とりとめのない話《オリジナル LPレコード その1》 中川眞須良

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「アナログ」と言う言葉が死語になりつつある今、LPレコードファンは少数とはいえ消え去ることはないであろう。特にジャズ、クラシックファンは元気、頑固にこの世界にこだわり続けているようだ。私もそのなかのジャズファンの一人で、このLPの世界との付き合いもうすぐ55年を越える。

また今までに大ホールではなく収容人数30~40人以下の、いわゆるジャズスポットと呼ぶにふさわしいスペースでのライブ演奏に接する機会を多く持つことができた事に感謝している。幸せ者である。

そして、そのときどきのメンバーといえば、高校のブラスバンド、アマチュアの有志、アマ・セミプロの混成チーム、さらには誰もが知るアメリカの超一流ミュージシャングループまで多彩だ。その時の演奏メンバーによってはミスもあればアクシデントもある。しかし演奏会場毎にファンの掛け声、口笛やいろんな手拍子が混じり独特の雰囲気が生まれる空間に身を委ねること事が出来るのもライブの楽しい常である。

リズムに乗った演奏、あらゆる熱気、気配、雰囲気、これらすべての集合体がジャズである。そしてこの世界と自宅で再会できる唯一の手段がLPレコードであると確信してから、55年が過ぎたと言うことになる

私の手持ちのLPの中にアメリカの有名なジャズレーベル ブルーノート(日本製再プレス盤)が1枚ある。ジャズファンに知らぬ人なしの名盤である。ターンテーブルで2000回以上は回転したであろう超お気に入りなので、予備としてもう一枚所有しておきたいと思うようになってから久しい。

名盤であるが故か需要も多いのであろう、程度の良い「盤」には長年出会うことはなかった。それからいつの日か、はじめて立ち寄ったレコード店での偶然の出会い・・・。
いつものようにミュージシャン別、イニシャル別の各整理コーナー、ともに見つけ出すことが出来ず諦めかけたときなんと、隅のレジの横壁に[本日のおすすめLP]として掛け並べられた10枚ほどのなかの1枚にさがし求める現物があるではないか。早速商品を手にしたがその価格を見て驚いた。

以下は、店員と私との会話の概略である。

私:このハンコック(演奏リーダー)なぜこの価格?(平均通常価格の10倍以上)

店員:(パソコン画面から目をはなし横目で私を見ながら)「オリジナル盤だからです。」
私:オリジナル盤と言うだけで????中身同じやろ!

店:(私に顔を向け、眼鏡をはずしながら)再プレス盤とは音が違うらしいでよ???、それよりも希少価値ですから。

私:(少しむかっとしながらも)試聴できる?

店:(ゆっくりと椅子から立ち上がり)それは私がセットします。(買うかどうかわからぬ客には触れさせない、と言わんばかりの態度で)
当店の装置でオリジナル盤の音を聞き分けるのは—(ヘッドホンでは無理です、と言っているのだろう)

私:(数十秒間は聞いたであろうか、手持ちのLPとの差など全く分からず)はいはい、もう結構・・・(彼は手早く盤をジャケットに戻しながら)

店:能率、90以上のスピーカーで聞いてはるんでしたら、重針圧、ボューム大きめ できればMCで・・・。必ずオリジナルの良さが出ると思いますよ。(この時初めて笑みを浮べ私の顔を見ながら)この価格、お買い得です。

この日から20年以上、この時のオリジナルLP、そして従前からの再プレスLP、プレーヤー上で交互に何度回転したことだろう。

この世界は各聴者によって音質の好みは様々だが私の手持ちのLPに関するかぎり、楽器の原音、演奏者の息づかい、会場の雰囲気をより近くに、より忠実に表現できるのは、やはりオリジナル盤に軍配が上がるとの結論に達している。

今想えば、あのレコード店、店員の言っていた内容、全て的を得ていたと言うことになる。一流の営業マンだったのか。

機会を見つけ、また別のオリジナルLPさがしを楽しもうと思っている。

とりとめのない話《風と気配と地蔵さんと・その2》中川眞須良

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金岡の六地蔵
仏教界で人は死後 生前の善行悪行により六つのゆく道に分かれ その各道を指し示し 苦から救うため人の前に仏が姿を変えた存在が「地蔵」とも言われている。旧堺市内から東に伸びる長尾街道を約2キロ 少し北側に昔から特に多くの人々が葬られた事を誰もが知る集団墓地の存在は市の歴史にも記されているが 今はその周囲のフェンスに加え 高層マンション 市の施設 公園 商店などが出来、この場を見通せる場所は少なくなり 関係者のみが知る存在になっているようだ。ただ公園の一角から東側の墓地に目をやれば、伸び放題の雑草の奥に多数の墓石、二十体以上の仏像がならび、公園に接する端には六体の地蔵尊が等間隔で南北方向に西を向いて立っている。いわゆる「六地蔵尊」であることはすぐにわかるが何か別名で呼ばれているのだろうか、公園付近の人に尋ねても誰もが首を傾げるだけなので「金岡の六地蔵」としておく。  “とりとめのない話《風と気配と地蔵さんと・その2》中川眞須良” の続きを読む

とりとめのない話《群青の小宇宙》中川眞須良

クリスティーナ・ローガン氏の作品

群青色。この言葉に我々日本人はどのようなイメージを持つだろう。

言葉の意味としては「濃い紫味の青」 とするのが一般的のようだが人それぞれ抱くイメージは多彩だ。海や空の青、顔料や岩絵の具の青、内面的には 古来からの日本人の心の色、更には至上の存在感の表現手段の色など広い。

今、日本人の「魂の原色」「心の深遠」とも言えるこの群青の世界を己の芸術で表現することにこだわる一人のアメリカ人女性とんぼ玉作家の存在がある。その彼女の名、クリスティーナ・ローガン。米寿を過ぎて久しい、ご存命なのだろうか。とんぼ玉作家としての知名度は高いが群青の表現にこだわる作品が多い事はあまり知られていない。この世界に詳しい人のいわゆる「ローガン評」によれば「彼女自身の好きな色と 愛する日本人の心の色とが合致したからだ・・・」とか。さらに「彼女は作品を通じて群青の世界の表現にこだわり続けるであろう・・・。」とも。

ここで彼女の作品の一つを取り上げてみると直径2cmの球体である。(制作過程上 直径3mmの空洞が中心を貫通している。地球にイメージを移すと南北両極間の空洞の地軸)

全体的には「やや薄めの紫の地に黒い線による大小の正方形(四隅に黄色のつなぎ目を配置)を整列させた網の目状の少し複雑なデザインになっているが透明感、鮮やかな色彩感、独創的なデザイン感はあまりなく他の作家の作品と比べやや複雑なデザインではあるが反面地味な印象を与える。

入手して数日後 自室卓上に置かれたこの一つのとんぼ玉、ガラス越しに午後の日差しのもとで普段とは違った雰囲気を醸し出しいていることーに気がついた。 その時の室内への太陽光線の角度と波ガラス越しの屈折状態とさらに乱反射の偶然か ワックスがけをしたような透明度、そして立体感が増し さらにとんぼ玉への入射光の一部が漏れ出したかのように群青色の光が平面上にわずかだがはっきりと映し出されていた。咄嗟に同じ条件での再現になるのではと思い、すぐ手に取り中心の穴の部分(極)に目を近づけ光の方向(一方の極)を覗いてみると逆光に反射する群青の輝きがすぐ確認でき、さらに目にピタリと近づけると色の濃淡、影の大小、手の僅かな動きに反応して浮遊する細かい粒子の波、と群青一色の世界が広がっている状態に出会うことができた。

蛍光灯、白熱球、和蝋燭の光、スポットライトと光源を変えれば、その見せる世界はまた微妙に、無限に変化する。

クリスティーナ・ローガンがこのような世界の表現に拘る作家だと知ったのは、私がこの世界を逆光の中に見つけることができた少し後のことでる。彼女のとんぼ玉ファンはこの世界をどのように楽しんでいるのだろうか。また彼女は今後もこの小宇宙をどのように旅をしどのようなメッセージを発信し続けるのだろうか。

「群青はなぜ深いか」を想いながら?。

直径2cmの玉を光に向ける毎に思う。とるに足らぬ疑問であるが・・・。

 

とりとめのない話 《京大に「岡」あり(K氏の思い出》中川眞須良

奈良興福寺の塔

先日、堺市内の一角(上野芝向ヶ丘町)を散策する機会があった。もちろん行き先の当てはなかった。とある辻を北へ曲がった時、見覚えのある景色だと気付き思わず立ち止まってしまった。周辺は大きく様変わりしているが以前趣味の世界での旧知の大先輩K氏の住居があった場所で、引越し先で亡くなられたとの連絡は頂いたが、当時ただ一度だけの訪問時(1981年頃)のお話しの記憶は鮮明である。
その訪問の目的はさらにその一ヶ月程前、K氏が提案された私を含む数人での奈良公園に於ける写真撮影会(カメラを持ってぶらぶら)での作品持ち寄りの写真談議であったが当日の客は私一人。通された2階応接間の大きなテーブルの前にK氏はどっかりと腰を下ろしたその手元には、当日の作品であろう一枚の写真がすでに置かれていた。私にも「早く座って持参した写真をここに並べて下さい」とすぐ当日の本題に入ろうとする姿は、いつもよりリラックスし言葉数も多くいわゆる乗りが良い。自宅という事もあるからだろう。
k氏はテーブル上の私の数枚の写真に短く感想を述べてはいたが、自分が準備した作品に早く話題を移したいという雰囲気をすぐに感じとれたので早速「ところで、Kさんの作品は・・・?」と話しを向けてみた。以下はその時の会話の概略である。 “とりとめのない話 《京大に「岡」あり(K氏の思い出》中川眞須良” の続きを読む

とりとめのない話《風待ち地蔵》中川眞須良

西高野街道(左)と中高野街道(右)の交点(河内長野市)

古くから 商人の町として栄えてきた天領・堺。それを象徴するかのように昔からの古道、いわゆる歴史街道と呼ばれている5つの道が市内を走っている。それらは南北に市を縦貫する紀州、熊野(小栗)の両街道、そしてこの地を起点として東に伸びる長尾、竹の内、南南東への西高野街道の3街道である。 特に西高野街道は大阪、堺からの霊場高野山への参詣道として栄え、今なおあちらこちらに当時の街並み、風情を残しながら保存活動等と共に多くの市民の日常生活に溶け込み親しまれている。

そして起点から堺市内全域にわたり大小の辻 角に多くのお地蔵さんが優しく、温かく祀られていることもその大きな要因だろう。

この西高野街道沿い、市の住居表示板に「中区陶器北912番地」とあるすぐ横に真っ赤な衣を纏ったお地蔵さんが2体並んで祀られている。

大きな屋根で一部コンクリート造りの立派な祠を風雨を避けるためか更に外側を大きく広く波板トタンでガードされている事などから世話人、地元民との日頃の深い結びつきが容易に想像できる。

そのお地蔵さんの名 「剣光地蔵尊」。この地蔵尊、北へ向かってわずかに下りの街道沿いに加えやや広い四叉路の西北角に鎮座するその場所は現在まで長期にわたりあらゆる種類の風を受け止めてきたに違いない。

参考 地蔵尊

私がこの辻であの時あの風に出会ってからすでに25年が過ぎる。もう一度そんな風に出会ってみたいと思い、この場を訪れた回数はゆうに50回を超える。
それは湿気を含んではいなかったし埃を舞い上げてもいなかった。生活の匂いを運んで来たのではなく沈丁花の香りを連れて来たのでもなかった。
ただそっと頬を撫でて行ったあの風に出会いたいだけである。

梅雨入り少し前、西陽を正面に受けながらいつものように前を通りかかると火のついた数本の太い線香を束にして線香立てに入れようとしているお婆さんを見た。しゃがみ込みじっとお地蔵さんを見つめ 手を合わせ何やらブツブツ、咄嗟に後方で立ち止まり一瞬同じように手を合わす自分がいる(挨拶なしで何度も前を通リ過ぎてごめんなさい・・・と)。

その時 線香の煙の一筋がお婆さんの素足の下駄に届こうとしていた。今日は珍しく無風だ。またあの風には会えそうにない。

自宅まであと約3キロメートル。

とりとめのない話《音のピント合わせ》中川眞須良

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私が長く接するモノクローム写真の世界は 日常における自身のイメージトレーニングの現状、結果を目視で確認できる唯一の手段と思っている。多くの情報や経験をもとに鈍化しがちな日常の感覚を「機知の閃き」に出合うきっかけ探しの手段として蘇らせるために思いついたのが「音へのピント合わせ」である。
実践してすでに数十年、今ではこれによるイメージの発想は新しい物語、新しい世界の創造に欠かせない手段の一つと確信している。毎年梅雨入り直後のこの時期に机の引き出しの奥から取り出すものがある。
1950年当時製造のステップ音が大きい「tokyo.clock.4jewels」と刻まれているポケットウォッチである。 “とりとめのない話《音のピント合わせ》中川眞須良” の続きを読む

とりとめのない話《睡蓮池の風》中川眞須良

睡蓮

2023年5月中旬晴天の午前 あまりの心地よい風に誘われ いつもの睡蓮池を訪れてみた。例年より早く新葉が水面に浮かび上がり(浮葉) 8分咲きの花も一輪確認でき さらに成長し白と黄色の花が咲き乱れ、池の半分以上が葉の上を歩けそうな例年の池の景色となるのも間近のようだ。

また昨年は数匹の緋鯉が足元まで挨拶に来てくれたがこの日は何故か姿を見せない。水温が低いからか・・・

さらにゆっくり池をひとめぐり、昼を少し過ぎた時刻から 今日もゆっくりと流れ始めた風を正面から待ち受けるように 睡蓮の新葉の上約1メートルに ギンヤンマのホバリングにも出会うことができた。正面から見るとバックの緑に溶け込み大変見つけにくい。 風に向かって飛ぶ昆虫の特性(走風性)が顕著な場面だ。この光景もまた例年より約3週間早い。

蓮の新葉は初め水に浮く。その上を吹き渡る風の別名を荷風(かふう)と聞くが、初夏この日のように睡蓮池の水面を優しく撫でていく風を人は何と呼ぶのだろう。

その風は 今の時期 西北(にしきた)から舞い降りる。「この夏の猛暑を予感させる風」か・・・と問い返すのは今日の風には失礼だ。

とりとめのない話《朝東風と夕西南風》中川 眞須良

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昔の話である。
兵庫県津名郡津名町塩尾(現在 洲本市)に住む一人の元漁師の長老(Tさん)とある少年(マー坊)との会話。

T:ん?、、、、おまはん 見かけん顔やな?どこの子や。
M: 家 あそこ!

T:あそこって、、? いせや(伊勢家)はん とこの子か?
M: N(名字) です。

T:・・・と言うことは いせやの三男坊か 父ちゃん Gさんや なあ? そうかわかった、ほんで何の用や?
M: おっちゃん、毎日一人でここ(堤防の上)に座って何してるん?

T:毎日?、、。おまはんとこからよう見える・・・
(ゆっくりと立ち上がりながら)
「あさごち ゆうにしまか」(朝はひがし風 夕方は西南風 か)・・・。
あしたもいけそうや(漁に出られそうや)。
ぼんっ!早よう 家(うち)へ帰りや。

少年:まー坊(私)が10才未満の頃、見知らぬ老人から聞いた言葉。何故かずっと耳に残っている。自分が古希を過ぎた今も風を求めてさまよい歩く病の感染源はこの言葉かも知れない。海沿いの小さな漁師町の住民は老若男女、風には敏感だ。と言うより風と共に生きてきた。
「漁師泣かすに策いらん 風の3日も吹けば良い」がそれを物語っている。

都会に移り住んだ少年マー坊 気候天気の変わり目毎、また台風接近時に両親 周囲から何度風の話を聞かされたことか。
関西の瀬戸内地方で呼ばれ続けられている風の名称、東風(コチ)だけを例にあげても「朝ゴチ」「宵ゴチ」「寒ゴチ」「夜ゴチ」「冬ゴチ」「落ちゴチ(天候悪化)」「セリゴチ(台風接近の強い東風)」「いなりゴチ(4月の東風)」などなど。

また西に地域を広げるなら「雨コチ」「荒コチ」「強ゴチ」「梅ゴチ」「桜ゴチ」「鰆ゴチ」など。更に別方向からの風に、地方、季節、天候等をプラスすれば風の名称の数は無数だ。

毎年 スギ花粉の飛び始める三月初旬 必ず訪れる事にしている場所がある。その場所であのときの風 私を追い越して行ったあのコチに会いたいがために。しかし東風が吹けどもなにかの臭いと気配を含んだあのときのコチには未だ出会えていない。

その場所は東方向へわずかに上りの街道沿いの狭い三叉路、お地蔵さんが祀られ、すぐそばの古びた石の道標に「是より高野山女人堂へ十二里」と彫られ、くたびれた文字はこの時期低い夕陽に浮かび上がる。

人は風と暮らす。

東風吹くや 耳あらはるる うなゐ髪    杉田 久女

とりとめのない話《雲雀東風(ひばりこち)》中川眞須良

ぴーち??、ぴーち??、ぴーち?? 久々に聞く雲雀の声だ
見上げても姿は見えない。鳴き声だけが上空から衝きささってくる。
雑木の根っこにしゃがみ もう一度じっくり目を凝らして見上げてみる。
ようやく見えた。   高い!遠い!小さい!

縄張り宣言の行動 と聞くが本当だろうか。しばらくすると声のトーンが少し下がった。姿がはっきりとしてきた。さらに低くなり鳴き声が変わる。
地上20メールほどか。
数秒間 いわゆるホバリング状態だ、着地が近い。
翼をたたんで素早い着地である。
落下と言った方が当たっているかも・・・。
しかも私から約30メール程の距離だ。
人(私)の存在を知っての着地であろうが珍しく近い。大胆な奴(鳥)だ。
おそらく巣が近くにあるのだろう。

その日の午後、もう一度同じ場所へ出かけ同じ木にもたれ掛かり、空を見上げしばらく過ごしたが雲雀の気配は全く無く、ただ感じられたのは 時々やや強い東風が運んでくる枯れ草の匂いだけである。

先程 雲雀が舞い降りたはあの辺りだ、探せば巣が見つかるかもしれない。
しかし Γその舞い降りたすぐ近くには巣はないよ」と昔 老人から聞いたことがある。外敵から巣を守る本能なのだろう。ここで がさがさと むやみに探し回れば雲雀に迷惑だ 嫌われる。しかし見たい。

以前、偶然に一度巣を見つけたことがある。
枯れ草を幾重かに敷き詰めた扇子大の質素な造りである。
うずらより色の黒い卵が4~5個並んでいたのを覚えている。ならばここで巣のありそうな場所を予測し うまく見つけ出すことができるか試してみることにした。もちろんその場になければすぐあきらめよう。それも一度だけ。言わば巣探しの一度だけの小さな賭けである。
そんな偶然に見つかるだろうか。

その予測した場所は
1、方向  私と雲雀が着地した二点の延長線上
1、距離  30m+5m(安全地帯の半径)+α 計約35メートル

はたしてどうだろう、もし見つけても 親鳥が留守であることを願いながら、少し遠回りしてゆっくりその場所に接近。
しかし付近に巣は見当たらず予測は大きく?外れ。
すぐ退散。甘かったと反省しながらも、一方で見つからなかったほうが良かった、雲雀に嫌われずに済んだ、とする別の安堵感のような気持も交錯していたのかもしれない。

午前よりも少し風が強くなった。

機会があれば来年の雲雀東風の吹く頃、もう一度ここに来て見たいと思う自分がいる。 懲りない。

雲雀笛 子がひとり吹く 野に来たり      竹中 古村 

雲雀東風(ひばりこち):春に吹く吹く東の風。

とりとめのない話《高見颪》中川眞須良

私はいつの頃からか「風」が大好きになった。勿論危険が伴う強風 暴風は対象外だ。一口に 風 と言っても「感情」を持った一人の人間との関係は無限に広い。まず風に対してはその吹く時期 場所(地方) 風向 風力などによって多種呼び名を変え広く日常に溶け込んできた。その一つに「颪」がある。 “とりとめのない話《高見颪》中川眞須良” の続きを読む