条なる決まりがある。よく心得るべしなのだ。(この項続く)

寒い冬の夜話《雪の深い夜、座敷わらしが踊りだす 004》片山通夫

座敷わらし イメージ

座敷童子(ざしきわらし)は、主に岩手県に伝わる妖怪。 座敷または蔵に住む神と言われ、家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどの伝承がある。

もうかなり以前だったが、遠野の曲がり家に泊まったことがある。例にもれず雪の深い夜だった。炉が切られていて、その炉を囲むように座り、夕食を食べるのだが、たまたま入口の土間を背中に座ってしまった。顔や胸などは炉の火にあたってとても暖かかった。しかし背中は隙間風が入ってきて・・・。2階の広い座敷の真ん中に布団が敷いてあった。部屋の中は石油ストーブが一つ。暖かいはずもなく、あまり近づけることもできず・・・。

写真は残念ながら撮らなかったが、おかっぱ頭の日本人形がご丁寧に置いてあった。

遠野は様々な民話というか様々な話が伝わっていることはよくご存じだとおもう。でんでらの、河童、そして神隠し、乙爺などなど。