カバーストーリー《4代目 池田 良一さん》中川眞須良

池田刃物製作所
4代目 池田 良一(いけだ りょういち)1972年生まれ

 堺市堺区北庄町1丁に仕事場と住居を構える。高校卒業後すぐ先代刀匠である父・辰男氏に師事。2003年島根県奥出雲で行われた全国試験で刀匠の資格を取得し、伝統工芸士と合わせ2つの称号を持つ堺市内でも数少ない鍛冶屋である。
日常の作業は、鉄と鋼を合わせて打つ鍛接工法による行程が中心である。しかし得意先からは何故か特殊品(小さめの小刀、ペーパーナイフなどの別注品)の製作依頼が多いとか。
「注文があれば可能なものはなんでも作ります。」と。
撮影の後、仕事に対する主義、信条のようなものがあれば?の問いかけに、「私はこの世界ではまだまだ中堅、この年で自分の仕事観のような事を口にするのは時期尚早、口幅ったいです。あと30年ほど先に、自信を持って言えるようになっていれば・・・」
この時大きく目を見開いて、初めてわずかに笑みがこぼれた。

昭和の引き出し《いりこのあった生活》鄭容順

 昭和から平成、そして今年は令和元年を迎えた。昭和19年(1944年)生れの私は昭和時代を長く生きてきた。西暦の記述にこだわる人もおられるが、昭和時代を長く生きた私にはこの度、日本政府が発表している元号で記述していく。

平成は電子機器の発達で昭和では考えられなかった生活スタイルが一変した。携帯電話が発達し、各々鞄の中に携帯電話が入っていた。どこに居ても通話ができた。携帯電話がない時代、待ち合わせに苦労した。待ち合わせに遅れて来る人に、最寄りの駅の掲示板にチョークで、今どこにいると書いていた。駅の改札口を間違うというすれ違いもあった。
今はお金さえ出せば何でもある世のなかになった。 “昭和の引き出し《いりこのあった生活》鄭容順” の続きを読む

中務敦行の《徒然の章》

この夏は暑さ厳しく、10月の下旬になっても夏日が置く、半袖で過ごす日が長く続きました。サクラの開花をめぐっては毎年早くなっているとよく言われます。しかし開花がいつも秋分の日、それも前後1~2日しか狂わないのが、彼岸花でした。
今年、秋分の日の前日(21日)に岐阜県海津市の津屋川を訪れました。ここは土手一面に花が咲く、彼岸花の有名スポットです。(写真上)
ごらんの通り彼岸花は水面近くしか咲いていません。
昨年の23日(秋分の日)の写真(写真下)をご覧ください。
ウメやサクラなど春の花は暖かくなれば咲き、秋の彼岸花は涼しくなれば咲きます。


異常といえば、今年の台風も異常でした。関東から東に大きな台風が二つも上陸し、その被害は甚大でした。
これもあまり記憶にない秋です。
災害も増えてきたようです。新たな対策が望まれます。

アカンタレ勘太<3> いのしゅうじ作

げんし人

勘太は校門のところでイッ子せんせいをまっている。隆三のおとうさんから「げんし人がよこ穴にすんでた」と聞いたので、げんし人とよこ穴のことをたずねてみようと考えたのだ。

せんせいが自転車でやってきた。

「あら、勘太くんじゃないの」

いつもおどおどしているのに、きょうはどうしたの? というおどろきの目で勘太をみつめる。

「げんし人ってどんな人ですか」

「げんし?」

「よこ穴にすんでた人です」

「あ、原始人ね。原子爆弾かとびっくりしたわ」

せんせいはククッとわらう。

「じゃあ職員室にいらっしゃい」

イッ子せんせいのつくえは職員室の窓のところ。入り口でもじもじしていると、せんせいが「こっちよ」と手でまねいてくれた。 “アカンタレ勘太<3> いのしゅうじ作” の続きを読む