夢の物語《京の都を鬼が行く 下》片山通夫

呪いの藁人形

「呪う」とは「祝詞(のりと)」と語源的には同じで、「宣(の)る」に反復・継続の助動詞「ふ」が接続したものであり、古代の言霊信仰に由来するものと思われる。
それは「祟り」と同義語と解される。一般的にある人や世間・社会に恨みを抱いたまま亡くなった方の思いが祟りとなって具象化すると残された人が考え感じる。
しかし生きているうちに恨みを抱いた人が相手が不幸に見舞われるように思う場合、「呪いの藁人形」を思い立つ。これはよく知られているように、次のような行動をとることである。 “夢の物語《京の都を鬼が行く 下》片山通夫” の続きを読む

夢の物語《京の都を鬼が行く 中》片山通夫

いわゆる神職は神を自由に操る。

だいぶ以前から神職、つまり神主と呼ばれる職業の人たちに筆者は疑問に思っていたことがある。神職は次のことができるとか…。

 

◎降神 神籬(ひもろぎ)に神様をお招きする儀式。
◎昇神(降神に準ずる)神籬にお招きした神様にお帰りいただく儀式。
*神籬とは神社や神棚以外の場所で祭祀を行う場合、臨時に神を迎えるための依り代。
言ってみれば神職は神様をどこへでも必要に応じて呼び寄せることができ、用事が済めばお帰り願うことができるわけだ・・・・。 “夢の物語《京の都を鬼が行く 中》片山通夫” の続きを読む

夢の物語《京の都を鬼が行く 上》片山通夫

 なぜか筆者は妖怪変化に興味を覚える。怖がりのくせに、その存在を信じていないくせにである。古来いうところの「怖いもの見たさ」でもない。そんなもの見たくもない。怖いからである。
例えば深夜に大都会の雑踏の中で一人で歩いていたとする。周りは知らない人ばかりだ。そんな時にふと思う。「この人たちがもしも妖怪変化の類だったら…」

 

普通はそんなこと考えずに歩くのだが、ふとそう思うと背筋に冷気を感じて怖くなる。
またその雑踏を逃れてよく行くバーなどにたどり着く。間違いないのだが、そのバーで働く人は全く知らない人だったらと思うと今一歩が進めなく、ドアを開けずに引き返す。

ある友人は「それ病気」とこともなげに決めつける。
皆さん、そんな経験はお持ちやないですか?
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コラム/日本の島できごと事典《うな太郎》フリージャーナリスト 渡辺幸重

[日本の島できごと事典(その4)]うな太郎

うな太郎の墓 写真はインターネットから

長崎県の南西部・野母半島(長崎半島)の先端近くに樺(かば)島があります。オオウナギの「8代目うな太郎」はそこの古井戸に棲んでいました。残念ながら2011年(平成23年)に推定30歳で死亡しましたが、体長は1.6m1.8mとも)、胴回りは47cm、体重は12.6kgあったそうです。井戸の脇にうな太郎の墓があります。この古井戸は「オオウナギ生息地の北限」として1923年(大正12年)に国の天然記念物に指定されました。しかし和歌山県や徳島県などでもオオウナギが国の天然記念物になっているので、いまでは北限とはいえないようですが、オオウナギは鹿児島県南部以南に生息する熱帯性の生き物なので珍しいといえます。 “コラム/日本の島できごと事典《うな太郎》フリージャーナリスト 渡辺幸重” の続きを読む

宿場町シリーズ《西国街道・芥川宿 下》文・写真 井上脩身

脇本陣に代わる大商家

「一里塚三宝大荒神」の祠

7人の公卿、公家は痛い足を引きずりながら宿場内を進んでいく。彼らはどこに宿泊したのであろうか。
享保19(1734)年の「芥川宿絵図」によると、一里塚―芥川橋間の街道の両側に157戸が軒を並べていた。一里塚はすでに述べたように、宿場のほぼ中央に位置しており、ここから芥川橋までの距離は約400メートルとそう長くはない。商家がぎっしり並んでいたことがうかがえる。天保14(1843)年の「宿村大概帳」には人別1150、家数253と記録されており、7人が宿場に足を踏み入れたとき、戸数は250前後であったであろう。 “宿場町シリーズ《西国街道・芥川宿 下》文・写真 井上脩身” の続きを読む

宿場町シリーズ《西国街道・芥川宿 上》文・写真 井上脩身

「七卿落ち」の最初の宿
~仇討ち舞台での不安な一夜~

「七卿落ち」の様子を描いた絵(ウィキペディアより)

私はいま、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読んでいる。岩倉使節団が欧米視察にでかけた留守政府を預かる公卿、三条実美が頼りない宰相としてえがかれているのが興味深い。三条は幕末、7人の公卿、公家が京から長州に落ち延びたいわゆる「七卿落ち」の一人である。その三条らが京を出立した後、最初の一夜を芥川宿で過ごしたことを最近知った。西国街道の芥川宿は、大阪府高槻市のほぼ中央に位置する。私は実は高槻の出身で、一時、芥川地区で暮らしたことがある。恥ずかしいことに、通勤の道のすぐ近くに芥川宿があったと知ったのは随分後のことだ。この秋の一日、芥川宿をたずねた。そこは江戸文学を彩る二つの仇討ち事件の現場でもあった。 “宿場町シリーズ《西国街道・芥川宿 上》文・写真 井上脩身” の続きを読む

神宿る。《巳の大杉 大村神社》片山通夫

三重県伊賀市の大村神社の公式ページには次の通り記載されている。

「延喜式」(927年)の神名帳に社名が記載されています。神名帳には、当時全国に無数にある神社の中から御由緒が正しく、 かつ朝廷の崇敬の厚い神社が選ばれています。又、それ以前の「三代実録」(901年)に、八六三年に神位が正六位上から一階級昇進し従五位下に叙せられたことの記載があり、 当時からこの地方きっての古社であることがうかがえます。当社の主神、大村の神の御名は、現存する日本最古の書物「古事記」(七一二年)や 「日本書紀」(702年)に「伊許婆夜和気命」「池速別命」とそれぞれ記されています。
ご神木は巳の大杉 表から見るとただの杉ですが、裏に回ると根元に祠があり、巳(蛇)をお祀りしている鳥居がある。 “神宿る。《巳の大杉 大村神社》片山通夫” の続きを読む

《breath of CITY 》北博文

めぐりめく変化する都市光景を一期一会として感じるままに
ファンインダーのフルフレームで切り撮っています。
人間が利便性を探求して作り上げた都市が今や独自に生きる術を得たかのように朝・昼・晩と表情を変えながら人の心を揺さぶりその反応を眺めているかの様な虚実的な都市の空気感を撮らえて行きたいと思っています。

                                                        北博文