とりとめのない話《風と気配と地蔵さんと・その2》中川眞須良

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金岡の六地蔵
仏教界で人は死後 生前の善行悪行により六つのゆく道に分かれ その各道を指し示し 苦から救うため人の前に仏が姿を変えた存在が「地蔵」とも言われている。旧堺市内から東に伸びる長尾街道を約2キロ 少し北側に昔から特に多くの人々が葬られた事を誰もが知る集団墓地の存在は市の歴史にも記されているが 今はその周囲のフェンスに加え 高層マンション 市の施設 公園 商店などが出来、この場を見通せる場所は少なくなり 関係者のみが知る存在になっているようだ。ただ公園の一角から東側の墓地に目をやれば、伸び放題の雑草の奥に多数の墓石、二十体以上の仏像がならび、公園に接する端には六体の地蔵尊が等間隔で南北方向に西を向いて立っている。いわゆる「六地蔵尊」であることはすぐにわかるが何か別名で呼ばれているのだろうか、公園付近の人に尋ねても誰もが首を傾げるだけなので「金岡の六地蔵」としておく。 敷地が広いからか1メートル以上の間隔で並ぶ姿は珍しい。祠無しの全くの野ざらしである。 雨に濡れ風にさらされ陽に照らされ 時には雑草に顔を撫でられる。 訪れた10月初旬も西陽を正面に受け ただじっと立っている。 地蔵さんは立っているだけだが周囲一面の雑草の背丈はほぼ地蔵さんに並び時折 西・北から吹くやや強めの風が草を揺らし ほとんど見えなかった全身を時々周囲に見せてくれる。その風の強さ、向きによって二体だけ 四体だけまた時には北の端の一体だけで 六体揃って姿を見たい と無理な注文をつけるなら風なのか雑草なのかそれとも仏像なのか。

しかし不規則に頭の帽子だけ 顔だけ 胸の涎掛けから上部だけ 時には全身と各地蔵の真っ赤な布の衣装の一部または全部が やや強めの風に揺れ雑草の波に見え隠れする光景は地蔵さん同士が会話をしているようで思わず見入ってしまう。

今日の風よ!
人間道を救う「極楽の余り風」であるならば
来月師走の初旬にも同じようにここで吹いておくれ。
雑草の波に漂う「金岡の六地蔵」にまた会いたくなるであろうから。

できれば「遅れ秋桜」の微かな香りを連れて
程よく吹いておくれ。