cover story《服部健と言う生き方》片山通夫

三重県に関(亀山市)という町がある。東海道53次のうち47番目の宿場町である。江戸時代の終わり頃から明治時代にかけて建てられた町家が200棟以上も現存しているという。いわゆる「当時の雰囲気が残る町」である。
宿場・関の名は、愛発の関(あらちのせき・越前国)・不破の関(美濃国)とともに「日本三関」に数えられ、670年頃に軍事上の目的で設置された「鈴鹿の関」に由来する。壬申の乱(672年)に大海人皇子(天武天皇)が、鈴鹿の関を閉ざしたことは知られているので歴史は古い。
カバーストーリー
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ジョセフ・ヒコの幕末維新④ 井上脩身

木戸孝允編
我が国初の憲法草案

1985年、横浜開港資料館で「ジョセフ彦と横浜の新聞展」が開催された。このさい、同資料館はアメリカ・ニューヨーク州のシイラキュース大学ジョージアーレンツリサーチライブラリーからジョセフ・ヒコに関する資料を借り受けた。送られた資料のなかに日本語文の建言草案類が含まれていた。それはヒコが幕府に提言した我が国の国家構想、国政改革案だった。アメリカ
合衆国憲法を下敷きにしており、我が国初の憲法草案とも言えた。ヒコは我が国の新聞史上の先駆者であるだけでなく、リンカーン大統領にまで会った者として得た近代国家の在りようを祖国に伝えようとしたのだ。だが、幕末維新史の専門書でもヒコの建言がとりあげられることはほとんどない。だから私も知らなかった、というのは言い訳にもならないが、私なりにヒコの建言の歴史的意味を考えたいと思った。 “ジョセフ・ヒコの幕末維新④ 井上脩身” の続きを読む

宿場町 中山道 坂本宿 一茶定宿の山あいの里 ―妙義山と碓氷峠に挟まれ―  井上脩身

私(筆者)は登山が趣味だ。この夏、山岳写真集のページを繰っていて、奇妙な形の山に目が留まった。のこぎりのようなギザギザの稜線がある一方で、とんがり帽子のような峰が単独でつったっていたり、戦国時代の砦のような峰もある。妙義山。標高は1104メートルと高くないが、風変わりな山容から、日本三大奇景の一つとされている。この山の北側を中山道が通っていて、そこに坂本宿という宿場があった。坂本宿は碓氷峠(1190メートル)の東約5キロの所に位置している。江戸から信州に向かう旅人が峠への上りを前に妙義山の奇岩を目にしたとき、どのような思いにかられたのだろう。秋のある日、坂本宿を訪ねた。 “宿場町 中山道 坂本宿 一茶定宿の山あいの里 ―妙義山と碓氷峠に挟まれ―  井上脩身” の続きを読む

編集長が行く しのびよる地球温暖化~夏山から消える雪渓~ Lapiz編集長 井上脩身

今年8月末、北ア・白馬岳(2932メートル)に約20年ぶりに登った。白馬岳の東の沢は大きな雪渓をなしており、この大雪渓をアイゼンを利かして歩くのが白馬登山の醍醐味。ところがこの雪渓が歴然と以前より小さくなっていた。10年くらい前から「地球温暖化が雪渓にも及んでいる」とうわさされていたが、その現実を目の当たりにしてがく然とした。地球温暖化による縮小であれば、ことは白馬大雪渓だけの問題ではない。北アルプス、いや東日本から北日本の山々の積雪量が減っていることを意味し、それはいずれ水不足という深刻な問題に立ち至る恐れがあることを示しているのだ。 “編集長が行く しのびよる地球温暖化~夏山から消える雪渓~ Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む

原発を考える 牛乳汚染する低線量放射能 ―酪農場近くの原発の恐怖― 文 井上脩身

私は最近、『低線量放射線の脅威』という本を読んだ。原発事故が起きた場合、どのような影響が出るのかを詳細にレポートしたもので、筆者はアメリカの統計学者ジェイ・M・グールド氏と、「放射線と公衆衛生プロジェクト」副責任者ベンジャミン・A・ゴールド氏(肩書はいずれも執筆当時)。同書ではスリーマイル島など11章に分けて、問題点を洗い出しているが、私がとくに注目したのは「乳児死亡率と牛乳」の章。福島原発事故が起きたとき、飯舘村の牧畜農家がもろに放射能汚染されたからだ。牛乳どそのように汚染され、子どもたちにどう影響を及ぼすのかを考えたい。 “原発を考える 牛乳汚染する低線量放射能 ―酪農場近くの原発の恐怖― 文 井上脩身” の続きを読む

びえんと ニューカマー時代の母語教育~善元幸夫先生の授業から~ Lapiz編集長 井上脩身

文部科学省役人の天下りあっせん問題の責任をとって2017年1月に辞任した元文部科学事務次官、前川喜平氏の『前川喜平 教育のなかのマイノリティを語る』が2018年9月、明石書店から刊行された。同書には「高校中退・夜間中学・外国につながる子ども・JGBT・沖縄の歴史教育」の副題があるように、それぞれの専門の6人の教育者との対談をまとめたものだ。私は書店でこの本を手にして、6人のうちの一人が善元幸夫先生であることを知り、強い感動をおぼえた。40年前、私が大阪の新聞社にいたとき、善元先生の授業を取材したからだ。20代の後半だった先生は、残留孤児の子どもを対象とした日本語学級の担任として、児童たちに真剣に向き合っていた。いま前川氏に注目される一人となった善元先生のその後の軌跡を知りたいと、ちゅうちょなく同書を買い求めた。そこに現代の教育の問題点が浮かび上がるのではないか、と思ったからだ。 “びえんと ニューカマー時代の母語教育~善元幸夫先生の授業から~ Lapiz編集長 井上脩身” の続きを読む